アメリカ人には「日本のマフィアのボス」と呼ばれていたが…戦後の東京に君臨した“伝説のアウトロー”尾津喜之助が「東京商工会議所」を設立した経緯
文春オンライン / 2025年1月26日 17時0分
写真はイメージです ©アフロ
〈 「すべて俺のせいだ」子分の暗殺を指示→懲役13年→刑務所内で自殺未遂…「伝説のテキヤ」尾津喜之助が服役中に良心の呵責に負けた理由 〉から続く
戦後新宿の闇市でいち早く頭角を現し、焦土の東京に君臨した“伝説のテキヤ”尾津喜之助。アウトローな人生を歩んでいた彼は、どのようにして「街の商工大臣」と称されるようになったのか?
ここでは、ノンフィクション作家のフリート横田氏が、尾津喜之助の破天荒な生涯を綴った『 新宿をつくった男 戦後闇市の王・尾津喜之助と昭和裏面史 』(毎日新聞出版)より一部を抜粋・再構成して紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)
◆◆◆
東京商工会議所は尾津喜之助が生みの親だった
尾津は、即戦力、中途採用組と言えるような立場でテキヤ業界に入門してきている。そのことで、2つの顔(編注:商人としての顔と侠客としての顔)を折々でゆらゆら変え、場面によっては尾津流商法、また別の場面では尾津流渡世ともいえる顔を使い分けて行動している。
昭和21年に入ると、混乱した時代のほうから、尾津にそれぞれの顔をみせてくれと、大きな話が持ちこまれてきた。まずは、商人、財界人としての尾津に持ち込まれた“顔話”。
ここで、この時期から20年ほど後に書かれた財界史の一部を引用する。
政治団体やバク徒の縄バリならともかく、日本を代表する国際的経済団体・商工会議所が、親分・尾津の力によって誕生したという事実は、やはり戦後財界の特異性を証明するに十分であろう。(『戦後日本財界史』鈴木松夫 実業之日本社)
この国の代表的経済団体、東京商工会議所は、驚くべきことに、尾津喜之助が生みの親だった。
終戦後、2つの経済団体が設立されようとしていた
そもそも戦中、商工会議所の前身ともいえる商工経済会は戦争遂行に協力していたが、終戦後、進駐軍により解散を指令され、昭和21年春に、財界人らがあらためて任意団体として商工会議所を設立しようと動いていた。
定款も整い、さあ申請だと関係者らが都庁へ赴くと、奇妙な事態が同時並行して進んでいたことを知る。なんと、同工異曲のようにして社団法人民主東京会議所なる別組織が設立されようとしていた。
財界人らによる前者団体は、大日本麦酒(アサヒビールやサッポロビールの前身)社長を中心とした大企業や財閥系企業によるいわば保守派。対して後者団体、民主――のほうは、リーダーが街の電器商という革新派だった。
戦後民主主義が声高に叫ばれたこのころ、零細業者らの心情は、後者に引き寄せられていた。なんと、誰に誘われたか、尾津は2つのグループがあることを知らないまま後者革新派に加入してしまっていた。
一本化するための調停役として、尾津に白羽の矢が立った
都としてはなんとか一本化してほしく、折衝をうながしていたものの、誰が間に入って調整しようとうまくいかない。保守派の理事には、尾津が尊敬していた青果物協同組合の大澤常太郎がいたから、その線からとも、ミツワ石鹼社長からの依頼とも言われたが、ともかく尾津に一本化調停の白羽の矢が立つ。保守派からみれば、革新派に尾津の名があるのは脅威になったこともあるだろう。
それでもテキヤの親分に白羽の矢が立つこと自体がかなり奇妙に見える。これは財界から見て、テキヤが完全な「やくざ」者ではなく、自分たちと同族、商人とみなしていたことの証拠と言っていいだろう。
戦災者が手っ取り早くはじめられる露店は、戦争終結直後のころ、根無し草が風に飛んで行くように店主はコロコロ変わるし、行き当たりばったりの素人商売と目されていたが、都内各所に大規模なマーケットが形作られるに及んでは、その状態をいち早く脱し、仕入れや組織の体系を整えボランタリーチェーン化しようという動きも生まれていた。
尾津は東京露店商同業組合の理事長である。都内全域に広がる露店業界は全体としてみればそれなりの経済規模にまで育ち、組織化も進めようとする商業者勢力のひとつと財界の人々はみなしはじめていたのだった。
しかし同時に露店は、もっとも資力のない零細事業者の集まりでもある。大企業の社長より、市民感覚を持つリーダーとして、尾津には保革両陣営の話を聞けることが期待されたのだ。
尾津組の子分が幹部を殴りつけてしまう事件も
尾津は、自分が革新派に加入していることはまず措いて、両者の観察をすることに決めた。それぞれのもとへ出向いてみると、これでは確かにまとまらん、と腕組みしてうなるしかなかった。尾津の眼に映った両者は――。
