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福岡の家族4人を惨殺、ダンベルで遺体を海に沈めた中国人元死刑囚の父親が語ったこと「死刑になっても仕方がない。ただ…」

文春オンライン / 2025年1月31日 18時25分

福岡の家族4人を惨殺、ダンベルで遺体を海に沈めた中国人元死刑囚の父親が語ったこと「死刑になっても仕方がない。ただ…」

A家会葬御礼

〈 海中に手錠が付けられた小学生2人と両親の遺体が…事件後に上海行きの便で帰国した「疑惑の中国人留学生」の正体 〉から続く

 なぜこんな高額な生命保険に――。

 2003年8月、その2カ月前に発生した、福岡市に住むAさん(41)と妻のBさん(40)、息子のCくん(11)、娘のDちゃん(8)が殺害された「福岡一家4人殺人事件」の取材をしていた私は、家族が加入していた生命保険についての詳細を入手した。

総額にして1億8700万円もの保険金

 それはA家が、1994年12月から96年8月にかけて外資系生命保険会社と、さらに98年9月に国内の生命保険会社との間に結んだ契約で、総額にして1億8700万円もの支払いがされるものだった。

 その内訳(かっこ内は月々の支払額)は、以下の通りである。

 Aさんが死亡した場合(以下同)に1億2000万円(9万4000円)、Bさん2500万円(1万8000円)、Cくん2100万円(1万6541円)、Dちゃん2100万円(1万6052円)。

 掛け金の総額だけで、月々に14万4593円もの支払いをしていたのだ。

 ちなみに受取人については、Aさん死亡の場合はBさんに、Bさん死亡の場合はAさんに、CくんとDちゃん死亡の場合は、各1000万円がAさんに、各1100万円がBさんにとなっている。

 受取人が全員死亡の場合、どうなるのか生命保険会社の社員に尋ねたところ、次の答えが返ってきた。

「全員が死亡している場合は、親族などの法定相続人に保険金が支払われます」

当時の収入に見合った高額の保険契約だったという見方

 死亡した順番でいえば、まず1階浴室にいるBさんが殺害され、次に2階子供部屋でCくん、さらに1階居間でDちゃん、最後に海中に投棄されてAさんという順だった。つまり、最初のBさんの死によってAさんが保険金の受取人となり、続くCくんとDちゃんの死亡でも、Bさんはそれ以前に亡くなっているため、保険金はAさんに入るということになるのだが、Aさんはその後死亡したため、A家の法定相続人である親族の手に渡る。

 そして最後に死亡したAさんについては、受取人の筆頭であるBさん、さらに続くCくんとDちゃんが、彼よりも前に死亡しており、これもまた法定相続人の親族に支払われるということだ。

 当然ながら、高額な保険料であるため、その支払先に、捜査の重大な関心が向けられることになる。だが、そもそもこれらの保険契約に関しては、契約した時期が事件よりも数年前のことであり、さらにAさんにかけられた保険は、Aさん自身が保険会社で働く知人に依頼したものだった。

 これらのことから、取材する我々にしても、かつて経営する焼肉店が繁盛していたAさんが、当時の収入に見合った高額の保険契約を行い、それが解約されずに残っていたもの、との見方をするようになる。

中国の古びた団地、楊寧の実家へ

 そうしたなか、捜査本部は警察庁を経由して、8月15日に在中国日本大使館を通じ、中国の公安当局へこの事件の概要を伝える。当然ながら、その場では日本に留学していた、日本語学校生の王亮(21)と、私大生の楊寧(23)が、事件に関与した疑いが濃厚であることが明かされた。すると、まず同月19日に遼寧省で王の身柄が、続いて27日に、北京市で楊の身柄が拘束されたのだった。

 9月上旬から中旬にかけて、私は中国・吉林省長春市にいた。そこで住所を手掛かりに、通訳と共に向かったのは古びた団地である。茶色い外壁の7階建てのその団地の階段を上り、目指す部屋に辿り着く。

 そこは中国で身柄を確保された楊寧の実家だった。

 最初、玄関から顔を出したのは母親である。私が自分の職業と名前、日本から来たことを話すと、彼女は一旦室内に戻り、続いて怒りで歪んだ表情の父親が姿を現した。

角張った顔立ちに実直さが表れている父親

「これまで日本の記者が何人かやって来たが、なにも話すことはない」

 そう言って取材を拒まれたが、すんなり帰るわけにもいかない。私は通訳に、このような突然の訪問を申し訳なく思っていること、息子さんが関わった事件については、発生直後から取材をしているので、詳しく説明できることを伝えてもらった。

 それからもやり取りは3、4分続き、徐々に表情が和らいできた父親は言う。

「わかった。家に上がりなさい」

 質素ではあるが、室内は清潔に片付けられていた。テーブル越しに私と父親が向き合う。私の横には通訳が、父親の横には母親がいた。角張った顔立ちに実直さが表れている父親の楊剣英さん(仮名)が、低い声で切り出す。なお、以下のやり取りはすべて私が帯同した通訳を介したものだ。

〈「まずは中国人として、日本の被害者のご家族の方々に対して、非常に申し訳ないと思っています。いま、自分の息子と連絡がつけられないため、真実がどうであるのかがわからず、事実をお伝えすることができないことを申し訳なく思っています」〉

