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チェルノブイリの悲劇を描いた映画の完成直後に事件を起こした今関あきよし監督が、どん底のブランクから復活するまで

文春オンライン / 2025年2月2日 6時0分

チェルノブイリの悲劇を描いた映画の完成直後に事件を起こした今関あきよし監督が、どん底のブランクから復活するまで

今関あきよし監督(左)と小中和哉監督 ©藍河兼一

〈 応募者12万7000人、一大オーディションで富田靖子を見出したプロデビュー作『アイコ十六歳』は「敗北だった」と今関あきよし監督が振り返る理由 〉から続く

『アイコ十六歳』でプロデビューしたものの、悔しさが残った今関監督。自らの実力不足を感じ、映画やドラマ、MVなど様々な仕事で経験を積んでいった。そして、ソ連崩壊直後のロシアを描く大林宣彦監督のドキュメンタリー撮影に同行したことから、関心を持ったチェルノブイリの悲劇を映画化する。ところがその完成直後に――。(全4回の4回目/ 最初から 読む) 

◆◆◆

『四月の魚』で大林監督の現場を経験

――今関さんはその後も大林さんの映画のお手伝いが多かったですね。

今関 『アイコ十六歳』をやってプロの現場を知って、悔しい思いをいっぱいしたので。これで消えちゃったら嫌だなと。当時、新人で監督デビューしても、消えちゃう監督が結構いたんです。なんとしても力を付けて持続していきたいと、テレビをやったりした。鈴木清順主演でテレビドラマを京都太秦で撮ったり、連ドラや2時間ドラマをやったり、『アイコ』以降僕はテレビ時代に突入したんです。それで段取りも含めていろいろ現場を覚えるわけですよ。それをやりながら、大林さんからもお声がかかって、『四月の魚』というYMOの高橋幸宏さん主演の映画のメイキングをやってくれないかと。まだフィルム時代だから、メイキングも16ミリフィルムなんです。日芸でカメラをやっている2人をアシスタントに呼んで、3人でメイキングを回すというのが、大林さんの映画に直接かかわる最初だった。

――『四月の魚』にメイキングで付いて、いかがでしたか?

今関 結局現場を見ていると僕らがやっていることとあんまり変わらなくて、時間がなきゃないでぶん回しで撮って、編集を見たら間を抜いてる。似てるようなことをやってるんだなと身近に感じた。あと、やっぱり体力があるなと。メイキング班が疲れちゃって、現場移動する時に、いつも本編スタッフに起こされてました。

――大林さんは寝ないでいい人でしたからね。

今関 それで、大林さんの映画のBカメをやったり、『SADA』の時なんかも編集を手伝ったりとか、いろんなことをやらせていただいて。大ファンの人間が監督を手伝うなんて本当に恐れ多くて、かつ、面白かったし、刺激的でした。

大林監督のドキュメンタリーに参加

――黒澤明さんのドキュメンタリーもありましたね(注1)。

今関 黒澤さんの『夢』という映画を1年ぐらい追いかけなくちゃいけないから、萩原一則君と(大林監督の長女の大林)千茱萸ちゃんと僕で現場にベタに付いて。ジョージ・ルーカスとかそうそうたるメンツにお会いできたり黒澤さんの現場もじかに見れたし。貴重な体験ですね。

――ロシアのドキュメンタリーはその後?

今関 はい。『ロシアンララバイ』(注2)というので、ロシアではテレビ放送されたんですけど。ソビエト連邦が崩壊した直後のロシアに行った。まだモスクワ市内に銃弾や戦車の跡が残っているぐらいで。でも欧米の文化が入ってきていて、ピザハットができたり、変わってきている頃。それをロシア側が世界の監督に撮ってほしいというので、ドイツの(ヴェルナー・)ヘルツォーク監督とか、いろんな監督が入って、日本は大林さんだった。大林さんは一般家庭に住んで子守歌についてのドキュメンタリーを撮った。都会や田舎の家庭に1週間くらい住んで、おばあちゃんに昔の歌を歌ってもらったり。大林さんはやっぱり8ミリおじさんで、8ミリカメラでコマ撮りしてロシアを旅してました。

『カリーナの林檎~チェルノブイリの森』を製作

――その関連もあって、チェルノブイリの映画を撮ったんですか?

今関 そうそう。大林さんとロシアに行って、いつかこういうところで映画を撮りたいなと漠然と思って。それがずっと頭の隅にある中で、いろんな劇映画を撮って間が空いて、チェルノブイリのことがたまたま車のラジオから聞こえてきた。「チェルノブイリってどこだっけ」と調べたらウクライナで。もともとはソビエト連邦の一つだったので。だんだんのめり込んで調べ始めていった。

 それで『カリーナの林檎~チェルノブイリの森~』という映画を撮った。チェルノブイリのドキュメンタリーは結構あるんです。日本人のドキュメンタリストも撮っている。でもドキュメンタリーではなくて、ドラマであのチェルノブイリのことを語る映画を作ってみようと。結構長く取材に行って、一回放射能で逃げた方とか、旦那さんを亡くした方とか、いろんな方を取材した。それから撮影をするので、大変でした。

――スタッフはどういう編成だったんですか? 

