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東京五輪の辞任連鎖とはなんだったのか。ハッシュタグ・アクティヴィズムを考える

Business Insider Japan / 2021年9月30日 7時15分

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東京五輪開催前に起きた解任辞任騒動。その一端を担ったハッシュタグ・アクティヴィズムの功罪について今一度考える。 Shutterstock/StreetVJ

2021年の東京五輪を巡っては、Twitter上のハッシュタグで集まった声が、開会式の楽曲担当だった小山田圭吾氏ら3人の辞任・解任につながりました。#MeTooに象徴されるようなこうしたハッシュダグ・アクティヴィズムは、近年日本でも盛んになっています。

一方で、SNS上の動きが十分に検証されたとは見えないまま大手メディアで報じられることがあったり、主張のぶつかり合いが分断を引き起こしたりと、課題も見え隠れします。

自分の意見を言うことに躊躇する人へ“わがまま”から始まる社会運動を説いた「みんなのわがまま入門」の著者で、社会学者の富永京子さんに、SNSを使ってシンガポールから取材活動を続けるジャーナリストの中野円佳さんが、ハッシュタグ・アクティヴィズムの功罪について聞きました。

五輪前の解任辞任騒動を振り返る

中野:東京五輪では、開会式の直前に複数人が辞めることになりました(※)。日本企業にあるハラスメント的なカルチャーや、人権意識のなさが明るみに出たこと自体は、よかったのかなとは思います。

ただ、組織委員会の動きとしても、結局個人を引きずり下ろしただけで、根本の組織風土自体は変わったのかどうか、よく分からない。

※編集部注:東京五輪・パラリンピック開会式の楽曲担当だったミュージシャンの小山田圭吾氏が、過去に雑誌上で障害を持つ同級生いじめの「加害者体験」を告白していたことが、SNSを中心に批判を集めた。大手メディアも相次ぎ報じる中、小山田氏は開幕直前に辞任した。

同じくいじめ加害問題がネット上で拡散された絵本作家・のぶみ氏も五輪文化プログラムへの出演を辞退。開会式のショーディレクターだった小林賢太郎氏も、お笑いコンビ「ラーメンズ」時代にホロコーストをコントのネタにしていたことがネット上で拡散され、開会式前日に解任された。

tominaga2 社会運動をテーマに研究する、立命館大学社会学研究科准教授の冨永京子氏。「運動には短期的なゴールと長期的なゴールがある」と指摘する。 撮影:滝川麻衣子

富永:良くも悪くも、スピードが速いなと思いますね。簡単に比較できるものではないのですが、一例として、近年でおそらく最も多くの人が認知したであろうSEALDs(安全保障関連法に反対した学生団体で2015〜2016年に活動)の運動だって、組織化して、学習会をして、デモをやって……と数カ月くらいかかっていたわけで、それが24時間で済んだということですから。

(社会運動は)社会構築主義でいう「クレイム申し立て」。この件で言うと、障害者差別やホロコーストの問題がオリンピック開会式に関与した各人の振る舞いの中に伏在していて、それに前々から気づいていた人がネット上で声を上げた。

それをどういったフレームであれメディアが捕まえ、辞任/謝罪までいかせたわけですから、運動の短期的な効果としては極めて速い。一応は成功したケースと言えると思います。

ただ、運動には短期的なゴールと長期的なゴールがあり、長期的なゴールは、制度的な改革や人々の意識の改革があげられると思います。

例えばウーマンリブやフェミニズムは10年以上の動きの先に、骨抜きと言われることもありますが男女雇用機会均等法につながるなど、積み重ねの先に長期的達成があったわけです。

これだけ短期的に成果が出ているように見えやすいからこそ、長期的に成果を見るということに、私たちが耐えられるようにならなければと思いますね。

中野:SNSは宛先が明確なこともあり、個人に批判が向く傾向もあると思います。今回の相次ぐ辞任・解任に関しては、任命責任に触れる人もいたにはいたけれど、結果的に組織は、個人を守ることも責任をとることもせず、個人の切り捨てに終わったようにも見えます。

富永:運動をやる側の変化もあるかもしれません。過去の運動がNGOや市民団体等、組織中心で担われていた。一方、ハッシュタグ・アクティヴィズムは運動の担い手が個人化していると同時に、対象も個人化しているのでは……ということですよね。

無批判なメディア、検証責任はどこに?

