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『82年生まれ、キム・ジヨン』を彷彿とさせる一冊

文春オンライン / 2025年1月22日 6時0分

『82年生まれ、キム・ジヨン』を彷彿とさせる一冊

『まだ、うまく眠れない』

〈 一種の哲学は、一種の自伝としてしか語ることができない――? 〉から続く

何で、何でこうなっちゃうんだろう

 10代の頃からうつ病や摂食障害を患って精神科に通い、婚活を経て2児の母となった著者(1983年生まれ)が、その半生を綴った自伝的著作だ。

 先に告白しておく。当初、本欄の担当編集者から「読みやすく、同時に深い心情を描いたエッセイです」と本書を薦められ、そういうことならと軽い気持ちで書評を引き受けてしまった。しかし実際にページをめくってみると、終始胸が痛く、手に汗を握るような気持ちが拭えなかった。

 評者である私は、現在30代後半。結婚もしておらず、子どももいない。しかし、著者とは世代も近く、かつ文筆の仕事に携わる女、という共通点もあり、今風の言葉で言うなら「わかりみ」があまりに深かったためだ。

 幼い頃から発育が良く、小学生にして女性の体を持っていた著者。男子に騒がれる反面、女子からは疎ましく思われ、高校を中退し家出少女となる。高卒認定資格を取り、大学に入学するが、過食症状を持っていたことから周囲の視線に怯え、最終的に大学を中退。その後は精神科に通っていたが、主治医に薦められ婚活を始め、約8ヶ月後に入籍を果たす。夫の望みもあって、2人の子どもを授かり、現在は育児に作家業に忙しい毎日を過ごす――他者の人生を要約するのも気が引けるが、私個人のフィルターを通せば、著者が歩んできた道のりはざっとこのような感じだ。

 大変な時期もあったが素敵な男性と出会い、妻(母)として、また作家として自己実現も果たす輝いた女性……そんな風に著者の人生を見る人もいるだろうか。決してそんなことはない。「結婚しても全然幸せじゃない」と著者はいい、作家業と家庭業の両立をめぐって自身が直面してきた苦悩を、包み隠さずに綴る。

 著者の夫は、ごく普通の会社員。自身も足に障害を抱えているが、著者の精神障害について特別扱いはしない。そんな距離感をむしろ心地よく感じ、互いの価値観を尊重しつつやってきたが、出産を機に育児における価値観の相違を感じるようになって、夫との関係は少しずつ変わっていく。さらに著者が文筆の仕事を始め、出版記念イベントなどで家を不在にすることが増えると、夫婦間の溝は広がっていき、ある時、夫から「お前のしていることは自己満足だ」と、離婚を切り出されてしまう。

 家庭も子どもも失いたくなかった著者は、話の方向を変えて離婚の危機を乗り越えるが、その葛藤をこう打ち明ける。

「子どもが好きで好きで仕方ないのに文章が書きたくて堪らない。両方きちんとやることは出来ず、夫にはやはりそれが無責任に映る」

「何で、何でこうなっちゃうんだろう。妻だって母だって重要な役割で、それを全うすることは尊い。なのに、何で私はそれだけじゃダメで、大した稼ぎもないくせに、夫に嫌な思いをさせてまで」

 これには、日頃自分が感じていた疑問や迷いを、逆側の立場から言い当てられた気がした。冒頭に記したように評者の私は結婚しておらず、子もいない。結婚への憧れがないとは言わないが、仕事の不規則さや不安定さを考えると、「妻」「母」という役割と両立する自信は持てずにいた。

「子どもが好きで好きで仕方ない」ことと「文章が書きたくて堪らない」ことは、著者にとってなぜ相反した行為に映るのか。「妻」や「母」のほか「作家」という社会的役割を持つことを、なぜ「それだけじゃダメ」と表現しなければいけないのか……。境遇は違えども、同じ社会構造の中に置かれて、矛盾やジレンマを感じていることに変わりはない。だからこそ著者を追い詰めているものの正体がよりくっきりと見えてしまい、胸が痛くなったのだ。

 ごく普通の女性の半生を素材としながらも、女という性別が直面する困難を普遍的に描き出しているという意味で、本書は『82年生まれ、キム・ジヨン』を彷彿とさせる。性別、世代、境遇などにより十人十色の受け止め方があるだろう。自身にはどんな反応が出るのか、読みながらぜひ確かめてみてほしい。

(初出:週刊読書人2024年10月4日付3559号6面)

(松岡 瑛理/ノンフィクション出版)

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