今関 日本からのスタッフは5人ぐらい。通訳とコーディネーターと車両とか向こうのスタッフも入れてトータル10人弱。

空白期間を経て、追加撮影をして公開

――それを劇場公開する頃に今関さんは事件を起こして(注3)空白期間が始まった。

今関 そうです。完成して、関係者用の試写をした直後ぐらいですね。そこからどん底の世界に入って。

――それから服役して、ブランクがあって。刑期を終えてからもすぐには仕事が再開できなかった。

今関 やる気もなかったし、やれないと思ったし。一番大きいのは大林さんですよね。大林さんと(妻の)恭子さんにはちゃんと謝らなくちゃいけないけど、会いづらいじゃないですか。なかなか連絡を取れなくて……1年半後ぐらいかな。会って謝りたいと連絡を取って。でもその時、恭子さんはまだ許してくれなくて、大林さんだけは会ってくれた。最初の10分ぐらいずっと僕は泣いてましたね。話ができなくて――。

 そのあと『カリーナの林檎』に追加撮影をした。劇映画に現実であったというドキュメンタリーの要素を足そうと、もう一度段取りして、もう一回チェルノブイリに行って撮った。

 そうこうしていたら、日本で3.11の東日本大震災があって、急にこの映画がピックアップされるようになって。いろんな人から電話も来た。それで3.11の年の冬、12月ぐらいから、いろんなところに全国で公開されるようになった。映画を上映したいというなら、映画館だろうが自主上映だろうがどこでも付いていきますと。マンションの一室でやったこともありますし、お寺や教会でもやってます。そこへ行って、一緒に話をさせていただくというのを、それ以降1年以上ずっとやっていた。

ウクライナで『クレヴァニ、愛のトンネル』を撮影

――その後に、本格的な復帰作の『クレヴァニ、愛のトンネル』を撮ります。

今関 あれはウクライナですね。ウクライナ=チェルノブイリじゃなくて、美しいウクライナを見せたいという気持ちもあって。主演は未来穂香、今は矢作穂香。穂香ちゃんはその後大林さんのヒロインになった。『花筐』で。

――そうですね。『クレヴァニ』のプロデューサーは関顕嗣君(注4)でした。

今関 そうです。新作は無理だろうなと思っていたら、関君から連絡があって、予算は少ないけどキャバクラの映画をやらないかと。田舎から来た右も左も分からない新人の女の子がのし上がっていく話はどうだろうというので、企画書を見ながら考えたけど、結局10日ぐらいして「やっぱり無理だわ」と答えた。心情的にも今は無理と。でも、僕はこれを撮ろうとしてるんだと、クレヴァニにある緑のトンネルを『世にも奇妙な物語』みたいな不思議な空間として描く短編を自主企画でやろうとしていると話したら、「それいいですね」とその短編を長編にできないかとなった。日本編を足せばいけるんじゃないかと、急遽シナリオに手を加えて撮ったのが『クレヴァニ、愛のトンネル』です。

――その時もウクライナロケもあり、少人数スタッフだったんですよね。

今関 そうです。『カリーナ』の時よりもっと少人数でやりました。

――その人数で映画が撮れるのはデジタル化のおかげも大きいですよね。

今関 デジタル化のおかげと、あと、8ミリで育ったので、まあ何とかなると。プロでずっとやってきた人はなかなかできないだろうけど、僕なら創意工夫ができると。キャストとカメラがあればなんとかなるっていう。

小回りが利く体制での映画製作

――それ以降けっこう速いペースで撮ってますよね。

今関 そうです。小回りの利く体制で。撮りたいものがいっぱいあったのと、予算が少ないんだったら僕自身もプラスアルファを出すことで作れた。また海外撮影ですけどね。次にモスクワで撮って、その次は台湾で撮ったりとかして。

――自主映画の体制で作ってもデジタル化のおかげで劇場にかけられることが可能になりました。

今関 そうそう。だから、自分の中ではお金がないから不自由とはあんまり思ってなくて。大所帯になると、小回りが利かなくなってめんどくさいことも多いし、まして海外ロケだと、そうしていかないと撮れないところもあった。ロシア語は分からないけど、ロシアのスタッフと一緒にああだこうだ言いながら撮るのも楽しかった。ウクライナしかり、台湾しかり。向こうの現地の人とコミュニケーションするのもすごく楽しかった。

――僕も、予算が集まらないから映画が撮れないじゃなくて、デジタル化のおかげでゼロベースでも何とかできるんだという思いになって、『Single8』は自主映画体制で撮った。今関さんにもBカメで参加していただきました。

今関 ありがとうございました。楽しかったです。

――一周した感じがしたんです。自主映画にまた戻って。でも、それがちゃんと劇場にかけられて、映画として見てもらえる時代になったんだなと。

今関 別にすごい大作映画を無理やり安く作るのと違うじゃない。もともとそんなに予算かからない映画だから。それを自由に撮れるというね。名も知れない人が撮った映画でも急に大ヒットしちゃう映画もあるし、面白ければいいという、まさに当たり前のことになっている。『カメラを止めるな!』や『侍タイムスリッパー』みたいな映画がたまに出てくるのも面白いですよね。

注釈
1)『映画の肖像 黒澤明 大林宣彦 映画的対話』(1990)

2)『Momentous Events : Russia in the 90s「Russian Lullabies」』

3)今関監督は2004年8月に法定強姦と児童買春の罪で懲役2年4カ月の実刑判決を受けて服役した。

4)関顕嗣 プロデューサー 代表作『さくら』『さよなら、バンドアパート』『Single8』など。

(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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