息子がこの事件に関わったとは、どうしても信じられない

 息子の寧が起こした事件はどうやって知ったのかを尋ねた。

〈「その情報は日本の記者から聞きました。それはもう、大変驚きました。息子は中国の短期大学に行って、それから日本の学校に行きました。日本の進んだ文明社会や技術などを勉強するためにです。私にしても、息子のために鍛錬になると思っていました。日本語をよく勉強して、中国に帰ってからいい仕事をしてほしいと、期待していたのです」〉

 剣英さんは絞り出すように言う。

〈「私は月収1000元(約1万6000円=当時、以下同)しか貰っていない建築会社の社員です。しかし留学には十数万元(160万円以上)かかります。私は自分の一生を賭けるつもりで親戚から借金をし、息子を日本に送り出しました」〉

 そこまでを口にすると、深いため息をつく。

〈「私はうちの息子がこの事件に関わったとは、どうしても信じられないのです。息子は小学校以来、学生時代に一度も悪いことをしたことがありません。それに我が家では、非常に厳しくしつけを行っていました。たとえば、学校が終わると寄り道はせず、時間通りに家に帰るように決めています。

 

 また、悪い子と付き合わないように、インターネットカフェにも行かせず、自宅にパソコンを買い、接続を制限しました。悪い習慣をつけないようにしようと、考えていたのです……。息子は親の言いつけをよく守る、親孝行な子です。人情のわかる子です。おいしい食べものがあれば、残してお母さんに食べさせますし、無駄遣いもしません……」〉

節約して息子をなんとかして支えようとしていた家族

 剣英さんは立ち上がると、台所の棚から野菜の皮を剝くためのピーラーと油差し、猫の絵が浮き出たベルを持ってきて、目の前のテーブルに置いた。

〈「(寧が)日本に行ってから3年になりますが、これまで、年に1回は中国に里帰りをしていました。そのときには、安いものですが、必ず親戚や家族にお土産を買ってきています。たとえばこの野菜の皮剝き(ピーラー)は、おばあさんのために買ってきました。あと、子供のためにオモチャを買ってきたりとか、本当に……日本のお菓子だとか、いろいろ持って帰ってきてくれました」〉

 そう説明する声が徐々に涙声になる。

〈「私たち父と母は、日本で苦労している息子を全力で支えようと考えていました。息子は日本でアルバイトをたくさんやって、3、4時間しか寝られないことがあると聞いていました。そんな息子をなんとかして支えようとしていたのです。節約して、自分たちがおいしいものを食べなくても、子供のためになることをしたいと考えていました。

 

 これは世界中の両親はみんな同じ気持ちのはずです。こんなに一生懸命な思いでお金を出して、勉強をさせて、そんな子供が悪いことをするはずがないと信じたいです……」〉

「もし真実がわかり、息子が本当に事件に関わっていたとしたら…」

 話しながら剣英さんの目に涙が浮かぶ。

〈「この事件に息子が関わっているかもしれないと聞かされてから、妻は心臓の病気で2回病院に運ばれました。でも、日本の被害者のご家族はもっと悲しいだろうと思っています。

 

 もし息子がこの事件に関わっていたとしたら、私はこちらの家族を代表して、日本の被害者の方々に、大変申し訳ないことをしたと謝りたいと思います」〉

 剣英さんの横にいる楊の母親も涙を拭きながら、何度も頷く。剣英さんは続けた。

〈「うちの子はいい子だと思っていますが、日本に行ってからどういう人と接触しているかはわかりません。父も母も遠くにいるので、目が届かない状態なのです。私は息子が日本に行く前に3つのことを言いました。1つは、日本でまじめに勉強して、まじめに働いて、いくら辛いことがあっても辛抱すること。これは、生活が苦しくても耐えるようにという意味を込めて言いました。

 

 2つ目は、よく勉強しなければいけないということ。3つ目は、日本の法律はきちんと守らなければならないということです。繰り返しになりますが、息子がどうしてこのようなことになってしまったのか、父母として原因が理解できません」〉

 そう言うと、少し間をあけて剣英さんは断言した。

〈「しかし、もし真実がわかり、息子が本当に事件に関わっていたとしたら、厳しい処分も納得します。死刑になっても仕方がないと思っています。ただ、父母として、最後まで自分の子供のことは信じたいです」〉

 その言葉は、親が子を思う心情に国境がないことを感じさせるものだった。

楊家を後にすると、王の実家へ

 私は取材に対応してくれたことへの感謝を述べて楊家を後にすると、車でさほど離れていない王の実家を目指した。

 楊寧の母親によれば、息子が日本に留学してすぐの頃、彼女と王の母親が朝の水泳で知り合い、その約1年後に王亮も日本へ留学することになると、その縁で息子同士が福岡で連絡を取り合うようになったという。

 レンガ造りの低層住宅が並ぶ一角に王の実家はあったが、いくら呼びかけても返事はなく、建物内に人の気配はない。

 近隣住民に話を聞きに行った通訳が、私のもとに戻ってきて言う。

「ダメですね。誰も話をしたがらない。相手をしてくれた人の口ぶりだと、近所の人はみんな事件のことを知っているようです。だから関わりたくないのでしょう」

 それもまた、事件の周辺ではよくあることだった。

〈 「中国人元死刑囚の父親は狼狽し…」小学生2人と両親の遺体が見つかった殺人事件は、中国人3人のみの犯行なのか「捜査常識では考えられない」 〉へ続く

(小野 一光)

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