ショートパンツ始球式、「これからはきーちゃん」宣言から5年…氷川きよし(47)紅白での袴姿に込められた“意味”
文春オンライン / 2025年2月3日 6時0分
氷川きよし ©️時事通信社
きのう2月2日、氷川きよしが歌手デビュー25周年を迎えた。氷川は昨年(2024年)8月、1年8ヵ月にわたる活動休止を経て単独コンサートで歌手活動を再開すると、大晦日の紅白にも特別企画の枠で2年ぶりに復帰を果たした。
活動に一旦区切りをつけた2年前の紅白では、歌い終えたあと「また必ず帰ってきます」と約束していた。その言葉どおりNHKホールのステージに帰ってきた氷川は、前回歌ったヘヴィメタル調の楽曲「限界突破×サバイバー」とは打って変わって、自身の代表曲の一つで正統派の演歌「白雲の城」をじっくり聴かせた。
「白雲の城」を歌った理由
なぜ、紅白復帰のステージに演歌を選んだのか? その理由は、出番を前に司会の伊藤沙莉が代読した次のメッセージであきらかにされていた。
《活動休止中、これまで支えてくれた皆さんの気持ちにも触れ、自分にとって演歌、そして氷川きよしという存在がかけがえのない大切なものだということに気づくことができました。復活後のコンサートでその思いはますます大きくなり、確信となりました。今夜はこれまでの感謝とこれからも歌い続けるという決意を込めて精一杯『白雲の城』を届けたいと思います》
改めてこのメッセージを読むと、彼のなかでは歌手活動を続けるうち、“歌手・氷川きよし”と本来の自分である“山田清志(本名)”とのギャップに悩むこともあったのだろうとうかがわせる。それが休業中に自身を見つめ直し、さらに復帰後、待ちかねていたファンの反響を見て、いま一度氷川きよしとして生きていくことを決意した――メッセージからはその覚悟のほどが伝わってくる。
2000年デビュー、ノリのいい“股旅物”から王道の演歌へ
25年前の2000年2月2日、氷川は「箱根八里の半次郎」で歌手デビューを果たした。この曲は、ばくち打ちや芸人などが各地を股にかけて旅するさまを歌う“股旅物”と呼ばれるジャンルで、当時すでに時代遅れと思われていた。当時22歳だった氷川も股旅と聞いて、猫が好むマタタビかと思ったという。
だが、所属する長良プロダクションの創業者で、多くの人気歌手を育ててきた長良じゅんは、氷川は股旅物を歌っているときに一番いい声を出すと見抜き、これでデビューさせると決めたのだった。ふたを開けてみれば、この時代にあって新人の男性演歌歌手では異例の大ヒットとなる。曲中のフレーズ「ヤだねったら、ヤだね」も流行り、翌2001年の新語・流行語大賞のトップテンにも選ばれた。
続いて2001年に出した「大井追っかけ音次郎」も股旅物だった。2度目の出場となった同年の紅白では、彼がこの曲を歌ったステージが番組最高視聴率の52.4%を記録する。その後も「きよしのズンドコ節」「星空の秋子」とあいついでヒットを飛ばすも、いずれもノリのいいメロディで、演歌のなかでもポップス歌謡寄りといえる曲だった。
そこへ来て2003年、5枚目のシングルとしてリリースされたのが、氷川が今回の紅白で披露した「白雲の城」である。白い着物に袴姿で、どっしりと構えて歌い上げる王道中の王道の演歌であった。
氷川自身、この歌をもらって身の引き締まる思いであったのだろう、発売時のインタビューでは《今まではどちらかというとノリのいい感じの曲が続きましたけど、今回はこういう硬派な曲で……。歌唱力が問われるじゃないですか、こういう曲は。だから、この曲を出す、ここからが勝負かなって思ってるんですけどね、僕の中では》と語っていた(『ザッピィ』2003年3月号)。ファンも満を持しての王道の演歌を歓迎し、Jポップが席巻するオリコンのシングルヒットチャートでも最高位3位と健闘する。
「氷川きよしが歌うから、古臭い歌に耳を貸す」
ミュージシャンの近田春夫は当時、週刊誌での連載コラム「考えるヒット」で、氷川はデビュー以来、アーティストイメージをどこまで柔軟に見せるかということに力を注ぎながらも、あくまで演歌というフォーマットのなかで四隅を伸ばしてきたと指摘した上で、彼の歌う「白雲の城」を次のように賞賛している。