nakano2 シンガポール在住のジャーナリストの中野円佳氏。「メディアの役割として、まず検証が必要だったのではないか」と投げかける。 撮影:滝川麻衣子

中野:私はここでメディアの役割として、まず検証が必要だったのではないかと思っています。

開会式直前で時間がなかった面もあるとは思いますが、本人の言い分や過去の行動を取材するという検証プロセスがないまま、ひとまず文書だけで謝罪が発表される(※) 。

そうすると、客観的な視点が入らず、謝罪した文書がまた叩かれ、そうしたSNS上での議論が、本人不在のまま巻き起こってしまう。このスピードの速い運動の中でメディアの役割はどうご覧になりましたか。

※編集部注:この対談が行われた後、週刊文春9月23日号が小山田圭吾氏の単独インタビューを掲載。ノンフィクション作家の中原一歩氏が聞き手となり、辞任後の小山田氏に対する、メディアによる初の取材記事となった。

富永:やはり、短期的には、お墨付きをどこかが与えないと「ネットが騒いでるだけ」になるので、ある事柄を社会運動化、社会問題化するにあたり、マスコミが取り上げることの影響は大きいと思います。

ただ、中野さんは多分その「お墨付き」の与え方を問題視されていると思うんですが、おっしゃるとおり、速さが重要になる分、どうしても運動の勢いに口を挟むことが難しくなってしまい、無批判になりますよね。

当時、例えば小山田氏の話が午前中に出て、もう夕方頃には大手メディアの一角がデジタル版の記事にしていました。

そこで、ある新聞社は「炎上」という言葉を報道でそのまま使ったわけですが、炎上という言葉は全然価値中立ではない。ある種、ネット上の現象をそのまま描写する時に使われる言葉ではあるわけです。

小山田氏への批判的な意図をもって声を上げた人々に対して「炎上」という言葉を使うなら、その批判性を無化していることになる。別に無化しても批判に同調してもいいが、メディア側が良くも悪くも運動の「速さ」についていくのに精一杯なのか、自身の目線を持っていないのは気になります。

つまり、誰かが声を上げ、リツイートやシェアをされ、それをマスコミが無批判にキャッチして拡散する ——。

そのようにオートマティックに発展する運動の流れみたいなものに、口を差し挟みづらいところがあるわけです。

そういう怖さについて後々、短期的な運動の成功を及ぼしたはいいが、大局的に見てどうなのかというのは、やはり検討する必要があると思います。

近年、日本でも多くの研究者が行っているのですが、社会運動史という試みの中で、当事者に聞き取りをしながら回顧的に運動を捉え直すことがあります。

そこで振り返るのは、例えば1960年代とか70年代とか、それなりに昔の運動だったりします。

そういうことをもう少し短期的に、例えば半年前とか1年ぐらい前とかの運動に対して、運動にかかわった人がそれぞれが少し立ち止まって回顧していくというのもありでしょう。

「#自粛と給付はセットだろ」(2020年4月)とか「#検察庁法改正案に抗議します」(2020年5月)といった流れに対して、自分がどこで知って、なぜ参加したのか、自分としては成功だったのか、というような。ハッシュタグ・アクティヴィズムの最中はなかなか冷静になれないので。

研究者が従事者の動機を調べたりして、検証してもいいかもしれません。ジャーナリズムにもできることだと思います。

本人の声を引き出すことの意味

記者会見の様子 「炎上した側がパブリックに出てきたほうが、結果的に彼らのためにもなるのでは」と中野氏は話す。 Shutterstock/Sharomka

中野:「炎上」した側が、ちゃんとパブリックに出てきたほうが、結果的に彼らのためにもなるのでは……と思っています。

ネット上の声をそのままメディアが垂れ流しするのではなく、いったん憶測で議論になってしまっている点をメディアが聞いて、表に言い分を出す。単に謝罪文書を発表するだけではできない「対話」がそこに生まれると思うんですよね。 

ただそこでもやはり記者の姿勢も重要です。批判側に立ってボコボコにしてはいけないし、とはいえ擁護する前提ではなく、完全に「中立」というものはないけれど、少なくとも「中立」を目指す立場でいないといけないと思います。

富永:本人の声を引っ張り出せるということですよね。今すごくクリアになったのが、運動の短期的な成果ということで、私は辞任や解任が運動の成果、短期的な成果その1だと思ったんですが、おそらく中野さんがおっしゃることというのは、それで運動は終わりじゃない。

