「ごめん、またがんなんだよね」家族に黙って「子宮がん検査」を中断、それを知った母は…2度のがんを経験した女優・原千晶(50)が語る「人生最大の後悔」
文春オンライン / 2025年1月31日 20時0分
女優の原千晶さん ©石川啓次/文藝春秋
「あなた、よくこんなになるまで放っておいたね」――かつて2度の子宮がんを患った、女優の原千晶さん(50歳)。彼女が病魔の進行に気づけなかった理由は、最初のがん発覚以降、習慣化していた定期検査を中断してしまったから。当時はそんな自分を省みて、家族や恋人など「大切な人たちを裏切ってしまった」と後悔する日もあったという。
原さんが「人生最大の失敗」と語る、当時のエピソードを前後編に分けてお届け。2度のがんとの戦いは、彼女の人生をどう変えたのか?(全4回の1回目/ 2回目を読む )
◆◆◆
30歳で子宮頸がんに
――30歳の時に子宮頸がんが分かったそうですが、発覚したきっかけは何だったのでしょうか。
原千晶(以下、原) 昔から生理が重く、ドラマの撮影現場で痛みで倒れたこともありました。がんが分かる半年くらい前から生理中以外も体調が悪く、不正出血や血液が混ざったようなオリモノが出るようになっていました。友人に相談したところ、受診を強く勧められました。
友人に教えてもらった婦人科を受診すると、「子宮頸部に1cmくらいの腫瘍がある」と告げられました。そして翌年の2005年2月に子宮頸部を円錐状に切除する手術を受け、切り取った組織を病理検査した結果、子宮頸がんを宣告されました。医師からは「子宮を全部取りましょう」と勧められました。
――その時はどんな心境でしたか。
原 がんのステージが1Aの1期という初期だったことにはホッとしたのですが、子宮全摘手術を提案されたことは衝撃的でした。「将来は赤ちゃんを産みたい」という気持ちが強かったので、「今なら子宮をとるだけでいいんだよ」という医師の言葉は、追い討ちをかけられたように感じました。
――がん宣告を受けた時は、お母様が同席されたそうですね。
原 母が北海道から来てくれて、2人で検査結果を聞きました。まさかがんだとは思わず、「検査結果を聞いたらやっと安心できるね」と言っていたんです。母も相当ショックを受けていましたが、「子宮をとりましょう」と言われて私が泣き出すと、膝の上で私の手をギューッとすごい力で握ってくれました。「大丈夫だよ」と励ましてくれるのが伝わってきましたね。母自身も、手を取り合うことで気持ちを保っていたのかもしれません。
――他のご家族は、原さんのがんをどう受け止めたのでしょうか。
一度は手術を決意したけれど…
原 その数年前に、父が大腸がんの手術を受けていたんです。私のがんが発覚した時には父は復職して元気に過ごしていたのですが、自分よりもずっと若い娘ががんになったことは青天の霹靂だったと思います。さらに、父の母も若くしてがんを患っており、父が11歳の頃に34歳で亡くなっているんです。そのこともあって、父にとってはかなりのショックだったと思います。
――治療方針については、どうやって決めたのですか?
原 父も母も一貫して、「お願いだから、先生のいう通り手術を受けてほしい」と言っていました。直近に父のがんを経験しているからこそ、再発や転移を未然に防ぐためには子宮全摘をした方がいいと分かっていたのだと思います。「孫の顔を見せないといけないと考えないでほしい」と父に泣きながら説得されたことは、かなりこたえましたね。
友達を含め、周りの人全員が「絶対に手術をした方がいい」と言いました。皆の説得を受けて「子宮を失っても、仕事を頑張れば何とかやっていけるかもしれない」と無理やり考えるようになりました。それで一度は、「手術を受けます」と決意したんです。
――その後、子宮全摘手術を受けなかったのはなぜだったのでしょうか。
原 手術予定日まで1ヶ月あり、その間に「子宮をとったら終わりだ」という思いが強くなっていきました。「手術をしなくても、がんは再発しないかもしれない」と都合よく解釈したり、「これほど悩むなら、手術をしたら後悔するんじゃないか」と徐々に思い詰めるようになったんです。手術の2日前に、気づいたら先生に電話をして、「手術できないです」と言ってしまいました。
先生は私の意志を尊重して、「今回は手術はやめましょう」と言ってくださいました。ただ、その条件として1ヶ月に1回大学病院で検査を受けること、次に少しでも異常があったら今度こそ手術を受けることを約束しました。
――5年後に、がんの再発が分かったのはなぜだったのでしょうか。
大切な人たちを裏切った――人生最大の後悔
原 2年間は毎月1回検査に通っていたのですが、ある時たまたま予約していたのを忘れて、キャンセルしたことがあったんです。それがきっかけで「来月でもいいか」と先延ばしにするようになり、ズルズルと病院に行かなくなってしまいました。その頃は不正出血もなく、生理痛も以前より軽減されて体調が良くなっていたんです。「腫瘍は切除したし、2年も何もなかったんだから、もう大丈夫だろう」と勝手な判断をしてしまいました。
母や、当時交際中だった夫は、「今月は検査に行ったの?」と聞いてくれていました。それなのに、「いつまで病人扱いするんだ」というひねくれた気持ちが湧いてしまい、「検査しているから大丈夫だよ」と嘘をついていました。
そこから2年半が経った2009年末に、体調が急激に悪くなりました。不正出血や、腰の鈍痛があり、水のようなオリモノが出ました。怖くなってクリニックに駆け込むと、すぐにがんの専門病院を紹介され、医師から「あなた、よくこんなになるまで放っておいたね」と呆れるように言われました。
――再発したがんは、どんな状態だったのでしょうか。
原 悪性の高いがんが子宮の頸部に広がっているのが、肉眼でも分かるくらいになっていました。さらに、リンパにも転移しているということでした。私は「もう子宮をとります」と観念したのですが、医師は驚いたように「もう子宮をとるだけでは済みませんよ」と言いました。
医師からは、子宮だけでなく、卵巣や卵管、骨盤の中のリンパなども摘出する「広汎子宮全摘手術」を勧められました。手術後はすぐに抗がん剤治療を開始する必要がありました。
その時、5年前の先生が言った「今なら子宮をとるだけでいいんだよ」という言葉の意味がやっと分かりました。どうしてもっと早く理解できなかったのか、泣いてもわめいても後の祭りです。2人の大切な人を裏切って、悲しませることになってしまった。自分の行動を心の底から後悔しました。
――再発について、ご家族にはどう伝えたのでしょうか。
原 母には、すぐにはとても言えなくて、「どれだけ失望させるだろう、怒らせるだろう」と悩みました。1週間以上経ってから思い切って電話をして、「ごめん、またがんなんだよね」と言ったところ、母は数秒間何も言わなかったんです。
――がんが再発したことを告げた時、お母様はどんなことを仰ったのでしょうか。
〈 がんで子供が産めない体に、それを知った夫の家族は…女優・原千晶(50)が涙した「義両親のあたたかさ」 〉へ続く
(都田 ミツコ)
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