「糟糠の妻」志賀COOを切り捨てた日産ゴーン社長はいまや「裸の王様」だ

Business Journal / 2013年11月5日 17時0分

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 日産自動車のカルロス・ゴーン社長が、社内での求心力を急速に低下させている。その引き金を引いたのは、2014年3月期の中間決算と同時に発表された、11月1日付の役員人事だ。

 日産でゴーン氏に次ぐNO.2で、日本人トップである志賀俊之・最高執行責任者(COO)が事実上更迭されたことに不快感を示す幹部が増えている。志賀氏は強烈なリーダーシップを発揮するタイプではないが、短期的な収益獲得に走り、地に足の着いた技術開発よりも派手なブランド戦略を好むゴーン氏に意見ができる数少ない役員だった。

 例えば、ゴーン氏は、空洞化などは気にせずに円高局面では一気に生産能力を国内から海外へシフトさせようとしたが、志賀氏は「長い目で見て、日産の競争力の源泉は国内の工場や開発拠点にある」とゴーン氏を説得し、国内の基盤を残すことに腐心してきた。また、実力があっても英語ができないがゆえに外国人役員からは評価されにくい日本人幹部社員にも目配せし、登用の道を開くこともあった。志賀氏は、日本的経営とゴーン流の外資経営をうまく融合させてきた功労者である。

 筆者はゴーン流の経営手法を完全には否定しないし、一定の評価を与えている。特に果断な決断とスピードある実行力には学ぶべき点がある。一方で、新車の開発から販売までは数年かかり、電子、化学、機械などさまざまな面で要素技術も磨いていかなければならない自動車産業は、「水商売」であるうえに、成果が出るまで時間を要する。技術と人材を自前でこつこつと育て、長期的な戦略で臨むほうが「果実」を得やすい産業であり、いわゆる日本的経営がマッチした産業でもあった。日本で自動車メーカーが11社もひしめき合っているのは、日本人の強みに合っている産業であるからにほかならない。

●ルノーと日産の“結節点”志賀氏の存在

 日産が倒産寸前の経営状態から立ち直り、短期間の内に世界で競争できるメーカーに生まれ変わったのも、ゴーン流のスピードと実行を重視する経営と、工場や研究開発拠点で地道な努力を積み重ねる経営がうまく組合わされたからである。

 日産の筆頭株主である仏ルノーが1999年、日産に出資したのは、日産が持つ技術や市場が欲しかったからである。国営企業だったルノーも日産と同様に経営難に陥り、ミシュランから引き抜いたゴーン氏が改革をして、日産よりも一足先に立ち直った。しかし、ルノーは依然として欧州市場中心のメーカーであり、環境技術などは弱いままであった。当時の日産は、技術力は高く、北米やメキシコなどにも大きな拠点を持っていたが、経営力が弱いために赤字が続く状態で、負債は膨れ上がり、これ以上銀行からの資金借り入れができないところまで追い込まれていた。そこにルノーが救いの手を差し伸べた。それは、ルノーが仏政府の信用力をバックに用意した資金やゴーン流の経営と、日産の技術力を交換する構図でもあった。

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