《この曲が、どれだけ名曲だったとしても、他の人が歌ってチャート的な説得力をどれほど発揮出来るのか。ハッキリいって誰も無理なのではないかと思う。氷川きよしが歌うから、我々リスナーは、この、とてつもなく古臭い歌に耳を貸すのである。そして、その古臭さの奥にある、忘れかけていた何かに触れることになる。/この曲のヒットで私は思う。演歌が死んだのではない、その歌う人達のほとんどが、我々をふりむかせてくれないだけなのだと》(『週刊文春』2003年3月13日号)
まるで氷川が演歌の救世主であるかのような書きぶりだが、男性歌手にかぎっていえばたしかにそのとおりだったのかもしれない。その証拠に、氷川は2008年の紅白で初めて大トリを務めたが、それ以降、演歌で白組のトリを務めたのは大御所・北島三郎しかいない。
とすれば、氷川に対して演歌界内部ではおそらく過剰ともいえる期待がかけられ、彼自身にプレッシャーとなってのしかかっていたことは容易に想像できる。実際、彼はそのことをほのめかすようなことも口にしている。
歌うことが苦しかった時期
《自分は歌が、音楽が大好きなんです。ジャンルにかかわらず、歌で表現したいことがたくさんある。なのに自分には歌っていい歌と歌ってはいけない歌があるのかもしれない。そう思ってしまった時期がありました》とは4年ほど前のインタビューでの発言だ(『フィガロジャポン』2021年1月号)。周囲の期待に真摯に応えるため、おそらく彼は自分の表現を枠にはめてしまったのだろう。《いちばん苦しかった時は、声がうまく出せなくなってしまったくらい》だという(同上)。
演歌ばかりではなくアニメソング、洋楽カバーまで
しかし、彼は徐々に枠を取り払っていく。発端となったのは2017年、前出の「限界突破×サバイバー」をリリースしたことだ。この曲はテレビアニメ『ドラゴンボール超(スーパー)』の主題歌で、氷川きよしが歌えるのは演歌ばかりではないと世間に強く印象づけることになった。同年夏には、さいたまスーパーアリーナで開催されたアニメソングの祭典「アニメロサマーライブ」にもシークレットゲストとして出演する。このとき氷川がこの曲を歌い出すと、数万もの観客からペンライトが振られ、大盛り上がりとなったという。
この年、氷川は40歳となり、歌手生活も20年目にさしかかろうとしていた。のちに当時を振り返って、《40歳になったし、自分は自分を生きなければと。まわりが思う私を生きることも大事ですが、自分にしっくりくることを選ぶべき年齢になったと思ったのです。そうしなければ次の20年を歌い続けられない。だって、自分以外の誰かにはなれないから。演歌歌手だからって、ほかのジャンルを歌ってはいけないわけではない。その時代に合わせ臨機応変に表現していたっていい。ルールはないですからね。楽しまなければと》と語っている(『GINGER』2021年5月号)。
喝采を浴びた「ボヘミアン・ラプソディ」
デビュー20年目を迎えた2019年12月には、恒例のクリスマスライブで伝説のロックバンド・クイーンの名曲「ボヘミアン・ラプソディ」を日本語詞で歌い上げ、大喝采を浴びる。氷川にとってはこれが初めての洋楽カバーだった。日本語の詞を書いたのは、彼がことあるごとに相談に乗ってもらうなど信頼を置いている作詞家の湯川れい子である。
氷川はその前年、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーを主人公とした映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て、フレディの孤独に触れ、いたく感動したらしい。そこで相談を受けた湯川は、それまで訳詞を認めてこなかったクイーン側を説得しながら、日本語詞を書いて提出し、半年ほどかかってようやく許諾を得る。それからオーケストラのアレンジやコーラスを入れる作業を行い、氷川が歌うにいたったのはじつにクリスマスライブ本番の9日前だった。
