ブチギレた父親が散弾銃を持って学校に乗り込もうとしたことも…架空パーティーのチケット販売で“慶応高校を即退学”になった「超エリート男性」のその後
文春オンライン / 2025年1月26日 6時10分
「架空のパーティー券販売」によって慶応高校を即退学になった男のその後とは…。写真はイメージ ©getty
〈 実家は「天皇家にもつながる」超名門、慶応幼稚舎からエスカレーター式で高校進学したけれど…“エリート生まれ・エリート育ちの慶応ボーイ”が退学になった「ある事件」 〉から続く
質素なスポーツの祭典だったオリンピックを巨額の利益を生み出すイベントに変えた電通にあって、長年、スポーツ局に君臨した高橋治之氏。そして、弟でかつて背任容疑で東京地検特捜部に逮捕された、イ・アイ・イーインターナショナル社長の高橋治則氏(享年59)。
若き日の弟・治則は「架空のパーティー券販売」によって、慶応高校を一発退学になってしまう。さらに怒った父親が散弾銃を持ち込んで、学校に乗り込もうとしたことも…。同事件のその後を、ジャーナリストの西﨑伸彦氏の『 バブル兄弟 “五輪を喰った兄”高橋治之と“長銀を潰した弟”高橋治則 』より一部抜粋してお届けする。(全3回の2回目/ 最初 から読む)
◆◆◆
架空パーティー事件で慶応を「一発退学」
「折角いい高校に入ったのに、あっという間にクビになって可哀想に」
太田は掲示板を見ながらそう思った。だが、励ましの言葉を掛けようにも、この日を境に目蒲線で治則の姿を見かけることはなくなった。
当時、巷ではダンスパーティーが大人気だった。早熟な高校生のなかには企画を立ち上げ、会場を押さえて、女子学生を集めたパーティーを頻繁に開催し、収益をあげている者もいた。塾高生も例外ではなく、慶応ブランドの絶大な影響力で、1000人規模の客が集まることも珍しくはなかったという。
治之も、品川区小山にあった自宅の広い庭を使って100人ほどを集めたパーティーを開催し、成功させていた。その盛況ぶりを目の当たりにしていた治則も仲間とともにパーティーを企画した。ところが、この情報が学校側に漏れ、会場が確保されていない架空パーティーのチケットを売り捌いたとの疑いを掛けられてしまうのだ。
治則の慶応普通部時代からの友人、中江和彦が当時を振り返る。
「授業中に治則君から『悪いけど、あと50枚作ってくれ』と頼まれ、パーティー券を一緒に作った記憶があります。私は一度も行ったことがないので、詳しい内容は知りませんでした。手作りのパーティー券だから内輪のレベルかと思っていたら、かなりの規模だったようです。これが学校だけでなく、税務署にもバレて、一発で退学になったのです」
首謀者は、素行不良で2年生に進級できなかった治之の元クラスメイトだった。ダブって治則と同級生になった彼が主導し、横浜の土建業界の大物を父に持つ資産家の仲間が、豪邸を会場として提供する形で準備を進めていた。しかし、学校側は架空であると断じて、治則を含む3人を退学処分にしたのだ。
治則が、好奇心と遊び心から始めたイベントは、“青春時代の苦い思い出”では済ませられない、多くの犠牲を払う結果を招いた。
後日、治則は中江ら近しい友人には直筆で、謝罪の葉書を出している。
〈世間知らずで、みんなに迷惑をかけてごめん〉
太田は当時の状況について、「高橋(治則)も横浜の土建業界のボスの息子も男気があったから仲間を庇って潔く辞めた。2人は大物だなと言われていた」と振り返る。
父親が散弾銃を持って学校に乗り込もうとしたが…
ただ、実際には、あっさりと引き下がった訳ではなかった。高橋兄弟の父、義治は息子の処分に烈火の如く怒り、学校に乗り込んで猛然と抗議したという。
高橋兄弟の友人の一人が明かす。
「義治さんは当初、自宅にあった散弾銃を持って学校に乗り込もうとしていた。ただ、その頃、高橋家には元警察官の書生のような人がいて、彼が必死に義治さんを止めて、何とか銃を持って行くことだけは思い止まらせたのです」
しかし、父の抗議を以てしても処分は覆らなかった。そして高橋家はこの頃、品川区内にあった豪邸を売却し、住み慣れた地を去っている。
治則はその後、都内にある私立の世田谷学園に編入した。義治は、息子の受け入れ先を探して奔走し、世田谷学園出身の元農相、広川弘禅の関係者による口添えで、編入学が決まったという。
だが、仏教系の世田谷学園の校風は治則にとっては退屈なものだった。世田谷学園は、登下校時に校門の白線で立ち止まって一礼するのが、朝夕の風物詩となっている。禅宗である曹洞宗を教育の基盤に掲げており、禅堂での坐禅も授業に取り入れられていた。
塾高時代は、仲間と千葉の海に繰り出し、磯に入ってアワビやサザエを探したり、葉山の別荘地に遊びに行くなど自由気儘だったが、その生活もガラリと変わった。
治則は、成績上位だったが、編入してきた“異分子”としてイジメにも遭った。ボクシング経験があった治則は人前では決して手を出さなかったが、イジめた相手を自宅に誘い、ボクシングのグローブを付けた打ち合いで、きっちり“お返し”をした。
当時、治則と久々に会った中江は、その変貌ぶりに驚かされたという。
「高校生の身分」で銀座の高級クラブに営業活動
「彼は『暇にしていてもつまらないから』と言って、高校生なのにビジネスを始めていた。放課後に、スーツ姿に着替え、銀座の高級クラブを回り、『これからの時代、エアコンがなきゃダメですよ』と営業活動をしていたんです。どんな伝手があったのかは知りませんが、米国の大手電機メーカーの個人代理店になっていました。あの頃は銀座の有名店でも、エアコンが入っていない店が結構あって、そういう店に米国製のエアコンを売り込んでいた。『スゲーな』と驚くばかりで、我々とはレベルが違う奴だと思いました」
正確に言えば、治則が個人でビジネスをしていた訳ではなく、大学生の兄、治之の仕事を手伝っていたに過ぎない。当時、治之は知人に頼まれ、米国の電機メーカー「キヤリア」の関東地区の販売担当を任されていた。米国製の高性能なエアコンは1台50万円の高値が付けられていたが、販売の利益は5割。1台売るごとに25万円が入ってくる計算だった。
周囲に資産家が大勢いた治之は、割引価格で彼らに斡旋。機転を利かせ、町の電気店と組み、手数料を落とす代わりに、設置作業もセットで行なわせていた。それでも2割、3割の利益は確保できた。治之は大学2年の時点で、得意先だった銀座のクラブでは、すでに“顔”だった。
そこには、商魂逞しく戦後を生き、資産を築いた父、義治の影響が見て取れる。そして治則もまた屈辱的な退学で、慶応の輪から零れ、失意のなかにあっても、決して悲観ばかりしていた訳ではなかった。
1964年春、慶応時代の友人たちは再び治則に驚かされることになる。
〈 架空のパーティー券販売で高校退学、日本航空にコネ入社、2兆円の借金を背負っただけじゃない…天皇家ともつながる「伝説の慶応ボーイ」の人生がヤバすぎた 〉へ続く
(西﨑 伸彦/ノンフィクション出版)
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