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8歳でメキシコへ移住、芸能界は「甘い世界じゃない」と言われ…朝ドラ女優・上白石萌音(27)がかつて志した“もう一つの職業”

文春オンライン / 2025年1月27日 11時0分

8歳でメキシコへ移住、芸能界は「甘い世界じゃない」と言われ…朝ドラ女優・上白石萌音(27)がかつて志した“もう一つの職業”

上白石萌音 ©文藝春秋

 2021年度後期のNHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』が昨年11月より総合テレビで平日昼間に再放送されている。大正時代末から始まる物語のヒロインは3代にわたり、再放送はすでに2代目の深津絵里演じるるいのパートに入っている。このあと、るいの娘の3代目のヒロインで、川栄李奈演じるひなたの登場を控える。

27歳の誕生日を迎えた

 すでに出番は終わってしまったが、るいの母親で、ひなたの祖母にあたる初代ヒロイン・安子を演じたのは、きょう1月27日に27歳の誕生日を迎えた上白石萌音だ。安子は、夫の稔(松村北斗)を戦争で亡くし、戦後の混乱期のなか忘れ形見である幼い一人娘・るいを女手一つで育てつつ、毎朝ラジオの『英語会話』(通称「カムカム英語」)を聴いて英語を学ぶ。劇中では彼女が終戦の年のクリスマスに出会い、やがて恋に落ちることになった進駐軍将校のロバート(村雨辰剛)と流暢に英語で会話する場面もたびたび出てきて、上白石の語学力の高さをうかがわせた。

映画の字幕翻訳家を志したことも

 上白石は中学時代、学校と学習塾の公文で英語の基礎を学びながら、当時夢中になっていた映画『ウォールフラワー』や『赤毛のアン』の原書や、幼いころから口ずさんでいた洋楽の歌詞を、辞書を引きながら自力で訳しては楽しんでいたという(『AERA English』2020 Autumn & Winter)。

 やはり中学時代には、舞台俳優になりたいと思い、両親に相談したところ「そんなに甘い世界じゃない」と言われてしまったため、もう一つの夢である映画の字幕翻訳家を志したこともあったとか(『週刊朝日』2018年4月20日号)。

家族でメキシコへ移住

 語学が好きになるきっかけは、小学生のときにさかのぼる。地元・鹿児島の中学校の教師だった父親が研究のため赴任したメキシコへ家族で移住し、8歳から11歳まで暮らしたのだ。現地の言葉であるスペイン語の聴き取りが得意で、あるとき、ドライブスルーで店員が早口でしゃべるのを聴き取ってその内容を話してみせ、家族を驚かせたこともあったいう(NHK出版デジタルマガジン「学びの秘訣」2022年7月25日配信)。

 語学が得意なのは、もともと音楽の素養があるからなのかもしれない。母親がピアノ教師だったこともあり、物心がつく前から音楽がそこかしこにある環境で育ち、《私、話すより先に歌っていたんです。家の中でも、音楽がかかると歌い踊りだすような子供でした(笑)》と振り返る(『サンデー毎日』2017年7月30日号)。稽古事にも幼い頃から熱心で、4歳で体操、6歳でミュージカル、7歳でバレエを習い始めた。

「すごく恥ずかしがり屋なのに、歌ったり、踊ったり、それを誰かに見てもらうのが好きでした」

 こうして見ると、幼い頃から演じることに興味があったのだろう。本人に言わせると、じつは小さい頃から引っ込み思案で、《すごく恥ずかしがり屋なのに、歌ったり、踊ったり、それを誰かに見てもらうのが好きでした。矛盾していますよね。メロディーの力を借りていつもとは違う自分になる、そんな感覚がありました。それは今も変わらなくて、役があれば胸を張って舞台に立てます》(『週刊文春』2021年11月11日号)。

 もっともメキシコでは、通っていた日本人学校と同じ敷地内にあった現地の学校の生徒らとしばしば遊んだり、陽気なメキシコ人と交流するうち、小学6年生で帰国したときには周囲から明るくなったと言われるほど性格が変わっていたらしい。

鹿児島へ帰りたいと思った理由

 じつはこのとき、メキシコにもう1年いるかどうか家族で話していたのだが、彼女は「帰りたい」と両親に伝えたという。その理由の一つは、鹿児島で習っていたバレエの発表会の映像を見て、「ここにいたらみんなから遅れちゃう」と思ったことだった。ほかにも、理由のわからない胸騒ぎもあったという(『婦人公論』2021年10月12日号)。

妹とそろって「東宝シンデレラ」に合格、中学生でデビュー

 ミュージカル教室の恩師の勧めで、「東宝シンデレラ」オーディションに2歳下の妹・萌歌とともに応募したのは、メキシコから鹿児島に戻った翌年、2010年のことだった。ただ、二人とも受かるとはまったく思っておらず、せいぜい《2次審査は福岡に行けるとか、最終まで残ったら東京に行けるっていうことが楽しみで》いた程度だったという(『anan』2020年9月2日号)。それが年が明けて2011年、同オーディションで審査員特別賞に選ばれ、グランプリを受賞した妹とそろって芸能界入りのきっかけをつかむ。同年にはNHKの大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』で俳優デビューを果たした。

 デビュー当初は中学生で、仕事があるたび鹿児島から東京に通い、行き帰りの飛行機ではずっと勉強ということもしばしばだった。それでも地元には愛着があるだけに離れるのが嫌で、2013年、高校入学のタイミングでようやく腹をくくって上京する。折しもこれと前後して、大きなチャンスが巡ってくる。映画『舞妓はレディ』(2014年)の主演を決めるオーディションだ。

 この映画は監督の周防正行が15年以上かけて取材など準備を進めていた企画ながら、この時点で決まっていたのはタイトルだけで、まだ脚本はなかった。周防によれば、オーディションでこの子だと思えるヒロインが見つからなかったら企画自体をやめるつもりでいたという。そこへ現れたのが上白石だった。周防はこのときのことを次のように振り返っている。

「この子は外せない」と思わせる歌声

《萌音さんは普通の中学生で特段目立つ感じでもなかったけれど、歌を聴いた瞬間、驚きました。審査される場なのに、今ここで歌えることが嬉しいという喜びにあふれていて、こちらまで幸せになる。声がスッと心に届いてきました。まだオーディションの途中でしたが、『この子は外せない』と。/彼女なら、少女が一途な思いで舞妓になって輝いていく成長の姿を見せられると思いました》(『週刊新潮』2022年6月10・17日号)

 こうして800人のなかから見事主演に選ばれる。とはいえ、この時点で彼女の演技力は未知数で、周防もさすがに芝居には苦労するだろうと思っていたようだ。しかし、いざ撮影に入ると、彼女はセリフを完璧に入れており、一発OKしたテイクのほうが多かったぐらいだという。それも、ただ言われるままに動くのではなく自分で考えて芝居ができるし、ベテラン俳優との芝居でもきちんと反応して演じられるとあって、監督が苦労することはほとんどなかったとか。上白石にとっても『舞妓はレディ』は最初の転機となった作品であり、《周防正行監督に見つけていただいたからこそ、今がある気がしています》とのちに語っている(『女性自身』2019年9月17日号)。

 オーディションで監督の心を射止めるということは、上白石が広く世に知られるきっかけとなったアニメ映画『君の名は。』(2016年)でも繰り返された。( 後編に続く )

(近藤 正高)

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