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応募者12万7000人、一大オーディションで富田靖子を見出したプロデビュー作『アイコ十六歳』は「敗北だった」と今関あきよし監督が振り返る理由

文春オンライン / 2025年2月2日 6時0分

応募者12万7000人、一大オーディションで富田靖子を見出したプロデビュー作『アイコ十六歳』は「敗北だった」と今関あきよし監督が振り返る理由

今関あきよし監督 ©藍河兼一

〈 来てくれた女の子にヒロインを頼んで出演してもらい……黒沢清監督や山本政志監督も来場した自主上映会から数多の映画監督が生まれていった 〉から続く

 同時期に上映活動を行っていた自主映画仲間からまずプロデビューしたのが今関監督だった。大林宣彦監督やアミューズのバックアップを経ていたが、23歳の自主映画作家が、映画の現場を知り尽くしたプロのスタッフを動かすのは大変だった。(全4回の3回目/ 4回目 に続く)

◆◆◆

『アイコ十六歳』でプロデビューを狙う

――『アイコ十六歳』の企画はどうやって始まったんですか?

今関 「1980アイコ十六歳」というタイトルの本が本屋で山積みにされていたんですよ。「史上最年少の文藝賞作家 堀田あけみ」と書いてあって、読んだら小説というよりはエッセイに近い。やたら男の子に媚びる女の子がクラスメイトにいてイライラしつつ、自分は弓道という真面目なことをやっていて、というモヤモヤした日常を送っている女の子の話なんだけど。文藝賞を取ったし、史上最年少だから、絶対どこかで誰かが映画化するだろうなと思ったわけですよ。その時に、今でこそ僕ももうオッサンになったけど、変なオッサンがこれを映画化するのは嫌だなと思った。それで河出書房に僕は電話したんです。編集者の方に「映画化とか決まってるんですか?」と聞いたら、オファーはいくつか来ているけど、最終決定はしてないと。「僕も映画化したいので相談に乗ってもらえますか」と話したら、なんか聞く耳を持つ感じだったんです。でも僕はまだ22ぐらいだったので、文芸坐の支配人の鈴木一さんに一緒に来てもらった。で、取りあえず1カ月間僕に映画化権をキープさせてくれと。僕が映画化できる体制らしきものを作ってみたいので、できなければ諦めますので、1カ月待ってくれと言って、動いたんです。当時知っているのはぴあとか文芸坐ぐらいだから、ぴあで入選した時に推薦してくれた大林(宣彦)さんにぴあを通じてお願いしたんです。早急に小林(弘利)君とシナリオを書いて、こういう本でこの映画を作りたいといったら、大林さんが乗ってくれた。当時大林さんはアミューズとつながり始めていた。アミューズが映画に参入しようとしていた頃で、『狂い咲きサンダーロード』とかの石井聰亙組のプロデューサーである秋田光彦さんがアミューズに入ってきたんです。大林さんはアミューズの大里(洋吉)会長に連絡してくれて、僕を推薦してくれた。今は名も無き監督だけど、これから進んでいく監督を最初に後押しした人として功績が残るからやらないかと。それで、大里会長と会えることになって、僕の8ミリ映画を全部大里会長は観てくれたんです。つまらないのも。カーテンが揺れるだけの映画も。

――そうなんですか。

今関 「お前の映画、全部持ってこい」と言うわけです。リュックを背負って映写機を持って、大里会長のすごいマンションに行って。夜から朝にかけてずーっと映写して、観せた。特に感想もなく、もう眠かったから、一回帰って。そうしたら、夕方に電話が来て、「来い」と。行ったら、「やる」と言われた。「なんかよく分からないのもいっぱいあるけど、音楽の使い方がうまいから、それに賭けてみる」と。

――『アイコ』でもいっぱい音楽使ってますよね。

今関 そうです。サザンとか、原由子さんとか。ある意味音楽映画ですよね。それは贅沢に使えたので、僕にとってはすごくラッキー。あれだけの曲を普通に使ったら大変な金額になるから。

『アイコ十六歳』の現場は敗北した

――大林さんが製作総指揮になりました。

今関 そう。大里会長も大林さんの名前が欲しいというので。でも、「僕は口も出さないし、何もしない」と。もちろん発表会とかは行くけど、基本的には監督のものだと。ただ、脚本家は紹介してくれて、内藤誠さんと桂千穂さんで、大林作品に縁の深い方々で、彼らを入れたらいいんじゃないかと。

――脚本には、あと秋田さんと今関さんと、4人クレジットされてましたね。

今関 そうです。最初は桂さんと内藤誠さんは、僕に合わせようと思って、シナリオを今関映画風に書いてきたんです。ある意味『転校生』っぽい『アイコ十六歳』になって。それはそれで面白かったんですよ。でも、僕は原作が好きだったので、もっと原作寄りにしたいと修正していったけど、なかなかならなくて、「ごめんなさい、僕らに加筆させてくれ」と。僕と秋田さんで原作寄りのエピソードを差し込んでいって、形にしていったという感じです。

