ステーキのくいしんぼ社員、過労死の認定…休日、残業代、ボーナスなし 社長は看過

Business Journal / 2013年6月14日 6時0分

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 渋谷センター街にある飲食店「ステーキのくいしんぼ」(運営元:サン・チャレンジ)の店長だった和孝さん(24歳)は、毎月200時間ほどの残業の末に過労自殺した。死亡したのは、連続勤務90日目が終わったばかりの2010年11月8日午前1時ごろ。この日、夜が明けて月曜日が始まると、東京地方は最高気温20度の快晴になった。

 和孝さんがどのような働き方をしていたのか、遺族への取材と裁判資料から整理してみよう。

 和孝さんは、剣道で特待生入学した高校を卒業すると、都内の高級レストランに入社。しかし、長時間労働や希望する調理の仕事になかなか就けなかったことから2年で退社した。

 退社後は、父・政幸さんが当時店長をしていた「くいしんぼ」入谷店でアルバイトが不足しており、和孝さんが「調理の仕事がしたい」と話していたこともあり、「自分のところで働いてみないか」と声を掛けた。これがきっかけとなり、和孝さんは07年5月から入谷店でアルバイトを始めた。

 その3カ月後の07年8月、和孝さんが正社員として採用された。親子一緒では教育にならないという社長の方針で、和孝さんは高円寺北口店に異動。渋谷センター街店に配属されたのは、半年後の08年2月ごろのことだ。このとき同店を仕切っていたのが、和孝さんより1歳年上の店長代理・A氏(仮名/後に店長、エリアマネージャーと昇格)だった。

●休日にも呼び出し、役員も問題を認識

 配属当初こそ週1日程度は休むことができ、8月ごろからは同店のアルバイト女性との交際も始まった。しかし、やがて休みは月に1度取れるかどうかという程度になり、その休日の時もA氏に呼び出されることがたびたびで、デート中に「ソースが足りないから買って来い」と命じられて店に届けたこともあった。

 その彼女は、遺族が損害賠償を求め会社やA氏らを訴えた裁判で、和孝さんの休みについて、「丸々1日を休むことは、ほとんどありませんでした」「ひどい時は、3カ月に1回しか休みがありませんでした」と述べている。

 家に帰らず、店舗に寝泊まりすることも多くなった。

 心配した父・政幸さんはあるとき、店舗巡回で入谷店に来た執行役員に「店舗に寝泊まりしているようだ」と漏らした。気になった執行役員が本部の書類を注意深く見ていくと、確かに和孝さんは休みをほとんど取っていなかった。

「なぜ和孝君に休日を与えずに働かせているのか」。執行役員から問われたA氏は、「こいつは休みがあると無駄遣いするし、俺が鍛えてやっているんですよ」と答えたという。

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