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つくばセンタービル、水戸芸術館、京都コンサートホール…数々の建物を生み出した建築家に感じる“死の匂い”

文春オンライン / 2025年2月11日 6時0分

つくばセンタービル、水戸芸術館、京都コンサートホール…数々の建物を生み出した建築家に感じる“死の匂い”

『磯崎新論(シン・イソザキろん)』(田中純 著)講談社

 つくばセンタービル、水戸芸術館、京都コンサートホール。建築家、磯崎新(あらた)の膨大な仕事の、ほんの氷山の一角である。彼は1931年7月に生まれ、2022年12月に亡くなった。本書は建築家の長逝する前後にまたがって書かれた真正面からの評伝。著者らしく分厚い。700頁近く。

 本書のいちばんのキイワードは「廃墟」だろうか。磯崎自身がこだわり抜いた言葉でもある。何しろ第1章がいきなり瓜生島(うりゅうじま)伝説だ。大建築家は大分市の出身。同市は別府湾に面する。そこに瓜生島が浮かんでいた。真偽不明の昔ばなし。島には磯崎という岬もあった。ところが島は文禄5年(1596)の豊後地震で海底に没した。そう伝えられる。ほぼ同時期に伊予地震や伏見地震も起きた。中央構造線に近いところで地殻変動があったのか。とにかく大地震で故郷の島を失い、命からがら対岸に逃げたのが磯崎家の先祖という。後の建築家はこの伝説を子守唄に育った。

 そこに磯崎少年の実体験が加わる。1945年、敗戦間近のどさくさの中で母が交通事故死。ついで大空襲。大分の町は一夜にして廃墟と化し、磯崎の家も丸焼け。地震と戦争。沈む島と焼ける都市。喪失の経験が幾世紀を隔てて反復される。戦後早くには事業家だった父も突然に逝く。この父は大正期には上海の東亜同文書院に学んだ。大陸浪人に憧れていた。根無し草性や一種の虚無性が磯崎の血か。磯崎は無常を覚える。

 そんな彼が建築家に。丹下健三の弟子に。ここに逆説がある。丹下と言えば新宿の東京都庁舎。圧倒的に屹立する。丹下も地震や戦争による廃墟をよく知っている。だからこそ廃墟に抗したい。壊れないぞ。そういうつもり。

 ところが磯崎はどうせみんな潰れて無くなると思っている。瓜生島伝説を根に持ち、海の暴力的な力に揉まれ滅する磯の崎の宿命を背負う。普通、そういう人は建築家になるまい。でも磯崎はなった。

 彼は実は「(反)建築家」なのだ。建築家は幸福に暮らせたり理想を夢見させたりする空間を作りたがる。でも「(反)建築家」は違う。未来に廃墟になる宿命を建てるときから感じさせたい。藤森照信の評言を借りて著者の強調する「死の匂い」。それが磯崎を磯崎たらしめる。海に浸蝕され、壊れてゆく島々。時の重みで朽ち果てる庭。それらをなぞるのが彼の建築なのだろう。

 本書は災害伝説や空襲に始まり、被爆都市広島のイメージ、東京都庁舎的な壮大な建築がテロの標的となった「9・11」、原発事故を込みにした大震災が瓜生島伝説を拡大再生産したとも言える「3・11」等をしっかり押さえる。そうして「(反)建築家」の軌跡をたどる。

 ユートピアでなくディストピアか。磯崎の方角に21世紀はあるのか。

たなかじゅん/1960年、宮城県生まれ。東京大学名誉教授。専門は芸術論・思想史。2002年『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』でサントリー学芸賞(思想・歴史部門)、08年『都市の詩学』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、09年『政治の美学』で毎日出版文化賞を受賞。『イメージの記憶』など著書多数。
 

かたやまもりひで/1963年、宮城県生まれ。思想史家、音楽評論家。近著に『大楽必易 わたくしの伊福部昭伝』『歴史は予言する』。

(片山 杜秀/週刊文春 2025年2月13日号)

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