革新派は「旧会議所の遺産に眼をつけた一旗組の連中」。対して保守派は「カネはあっても戦後の虚脱状態から完全に脱けきれず、やることがスロモー(スローモーション)」。どっちもどっちとはいわないまでも片方のみに正義ありとは見なかった。依頼主、大澤方の肩だけ持とうとしなかった感覚は尾津らしい。
そんななか、革新派の総会が開かれる。壇上、幹部たちが保守派の批判をはじめた。そのうちだんだん熱を帯びてきて、ついには相手方への個人攻撃がはじまってしまった。尾津はその場に出席していなかったが、尾津組の子分数人が傍聴していた。
尾津親分が調停を進めていることを幹部らは当然知っているのに、破談にしかねない悪しざまの言いぶり。子分の1人がついに堪忍袋の緒を切らして、壇上へ駆け上り、口撃者を殴りつけてしまった。
見苦しい幹部には尾津本人が「みっともねえ」と一喝
さらには、幹部を待合で接待してみると、飲み方があまりにも汚く、見苦しかった。このときは同席していた尾津は一喝。
「みっともねえ」
この体たらくに革新派リーダーの高品という男も分が悪いと思い至ったようで、結局、尾津へ白紙委任状を渡した。尾津はすぐさま保守派へも面会しこう述べた。
「こちらからも委任状をこの尾津へ任されたい」
これで万事落着。……と思いきや、日本工業倶楽部の一室に集まった財界の重鎮たちは誰も口をつぐんで返事をしない。ややあって、口ひげの老人がゆっくりと口を開いた。
「尾津さんの協力はありがたいが、こちらは定款もできあがり、白紙委任というわけにはいきますまい」
満鉄副総裁や商工大臣を歴任し、終戦時の幣原内閣では憲法改正担当の国務大臣をつとめた松本烝治だった。尾津は居ずまいをただし、返答する。
「松本先生。この尾津は本日、おろしたての組の法被を着て参上いたしました。私どもの世界では紋付き袴と同じ礼装です。正式の話し合いに来たのです。一方が白紙、一方が条件付きでは、あっせんできる道理があるでしょうか」
松本は押し黙るしかなかった。これで双方からの白紙委任が得られた。
アメリカ人記者が証言した商工会議所設立記念の会での“事件”
……という起承転結備わった見事なストーリーで、尾津も冷静沈着にみえるが、かくも整然とは物事が進まなかったのではないかと思わせる、ぜんぜん別の状況を証言した者がいる。UP(ユナイテッド・プレス)記者を経てニューヨーク・ポストの在日特派員となっていたダレル・ベリガン。
日本のやくざ社会の封建性を厳しく批判した記事をこのころさかんに書いていたアメリカ人だが、尾津のことを日本のマフィアのボスとして取り上げている。彼の目には、テキヤたちは皆、「与太者」と映る。
ベリガンによれば、はれて合流成った商工会議所設立記念の会で、一事件があったという。
幹部たちが集まって記事用の写真撮影をする場面。着任する新生・商工会議所の副会頭が、とくになにも意識せず、尾津をさしおいて先に座ってしまい、そのまま写真におさまろうとした。すると突如尾津は激怒、副会頭を投げ飛ばし、「商工会議所は俺がカネを出して作ったのにけしからん」と罵声を浴びせた。という。そこには海外メディアも取材に訪れていた。
尾津は後年、おのれの癇癪玉爆発話を平気でいくつも披露しているが、この一件については少しも触れておらず、ベリガンがどんな取材をもとに書いたエピソードなのかもはやたしかめる術もない。それに、ベリガンの著作を筆者が目を通した限り、任侠組織への事実誤認や誇張があり、この話も誇張されている可能性は多いにある。事実かどうかも疑いが残る。
尾津に期待された「任侠者の顔」
確実に言えるのは、合流する両陣営の幹部に「みっともねえ」と尾津が感じる人物自体はいたこと、そして、仲裁を頼んだ人々は尾津や尾津の組織が持つこうした暴力性、示威力による事態の打開をどこか期待していたことである。
依頼人たちは尾津に、商人の顔で会議所の門を堂々とくぐってもらい、中に入ってしまえば、任侠者の顔をしてもらっての混乱突破を願ったのである。尾津はゆらぐ顔を要求通りに都合良く使い分けた。
さて取りまとまった最終的な尾津案は以下。
まず両派の不良分子には辞めてもらう。辞めた者には金銭を出して援助する。人事は会頭1名は保守派から。副会頭2名のうち1名を革新派から。というもの。要するにたすきがけ人事だ。両派に異論はなかった。こうして昭和21年7月、東京商工会議所が設立された。12月20日には丸ノ内精養軒で盛大な「手打ち式」が行われ、尾津も参与の席を与えられた。
のち、薩長同盟を結ばせるのに奔走した坂本龍馬よろしく、尾津の功績は讃えられ、商工会議所から感謝状が贈られることになった。そのとき闇市の龍馬は、街にいなかった。監獄にいた。伝達式が行われたのは、刑務所。
〈 「当選したらカネはいくらでも出しましょう」“伝説のアウトロー”が衆院選にまさかの出馬…戦後の東京に君臨した尾津喜之助の“大胆すぎる行動” 〉へ続く
(フリート横田/Webオリジナル(外部転載))
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