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「かっこよさとは無縁。しかし大胆」刺激的でチャーミングな〈ピンク映画ポスター〉は誰がデザインしていたか?

文春オンライン / 2025年2月8日 6時0分

「かっこよさとは無縁。しかし大胆」刺激的でチャーミングな〈ピンク映画ポスター〉は誰がデザインしていたか?

都築響一氏がピンク映画ポスターの魅力を語り尽くした。写真左は『祇園寝物語 京娘の初夜』 (1972年・ワールド映画)のポスター

編集者・写真家の都築響一氏が、 「ピンク映画ポスター」の魅力 を紹介する。

◆◆◆

ピンク映画ポスターの“雑草スピリット”

 日本の映画産業のピークは1960年だと言われていて、この年、全国には7400館を超える映画館があった。以後だんだん館数が減っていくのだが、ピンク映画が生まれ、花開いたのは、こうした時期でもあった。1956年生まれの僕としては、ピンク映画の最盛期はリアルタイムではぜんぜんないし、メジャー5社製ではないだけに名画座にかかることもほとんどないまま消えていったピンク映画の、実際のフィルムを観る機会もあまりなかったけれど、なぜ本をつくるほど興味が湧いたかといえば、それはなんともてきとうであらっぽくて、刺激的でチャーミングなポスターにすっかりこころ奪われたからだった。

 大手の映画製作会社にはそれぞれ意匠部があって、プロのデザイナーたちがしっかりしたポスターをつくってきたわけだが、極小プロダクションによるピンク映画は当然ながら予算も極小だった。

〈ピンク映画1本の直接製作費は300万円前後で、これにダビング料や編集費、映倫の審査費、スチール代やポスター代、プリント費用など諸経費を加えると、まあ、500万ほどになる。で、封切ったら、1000万ぐらいには確実になるんだ。ひとつの商品に500万の元手をかけて、それで500万儲けられるなんて商売は、そうないんじゃないかな。〉

(村井実『はだかの夢年代記 ぼくのピンク映画史』)

 予算がないだけに、プロのデザイナーや印刷会社に発注することが不可能だったピンク映画のポスターの大半は、街場の小さな印刷屋のオヤジによってつくられていた。高尚なデザイン哲学なんてものはひとかけらも存在しない、かっこよさとは無縁の、しかし大胆きわまりない人工着色の毒々しい写真と描き文字。どんな映画なのかはだれもわからない、とにかくポスターで客を釣り上げるしかなかったピンク映画ポスターの数々。斜陽の日本映画界で、予算も時間もないなか、ただアイデアと情熱だけで闘っていった最下層の映画人たち。地元住民に白眼視されながらも扉を閉めようとしなかった田舎の映画館主たち。その雑草スピリットが、デザイナーすらいなかったであろうポスターの一枚一枚に宿っていると言ったら、言いすぎだろうか。

見世物以上でも以下でもないエンターテインメント

 築100年を超え、現存する最古の映画館のひとつである福島県の本宮映画劇場の館主・田村修司さんによれば、四番館、五番館というような田舎の映画館では、大都市の封切館から流れ流れて傷だらけになった新作だけでは商売にならず、弱小プロダクション製作のピンク映画をしばしば同時上映して客を集めていた。時には浪曲、講談から女子プロレス・小人プロレス、ストリップまで「実演」興行も開いていたという。

 ピンク映画ポスターは「ポスター屋」と身も蓋もない名前で呼ばれた、小さな印刷所に発注されていた。地方の小屋主は街角の壁に貼りつけた毒々しいポスターでお客を集め、ときには映写機を車に積んで、映画館すらないような小さな町や村へと移動上映して回る。

 田村館主いわく――「むかしはアクションもの、犯罪ものとかの劇映画2本に、15分ぐらいのストリップ映画をつけるのをよくやってたね。映画のあと、夜10時ぐらいから実演タイムを設けたり。そういうときは田舎でしょ、お客は手ぬぐいで頬かむりしたり、帽子にメガネで顔隠したりして来るんだね。実演では女子プロや小人プロレスも、よくやったよ。男は動きが激しいから無理だけど、女子ならここのステージでもできたんだ。まあ、見に来るほうはエロ目的だけどね。ストリップの代わりというか、水着姿を見に来たんだから。小人(のレスラー)が、女子レスラーに絡むでしょ。おっぱいをギュッとやって、そいでバーンって叩かれて飛んでったり」。

「映画と実演」の幸福なマリアージュというか、ヤケクソのカップリングというか、そんなふうに牧歌的で、見世物以上でも以下でもないエンターテイメントとして映画を楽しめていた時代が、いまから40〜50年ぐらい前には確かにあったのだ。

※本記事の全文(約4500文字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「 文藝春秋PLUS 」に掲載されています(都築響一「 ザ・昭和 ピンク映画ポスターの雑草魂 」)。全文では、 他のポスター画像 のほか、下記の内容をお読みいただけます。
・日本映画のおよそ40%がピンク映画だった
・ピンク映画は極小予算。宣伝ポスターを作ったのは待場の小さな印刷会社
・エクストリームな手づくり昭和デザインの「すてかん」とは?
・「街場の印刷屋のオヤジのセンスにかなう気がしない」

(都築 響一/文藝春秋 2025年2月号)

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