広島原爆体験の伝承者養成事業が映す、想いを継ぐからこそ直接語れる体験の強烈さ

Business Journal / 2013年8月23日 14時0分

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 ドキュメンタリー番組を日々ウォッチし続けている映画監督・松江哲明氏が、ドキュメンタリー作家の視点で“裏読み”レビューします。

【今回の番組】
 8月11日放送『NNNドキュメント~伝承者 あの日を知らない語り部たち』(日本テレビ系)

 先輩の映画監督は、特攻隊員を撮影した理由を「今記録しておかないと亡くなってしまうんだよ」と言っていた。僕が子供の頃は、年寄りといえば戦争体験者で、直接戦争について話を聞くということが、それほど珍しいことではなかった。小学校の先生が、ウチの目の前にある野球場のことを「あそこは死体が山積みになっていて、匂いがすごかった」と教えてくれたことを覚えている。それで、学校の帰りにそこを通るのが怖くなった。祖父や祖母も、空襲で逃げ回ったことや工場で働いたことを話してくれた。体験者が一様に語るのは「もうあんな経験は嫌だ」ということ。僕はその想いを想像し、戦争を嫌悪する。直接語られる言葉は、強かった。

 『NNNドキュメント』で放送された『伝承者 あの日を知らない語り部たち』を見ながら、先輩監督と戦争を教えてくれた老人たちの言葉を思い出した。本番組は、時間の残酷さを映し出す。語り部たちが何人も紹介されるが、その多くが名前と共に亡くなった年が記されている。それも2011年、13年といった近年だ。僕は冒頭に書いた先輩監督の言葉を聞いた時、戦争を語る人がいなくなった後は、残された資料や作品が伝えることになるんだろうな、と考えていた。

 梶本淑子さん(82)は、広島平和記念資料館(原爆資料館)で、学校で、そして福島で、自身が経験したことを語る。「肉片が転がって、血の海なんです。まさに地獄です。絶対に皆さんにあんなところを見せたくない」と。話を聞く若い子たちの眼差しは真剣だ。

 伝承者養成事業は、3年かけて行われる。被爆者の体験したことを受け継ぐには、それだけの時間をかけなければならないのだ。中には若い女性もいる。世代を問わず、全国から137人も、被爆体験の伝承者になろうという人が集まったそうだ。

 毎月、広島に通うその中の一人、大田孝由さん(66)は被爆二世だ。原爆投下の2年後に生まれ、幼い頃に大阪へと移住した。母からは「広島から来たことを言ってはいけない」と言われ、広島生まれということを隠して生きてきた。大田さんにとって原爆はタブーだったに違いない。

 「重いなと思います。果たして自分にできるのか」とカメラの前で語るが、伝承者になると決めるまでに、どれほど大きな葛藤があっただろう。しかし、大田さんは中学生の時、原爆ドームを前にして、母が自分の妹を原爆で亡くした時のことを語ってくれたことを覚えている。直接伝えるということの強烈さを「体験」として記憶していたのだろう。大田さんにとって、伝承者になるということは、広島と向き合うことだ。また母と、自分自身と向き合うことでもある。

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