このとき、湯川は氷川と楽譜を前に綿密に打ち合わせしたあと、別れ際、《自分の人生、死ぬか生きるかの瀬戸際まで追いつめられて、自分の母親に“ママ、ごめんなさい。僕が帰って来なくても生きて。生きてくれ!”と叫ぶ気持ちで演じ切ってみせてね》と彼に伝えたという(「週刊女性PRIME」2020年1月23日配信)。
氷川は訳詞者の希望に見事応えてみせる。完全に主人公になりきりながらも、けっしてフレディ・マーキュリーの真似ではない。客席で見守っていた湯川は感激に打ち震え、彼が歌い終わった瞬間、「ブラボー! ブラボーブラボー!」と叫んでいたと振り返る(同上)。
氷川きよしから「KIINA.」へ
これと前後して、氷川はプロ野球の始球式にミニパンツ姿で登場したり、自身のInstagramで純白のウェディングドレスを彷彿とさせる衣装の写真を公開したりと、フェミニンな雰囲気を醸し出すルックスへと変貌を示し、注目を集めていた。
コンサートでも、クイーンのカバーに先立ち、前年(2018年)から美輪明宏の「ヨイトマケの唄」をカバーするようになっていた。きっかけは、氷川と同じ九州出身の美輪が(氷川は福岡、美輪は長崎)、地元で“女っぽい”からとの理由でいじめにあっていたという話を聞いたことだった。氷川自身、子供の頃に同じ理由からいじめられた経験があり、それからというもの自分をさらけ出したらだめだと頭にすり込まれてしまったらしい。《お芝居をやっても男の子らしくしようとか、『みんな一緒にさせる』という世間のルールに沿って生きてきた。(中略)デビューさせていただいてからも、演歌の世界で、男の世界で生きていこうとやってきたけれど、なにか違うと思っていて……》と、2019年に週刊誌の直撃取材を受けた際に告白している(『週刊新潮』2022年2月3日号)。
「私は自分に負けません」と宣言
だが、このときの氷川はもう自分の思いを曲げたりはしなかった。クイーンをカバーした2019年のクリスマスライブの直後には、紅白で初めて「限界突破×サバイバー」を披露している。その本番3日前のリハーサル後の会見では、この年初めからありのままの自分を表現しようと決意したことを明かすと、《これからはきーちゃんらしく、きよし君にはちょっと、さよならして。きーちゃんとして、私らしく。より自分らしく、ありのままの姿で紅白で輝きますから、それを見て皆さんも輝いて生きて下さい》と話し、最後は《私は自分に負けません》と宣言した(「スポーツ報知」電子版2020年1月1日配信)。同年の紅白は、氷川のイメージチェンジとともに、紅組トリのMISIAのステージではレインボーフラッグが掲げられ、性の多様性をアピールする演出で記憶されることになる。
翌2020年10月にリリースしたアルバムのタイトルは『生々流転』とつけた。氷川によれば《自分の持っているものを生かして表現したい、そしてもっと自分として輝きたいという深い意味を込め》たという(日本コロムビア・氷川きよし公式サイト・ディスコグラフィ『生々流転』)。同アルバムの収録曲の一つ「Call Me Kii」では、自分のことを「Kii」と呼んでほしいと歌った。のちには「KIINA.(キイナ)」とも称するようになり、氷川きよしとは違う新たなイメージを自身に付け加えた。
2022年11月には、アルバム『氷川きよし オリジナル・コレクションVol.03~ロック&ポップス&バラードの世界~「魔法にかけられた少女」』をリリースした。表題曲「魔法にかけられた少女」は、氷川がKiina名義で作詞し、長年親交のあるミュージシャンの木根尚登が作曲した。その詞では、魔法で少年の姿に変えられてしまった少女が、悩み苦しんだ末に、本来の自分を愛して生きると決意するにいたるまでの様子が切々と歌われている。氷川は発売に際し、《一番苦しんでいる人や悲しんでいる人が一番幸せになれる世の中に変えていきたいと思って、心の叫びを書きました》というコメントをレコード会社・日本コロムビアの公式サイトに寄せた(2022年10月25日配信)。
