軍艦島、立入禁止区域上陸レポート~元島民が世界遺産登録活動を行う理由とは?

Business Journal / 2013年11月14日 18時0分

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 2013年8月、観光上陸が開始されてからの4年半で軍艦島(長崎県・端島)を訪れた観光客が40万人を突破した。

 政府は9月17日、15年の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産登録に向けて、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡、長崎などの8県)を推薦することを決定した。軍艦島は、その構成資産のひとつとなっている。良質な強粘炭(石炭)を産出し、日本の近代化を支える炭坑のひとつだった。

 現在、軍艦島には、長崎港から4隻の観光クルーズ船が就航している。シーマン商会のクルーズ船である「さるく号」に乗って、土日祝を中心にガイドをしている元島民で「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳さん(59)は、島に上陸すると、体に固定したハンドマイクで熱弁を振るう。

●日本の近代化を支えた炭坑のひとつだった

 「私たちは、今から39年前に、この端島を捨てていかなければなりませんでした。船が島を離れて行く時に、小さなお子さんを抱きしめたお母さんが、『これが見納めだから、しっかりと見ておきなさい』と言っていました。今、この島に来られる人の中には、ここがどんなところであったか知らない人もいます。『廃墟の島、軍艦島。廃墟、廃墟、廃墟…』と言いながら来られる人もいます。しかし、ここは日本の近代化や戦後復興を支え続けてきた島なのです」(坂本さん)

 9月中旬、軍艦島の立入禁止区域を、長崎市の許可のもと、坂本さんと歩くことができた。そのとき、かつて坂本さんが暮らしていた部屋に案内していただいた。

 「ここは私たち家族が暮らしていた部屋です。25年ぶりにここに戻って来た時には、両親の名前が書かれた郵便ポストがありました。入り口の壁には、52歳の時にがんで亡くなった妹の落書きが残されています。中学校に入ってアルファベットを覚えたばかりだったので、うれしくて書いたのでしょう。妹が亡くなる前、この部屋で撮った写真を病院に持っていって見せました。『もう一度、あの部屋に戻りたいね』と言っていましたが、それがかなえられることはありませんでした」(同)

●劣化が進行する島

 軍艦島最大の集合住宅である65号棟の9階部分にある部屋は、荒れ果てていた。窓枠はすべてなくなり、部屋の中にはがれきが散乱していた。残されていたのは、タンスや火鉢など、ごく一部のものだけだった。

 坂本さんが、「軍艦島を世界遺産にする会」をつくったのは、03年3月のことだ。島を産業廃棄物の捨て場所にするという計画を聞いて、「故郷を守りたい」という思いで立ち上がった。

 「軍艦島には、日本という国が捨てていった風景があります。石炭を掘るのをやめたら、このようになりました。このまま世界中で資源を掘り続けていったら、地球や人類はどうなるのでしょうか。軍艦島は、地球の未来の姿なのかもしれません。世界遺産に登録されたとしても、そこで私の活動は終わるわけではありません。全人類が地球の未来を考えるために、軍艦島のことを知ってもらう必要があるのです」(同)

 軍艦島を含む「産業革命遺産~」が世界遺産に登録されるためには、いくつかの法律上の問題をクリアする必要がある。しかし、人々が力を合わせて進んでいけば、その夢は必ずかなうことであろう。
(文=酒井透)

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