――それまでの8ミリ、16ミリの今関映画とは、だいぶ異質な作りになってましたね。

今関 違いました。だから、僕の周りは「なんでそっちに行っちゃったの?」みたいな感じで。ドラマっぽい映画に作られていたから。たぶん大林さんもそう思ったんじゃないかな。結構普通の映画になったなと。『キネ旬』で大林さんが書いてくれた原稿は、「ホームランじゃなくてちゃんとヒットして出塁した映画」という感じで書いてましたね。褒め言葉であり、本当はもっと異端だろうと期待していたという感じの原稿だった。

――原作のテイストを生かすにはドラマっぽい方がいいという判断だったんですか? 

今関 どうせプロの人と一緒にやるなら、ちゃんとプロっぽく撮ったほうがいいかなという。ポエティックな映画よりはドラマにしようというのは、原作の良さを出すためと、プロっぽい映画をどう作れるのか、やってみたかった。

――長回しも多かったですよね。

今関 演出できないから。自主映画出身監督はプロの現場で大体大変だとよく聞くけど、本当に大変だったので。スタッフがみんなプロだから映画を知ってるじゃないですか。僕はそうじゃないから。監督って、プロの現場では極端に言うと座っているだけだから、それがつらかったですね。自主映画では全部やったじゃない。カメラもやるし、段取りもやるし、全部やっていたのが、すべてある意味奪われたので。「ヤベえな。何やるんだ?俺」みたいな。「よーい、スタート」と言ったら現場は動いてるけど、勝手にブルドーザーが動いていっちゃった感じで。自分の方向の範囲内に何とか収めようというのに必死だった気がする。

――プロの作り方自体を知らないで現場に飛び込んでいくわけだから。

今関 そうそう。助監督経験もないから。それこそハンカチは誰が担当して、衣装は誰が担当してなんて、全然知らないから。「ああ、そういうことか」と思いながら。

――まず誰に何を言っていいか分からないですよね。この注文を誰にすべきなのか。

今関 そう。でも、今思えば何をやったっていいんですよね。「いい。全部俺がやる」と言ったっていいんですよ。でも、何かどこか遠慮している自分がいた。非常に悔しくて、モヤモヤしていて。現場は正直敗北したと思ってる。仕上げで何とかしたという感じがした。仕上げは誰もいないから。まあ、いないというわけじゃないけど。トリミングしたり、パンしたり、アイリスしたり、ワイプしたり(注1)、いろんなことをして、僕のテイストを入れようと必死に仕上げはやりましたね。

大オーディションで富田靖子を抜擢

――大オーディションをして、富田靖子さんを選んだんですよね。

今関 そうです。薬師丸ひろ子を募集した時の人数より多かったんです。応募者が12万7000。撮影が夏休みだったので応募者も多かった。だから現場も大変だったけど、それより疲れたのはオーディション。まず、書類選考。美人コンテストなら簡単に写真でパッパパッパでいいけど、アイコってキャラクターを選ぶので、会わないと分からないんですよ。予備オーディションでは1カ月半ぐらいで1万人と僕は会ってます。北海道から九州、名古屋、大阪、東京と、転々とオーディションして、ひたすら会い続けたのは大変なことでしたね。

――メイキングが同時上映されました。

今関 そうです。『グッドバイ夏のうさぎ』というドキュメンタリーで、大林さんのCM時代の仲間の山名兌二さんが演出していた。オーディションで靖子ちゃんが選ばれるまでとか、撮影中の苦労とかをやってました。これが面白いんですよ。悪いけど本編より面白いですよ。

――YouTubeで見直しました。

今関 面白いでしょう。

――非常に印象的だったのが、長ゼリフの、教室で富田靖子さんが泣くシーン。一度撮ったのに、最後リテイクしたんですね。

今関 僕も泣いてましたから。あれはうまくいかなくて。靖子ちゃんはまだ14だったんですよ。一緒に出ていた松下由樹ちゃんとか宮崎ますみちゃんとか、みんな17~18だったので。

――すごく面白かったのが、共演のベテランの方々、藤田弓子さんとか犬塚弘さんとかが靖子ちゃんにアドバイスするところ。

今関 紺野美沙子さんとか、みんないろいろ。「自分の自由にやっていいのよ」とかね。

――『さびしんぼう』で藤田弓子さんが靖子ちゃんのお母さん役をやっていますが、あのコンビは『アイコ』からだったんですね。

今関 そうです。藤田弓子さんは本当にあそこからスタートで。僕の映画も、あと、テレビでも出てもらってるし、最近だと『釜石ラーメン物語』でも藤田弓子さんに出ていただいて。

注釈
1)それぞれ後処理で映像に加工する技法。

〈 チェルノブイリの悲劇を描いた映画の完成直後に事件を起こした今関あきよし監督が、どん底のブランクから復活するまで 〉へ続く

(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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