2022年末に歌手活動を一時休止
ここまで来るともはや迷いはなくなっていたように思える。しかし、2022年の頭には同年12月31日をもって歌手活動を一時休止すると発表していた。公式サイトでの告知文ではその理由が、《ここで一旦お休みをいただき、自分を見つめなおし、リフレッシュする時間をつくりたいという本人の意向を尊重しこの様な決断に至りました》と説明された。氷川のなかではこの時点にいたっても、今後歌手としてどう展開していくかなどの点で葛藤がまだあったのかもしれない。
子供の頃から歌うのが好きだった氷川だが、当時憧れていたのはポップス系の歌手だった。それが地元・福岡の商業高校で「芸能教室」という授業を選択すると、顧問が80歳近い教師で「わしは演歌しか教えられない」と言われ、請われるままに演歌を歌うようになる。最初は抵抗があったが、その教室のボランティア活動として慰問に訪れた老人ホームで、鳥羽一郎の「兄弟船」を歌ったところ、お年寄りが涙を流して喜んでくれるのを見て、演歌の魅力にのめりこんだという(『週刊現代』2008年3月22日号)。
高校3年でNHK BSのコンテスト番組に出場すると、作曲家の水森英夫にスカウトされ、卒業後に上京した。ファミレスなどでバイトしながら水森のもとで修業を積むこと3年半。1年目に徹底した発声練習により声が安定して出るようになると、懐メロのなかでも東海林太郎や三橋美智也などの音域が広くて難易度の高い曲を歌いこなせるよう鍛えられた。
ただ、デビューにあたっては紆余曲折があった。当時、若い男性の演歌歌手は売れないというジンクスがあり、彼を引き受けてくれるプロダクションがなかなか出てこなかったのだ。最後の最後にギター持参の水森とともに乗り込んだのが、前出の長良プロダクションであった。当時の会長・長良じゅんは氷川の歌声を聴くと、その場で「オレやるからな」と決めてくれたという(『AERA』2003年7月7日号)。
長良プロダクションからは昨年独立したとはいえ、こうした経緯があるだけに、氷川には演歌のおかげでいまの自分があるとの思いが強い。7年前のインタビューでは、《いま考えると、意見を素直に聞き過ぎた面もあるのかもしれません。たとえば、「演歌を歌ったら?」と言われて、「はい、わかりました」とか(笑)。でもそのおかげでいまの僕があるので、素直というのは悪いことじゃないなと、自分で自分を認めてあげています》と語っていた(『婦人公論』2018年9月25日号)。
葛藤の末にたどり着いた結論は
昨年8月の復帰コンサートをその舞台裏も含めて追った映画『劇場版 氷川きよし KIYOSHI HIKAWA+KIINA. 25th Anniversary Concert Tour KIIZNA』(今年1月31日より公開中)で、氷川は休業しているあいだ「氷川きよしとは何か」とずっと自問自答していたと明かしている。おそらく彼は、自分が本当に進みたい方向とあわせ、ファンが求めるものも考えに考え抜いたに違いない。
復帰コンサートの途中、ファンに向けて会場のスクリーンに映し出されたメッセージには《これまでの氷川きよしを置いていくのでもなく、KIINA.に生まれ変わるわけでもなく、すべて自分》との一文があったというが(『婦人公論』2024年10月号)、“すべて自分”こそ彼が自問自答の末にたどり着いた結論なのだろう。
思えば、復帰した紅白のステージでも氷川は、先述のとおり自分の持ち歌から演歌である「白雲の城」を選び、白い着物に袴という同曲定番の衣装をまといながらも、アイメイクをばっちり決めて中性的な雰囲気を漂わせた。その出で立ちも含めて、新たな氷川きよしはこれで行くのだという決意表明だったとも解釈できる。すべてを受け入れることで迷いを吹っ切り、昨年のツアー中に47歳となった彼は今後、どんなふうに年を重ねていくのだろうか。
(近藤 正高)
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