短期的な成果その2として、その場しのぎの辞任や解任ではない、本人たちの反省や回顧といった声を引っ張り出すということを、中野さんはおっしゃっていると思うんです。

それはまさにその通りで、おそらく社会運動において、ジャーナリストやメディアというアクターが独自の機能を発揮できるとしたらそこですね。それを今の大手メディアが発揮できてないとしたら、それはメディアが「運動すぎる」のですよね。

ハッシュタグ・アクティヴィズムと従来型社会運動の組み合わせ

Twitter ハッシュタグアクティヴィズムは、ロビイングやアドボカシーと繋がる形で進化し、既存の社会運動団体による活動等と繋がってきている側面もある。 Shutterstock/Koshiro K

中野:一方、2020年にキッズラインというベビーシッタープラットフォームの会社をめぐるわいせつ事件を契機に、私が一連の取材をしたときに、保育・教育現場の関係者について、子どもへの性加害の犯罪歴をデータベース化してほしいということを訴える、ハッシュタグが生まれました。

その結果、署名が集まり、それをNPO法人フローレンスが記者会見を設定し、複数メディアが報道しました。

こうした「その後」の運動の持っていき方を見ていて、やはりSNSの「ハッシュタグでスピード勝負」だけではなく、それをいかにパブリックな場でアジェンダ化できるかが、長期的な成果の出し方としては大事なのだなとも思いました。

富永:そうですね。最近で言うと、入管法改正案(※)に関する運動ではハッシュタグ・アクティヴィズムと同時に、この議員に陳情してくださいというリストをつくっていました。

この議員事務所にファックスしたり、メールしたりして情報提供をして、それをさらに、Twitterで報告してもらう —— ということをしながら、一方で既存の社会運動団体がビデオの公開を繰り返し要求していたと聞いています。

そういう意味ではハッシュタグ・アクティヴィズムも、ロビイング (政府への働きかけ) やアドボカシー(政府・社会への提言)と繋がる形で進化していて、既存の社会運動団体による活動等とつながる流れにはなってきているかなと思います。

※編集部注: 政府は外国人の収容や送還のルールを見直す出入国管理法改正案の改正を目指していたが、2021年6月に国会での採決が見送られた。3月に名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人女性が死亡したことで法務省や入管行政そのものへの批判が高まり、与野党協議が決裂。Twitter上でもハッシュタグで改正反対の声が上がっていた。

社会運動の手法って「レパートリー(演目)」みたいな言い方をするのですが、多様なレパートリーを組み合わせることで、成功の確率は上がると思いますし、いろんな人が参加できる。

つまり、ハッシュタグで声を上げるのは、周りも見ているし抵抗があるけど、住んでいるところの議員にちょっとメッセージを送るだけならやっていいかなとか、参入の幅を広げるという意味でもプラスだと思います。

「日常の運動」をどう続けるか

バングラデシュで起きたフランス製品不買運動のデモ。 バングラデシュで起きたフランス製品不買運動のデモ。「日本ではバイコットやボイコットの参加率が高くない」と富永氏。 REUTERS/Mohammad Ponir Hossain

中野:先生ご自身の研究のコアでもある「日常の運動」についてお聞きしたいです。

現在、ESGや企業の社会的責任を求める、世の流れがありますね。それを消費者が求める意味で、不買運動などで、やはりSNSはツールとして有効だと思います。

ただ、それを短期的に炎上させておしまいではなく、どうしたら、息長く運動を続けていけるでしょうか。

富永:ライフスタイル運動なんかで結局起こりがちなのが、日常の運動をやり過ぎて疲れちゃうぜ、みたいなパターンだと先行研究では言われてたりします。

例えば肉を食べたりするような、わりと日本で言う普通のライフスタイルを送っている人が、突然、ビーガンのような食生活を徹底しようとして燃え尽きるとか。自動車を全く使わないように過ごそうとして大変になっちゃうとか。

エクストリーム(極端)になりやすいのも、日常の運動の難しさだという感じがするんですよね。

「〇〇しない」という日本の日常を通じたバイコットやボイコットって意外と参加率が高くないんです。ただ、使わないじゃなくて、何かオルタナティブ(代替)を探すことが重要なのかなとも思います。

