豊臣秀吉はアルツハイマーだった?晩年の奇行、謎だらけの茶会中止…

Business Journal / 2015年10月27日 6時0分

 数年後に朝鮮出兵を考えていた秀吉は、この茶会を通じて博多衆を重視しようと考えた。しかし、利休の演出があまりに堺衆を目立たせるものであったことから、秀吉が中止に踏み切ったとする説だ。これは、『茶道古典全集』(淡交社)所収の『北野大茶湯之記 解題』で触れられている。

 ただ、この説は「人間ミキサー疲労説」の芳賀によって、否定的な見解が示されている。理由は、肝心の博多衆を秀吉がそれほど招待していないこと、利休だけが演出者ではなく、最終的な人選の決定権が秀吉にあったこと、などだ。

(5)結局、客があまり来なかった説

 秀吉主催の一大イベントだが、必ずしも成功していたとは限らない。むしろ、失敗していた可能性もある――。茶道史が専門の日本史学者・中村修也氏による、秀吉のメンツ説だ。

 複数の史料を総合すると、北野大茶会の来客者は800~1000人ほどだ。広大な北野天満宮の敷地で、初日にこの人数しか集まらなければ、秀吉が「賑わっているうちに取りやめよう」と考えても無理はない。

『秀吉の智略「北野大茶湯」大検証』(淡交社)には、「万の軍勢を動かしてきた秀吉には、少々寂しく感じられた」という記述がある。

●晩年は奇行が目立った秀吉

(6)すべての説を覆す、天候説

 異色なのが、この天候説だ。秀吉は、自然現象には手痛い目に遭わされてきた。最たるものは、晩年の1596(慶長元)年7月だ。この夏、伏見城は地震で天守閣が淀川に崩れ落ち、御殿が大破した。これが、大茶会という祝賀イベントに影響を与えてはいないだろうか。

 そもそも『北野大茶湯之記』などで紹介されている高札には、開催の条件に「天気次第」とある。初日は晴れたとしても、その後、開催に支障が出るような天気の乱れがあったのかもしれない。北野天満宮周辺が局所的にどうだったのか不明だが、2日目までに台風などの自然現象が発生し、茶会の開催を阻んだ可能性もある。

 この説であれば、中止は自明のことであるため、その理由をあえて説明する必要もない。天災による中止を忌み嫌い、文献などであえて触れていない可能性もある。

(7)秀吉のアルツハイマー病説

 作家・津本陽氏と脳神経外科医・板倉徹氏の対談本『戦国武将の脳』(東洋経済新報社)の中で、晩年の秀吉はアルツハイマー病の疑いがあったことが言及されている。

 津本氏が、伏見城が大地震に襲われた後の秀吉の奇妙な態度や、朝鮮出兵で確認された一貫性のない行動、感情の起伏などについて指摘すると、板倉氏はこう発言した。

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