笠原社長退任にみる、ミクシィの苦悩〜相次ぐ身売り話と人材離脱、ライバルの台頭…

Business Journal / 2013年7月27日 7時0分

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 日本における会員制交流サイトの草分け的存在であるミクシィは、6月25日に開催した株主総会で、創業社長の笠原健治氏(37)が代表権のない会長に退いた。後任社長には、朝倉祐介執行役員経営企画室長(30)が昇格した。笠原氏は今後、新しい事業の立ち上げに専念するという。

 ITビジネス黎明期の1997年に東大生だった笠原氏は、求人情報サイトを始めた。軌道に乗り99年にミクシィの前身、イー・マーキュリーを設立した。ソーシャル・ネットワーキングサービス(SNS)に進出したのは2004年2月。当初は同時期にサービスを開始したグリーに比べて圧倒的に多くの会員を獲得し、日本のSNS業界を牽引した。ミクシィに商号変更後の06年9月に東証マザーズに上場。笠原氏は若きIT起業家として、時の人となった。

 その後、ソーシャルゲームの課金ビジネスに軸足を移したグリーやDeNA(ディー・エヌ・エー)が急成長を遂げた。一方、パソコンや携帯電話の広告を収益源としていたミクシィは、リーマン・ショックの影響やスマートフォン(スマホ)の台頭で低迷が続いた。

 そして11年11月、ミクシィは事業方針を大きく転換した。SNS上にミクシィゲームを新設してソーシャルゲームに進出。ビジネスモデルを広告モデルから課金モデルに変更した。しかし、ソーシャルゲームに出遅れたことが響き、グリーやDeNAとの業績の格差は広がった。

 さらに、SNS世界最大手の米フェイスブックが、10年に日本に上陸してきたことで窮地に立たされた。完全な実名での利用を推進するフェイスブックの本格参入で、ミクシィの利用者がフェイスブックに流れた。

 12年5月にはミクシィの身売り話が持ち上がり、経営幹部の離脱が相次いだ。同年5月に副社長の原田明典氏が取締役に退き、取締役の小泉文明氏は退任した。08年1月にNTTドコモから転じた原田氏は代表権を持つ副社長兼COO(最高執行責任者)として、06年12月に大和証券キャピタル・マーケッツから転じた小泉氏はCFO(最高財務責任者)として、笠原社長を支えてきた。

●成功した/失敗したベンチャーの共通点

 笠原氏の今回の退任は、ベンチャー起業家の典型例といえる。ベンチャー起業家の成功のカギを握るのは、よき経営パートナーを得られるがどうかにかかっている。アップルを創業したスティーブ・ジョブズ氏は、経営がわかる相棒が欲しいとペプシコ幹部を引き抜いた。結局対立し、ジョブズ氏が会社を追われる羽目になったが、その後、ジョブズ氏は復帰し、アップルは快進撃を遂げた。草創期に相棒がいなければ、今日のアップルがあったかどうかわからない。

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