社会運動って真面目にやらなきゃというか、どうしても徹底しすぎてしまいますよね。そういう意味でも生活って毎日やることで、徹底すると本当に大変になる。

もうちょっとゆるいことが求められるものだと思うので、あまり変革を求めることを急がず、やっていくことが重要だと思います。

中野:私は今、博士課程で教育競争の問題を扱っています。

例えば、じゃあ競争に加担させたくない親たちが、自分の子どもを一切塾に行かせるべきではないか? というと、私はそうは思わないんですよ。

親が避けたいと思いつつ、やっぱり塾に行かせたほうがいいかな……と思ってしまう構造のほうを指摘してくべきだと思うんですね。

そういう意味でも、日常での選択一つひとつが問われてしまうと、苦しくなってしまう可能性があるというのはよくわかります。

富永:私も「社会運動の研究者のくせにこんなことして……」と言われることがあって、反省することもあります。ただ、社会運動「らしさ」をあまり突き詰めていくと「らしい」ものしか受け容れられなくなって、それも良くないのかなと。

結果として、ライフスタイルにおいても運動においても「らしさ」を突き詰める競争が起こってしまうっていうのは、先行研究で言われていることでもありますね。

ハッシュタグ・アクティヴィズムの話に戻ると、よりハッキリ言う人の意見のほうがリツイートされるし、そうした人のほうがフォロワーもつきやすい。そういう構造が、本来平等であるべき社会運動の中で「スター」をつくってしまう。

これもハッシュタグ・アクティヴィズムの功罪ではあるかなと思いますね。

キャラを再帰的に演じてしまう

スマホを見る人 インフルエンサーはメディア出演と同様に、TwitterやFacebookでも構築された「キャラ」を再帰的に演じている。 Shutterstock/TATSIANAMA

中野:結果的に、有識者の声が大きくなってしまうというのも、富永先生がよく指摘されている点ですね。インフルエンサーやオピニオンリーダーだって、以前自分が言ったことが間違っていたと思うこともあると思うんです。

しかしそれが許されないみたいな雰囲気がある。そうすると自由な言論、空間には程遠くなってしまう。

富永:首尾一貫性みたいな点が問われるのもネットの言論空間の特徴ですよね。

最近読んでいて面白かったのが、2010年代の前半の研究では、オンライン運動で中心的な役割を担うのは、たくさんフォロワーを持っている特定のアクターだと言われてきた。

今もその構造はあると思いますが、2010年代後半になるにつれて、「クラスター」が中心的になっていく。中心的なアクター同士が結びついて、同じトピックをシェア・リツイートしていく「クラスター」ですね。

私がある件でツイートを見ていて興味深かったのが、「○○さんのツイートなら信頼できる」「●●(媒体名)なら間違いない」といった言葉が社会運動に賛同的な方から出ていることです。そこで信頼性が問われているのは発言内容でなく、インフルエンサーや媒体なわけですね。

インフルエンサー側が、そうやって構築された「キャラ」を再帰的に演じている点もあると思います。メディアは何かを切り取るという側面がありますが、これはTwitterでもFacebookでも同じ。

つまり、個人の思いや主張を、記者や編集者が紙幅や文字数に沿って切り取るか、それとも発信者自身が140字を切り取るかの差でしかないと思うんですよ。

ただ、多くの人が「発言の自主性・自発性」みたいなものを重んじた結果、報道が信頼を失い、140字のほうがありがたがられているだけで。

結局しがらみの中で何かを言ったり、言えなくなったりしているという点では、それがスポンサーか人間関係かというだけで、メディアも個人も変わらない側面もあると思うのですが。

中野:属性で、この人はこのカテゴリーだから叩く、あるいは何言っても従うのではなく、その都度、議論の内容を見ていく必要はありますよね。

メディアも、妄信的に「この人の言うことならなんでも参考になる」とインフルエンサー的な人にお墨付きを与えたり、持ち上げたりはいけない。

有識者側も自分がキャラにはまった発言しかできなくなっていく可能性に自覚的である必要があると思います。

SNSなどで誰でも声をあげやすくなったことはいいことだとは思う、けれど大きな声による扇動や、短期的で爆発的な炎上と謝罪や辞任の繰り返しでは、社会が本当によくなるのか。

誰にとっても幸せな帰結にならないのではと危惧します。

(取材・構成、中野円佳)

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