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フジテレビの“中居会見”だけじゃない…石丸伸二の記者会見にも共通する“偉そうなオールドメディア感” とは?「記者を選別、肝心なことは言わず…」

文春オンライン / 2025年1月21日 6時0分

フジテレビの“中居会見”だけじゃない…石丸伸二の記者会見にも共通する“偉そうなオールドメディア感” とは?「記者を選別、肝心なことは言わず…」

©時事通信社

 先週はとても面白い記者会見が2つおこなわれた。ここで言う「面白い」とは偶然にも似たものが浮き彫りになったからである。

 まず1つ目はフジテレビの社長会見。タレントの中居正広氏が女性との間で「トラブルがあった」と認めている問題で、フジテレビ社員が関与したと報じられている件だ。フジテレビの港浩一社長らが17日、記者会見した。

フジ会見へのモヤモヤ感

 会見はどんな評判だったのか。翌日のスポーツ新聞をいくつか見てみよう。

『港社長肩すかし会見 フジ疑惑晴れず 「回答を控える」30回超』(スポーツ報知)

『フジ 中居女性トラブル 知ってて出演継続』(スポニチ)

『フジ社長 中居調査しなかったのは「プライバシー守るため」』(日刊スポーツ)

 これらを代表したような内容がデイリースポーツの「記者の目」だった。

『フジ会見にモヤモヤ感 より開けた場で“真実”を明らかに』

 フジを担当する記者が「今度はさらに踏み込んだ答えが求められる」「より開けた場で真実が明らかになることを願いたい」と書いていた。

 さて今回モヤモヤ感を抱いたのは会見に出席した上記の記者たちだけではなかろう。会見に参加できたのは一般紙やスポーツ紙などで構成されるラジオ・テレビ記者会の加盟社で、19社33人の記者だけだったからだ。週刊誌やウェブメディアやフリーの記者なども入れなかった。

動画撮影NGの会見

 しかも中継どころか、動画撮影もNG、写真撮影も冒頭の短時間のみというから衝撃的だ。フジテレビは報道もやっているが、他人を報道するときは厳しく、自分が報道される際はなるべく隠すという態度を見せてしまった今、これからどうなるのだろう。唯一希望があるとしたら上層部に呆れている現場の社員たちの奮起しかないと思うのだが。

 いずれにしてもこうした権威的な態度こそが「オールドメディア」が嫌われる大きな要因の1つであることは間違いない。とにかく古くて偉そうなのだ。

 先週はもう1つ面白い会見があった。石丸伸二氏の会見である。こちらも石丸氏の「オールド」な部分がまたもや証明された会見だった。

石丸伸二氏のオールドな部分

 昨年の東京知事選で次点となった石丸氏が今夏の都議選に向けて地域政党「再生の道」を設立したと発表したが、この会見で見るべきはフリーの記者らが出席できなかったなど参加者を限定したことだ。記者を選別するという発想は古いだけでなく恐ろしく権威的だ。先述したフジテレビの幹部と同じ臭いがする。

 石丸氏の「オールド」な部分がまたも証明されたという理由は他にもある。昨年の都知事選を見て、石丸氏は「昔からいる古いタイプの政局おじさん」という印象を強く受けたからだ。

 たとえば都知事選後に注目したインタビューに石丸陣営の選挙参謀・藤川晋之助氏のインタビューがあった(朝日新聞7月13日)。

・街頭演説を200回超やったが、特徴的なのは、細かい政策を全く言わないことだった。自己紹介を言い続けた。

・政策で勝負しても全然意味がない。

 私も石丸氏の街頭演説を何回か見たが確かにそうだった。藤川氏曰く、若い世代は街頭で他候補みたいな政策論や現状批判を聞いても「へきえきしている」という。考え方を少し変えてみると、この戦略は少し前から批判や論評を「悪口」と受け止めて嫌がる風潮に合ったのでは? とも思えた。

昭和のおじさん政治家の延長線上にいるだけ

 政治の話をすると「思想が強い」と冷笑する向きや、もしくはタブー視する風潮もある。そうした人の中では石丸氏は一見さわやかに見えたかもしれないが、政策を語らずに政局で上を狙う行為は、昭和のおじさん政治家の延長線上にいるだけのように見えた。

 それは今回の会見でさらに証明された。石丸氏が党の政策はないと言ったことで驚かれているが、政策は二の次で「風」に乗って当選者を増やそうという「新党」の思惑は平成の最初の頃から幾度も繰り返された光景だ。既視感しかない。

 こうしたにじみ出てしまうオールドさは本人のセンスもあるから仕方ないとも言える。ただ、記者を選別する権威的な姿は今後あらゆるところに顔を出すだろうから結果的に意義があった会見だった。それにしても記者に対してピリピリするって、懐かしいほどの昭和政治家臭がする。

『テレビニュース』(平野次郎・主婦の友社)という本にはアメリカ大統領の記者会見についてこんなくだりがある。

《「なりたくてなった公人には、どのような質問をぶつけてもかまわない」と多くのジャーナリストたちが考えている。双方にとって真剣勝負の場である。》

 これは30年以上も前の本である。石丸氏はなりたくて公人になるのだろう。なりたくて公党を目指すのだろう。それならできるだけ多くの質問に答えなくてはいけない。公益を考えることにつながるからだ。

会見を「広報」と勘違いしている?

 毎日新聞によると、フリーの記者約30人から申し込みがあったが、許可は「100万人相当」の基準を満たしたユーチューブ番組「リハック」などの一部メディアの記者に限られたという。石丸氏はフリーの記者が参加できなかったことについては「都民、国民の利益を考えて、できる限り多くの方に情報を効果的、効率的に届けるために、この座組み(構成)を用意した」と説明した。

 なるほど、自分の主張を「効率的に届けるために」という言葉には会見を「広報」と勘違いしていることが窺える。政治とは「効率」からこぼれ落ちた人の生活とも向き合うと考えればこのコスパ重視の考え方は政治家の資質としてもかなり怪しい。今後メディアは尻込みすることなく石丸氏の安芸高田市長時代についてどんな裁判を抱えているか、当時どんなことがあったのか? など淡々と過去の足跡を検証していくべきだ。

 神は細部に宿るというが、フジテレビ社長と石丸氏の記者会見はそのやり方だけでも「一を聞いて十を知る」という貴重で重要な「情報」だったといえまいか。公的な存在とは何か? について徹底して自覚が抜け落ちていた。

(プチ鹿島)

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