軍艦島の世界遺産推薦、地元・長崎はなぜ落胆?経済優先の国の思惑に翻弄、多額財政負担も

Business Journal / 2013年12月27日 1時0分

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 地元の島が世界文化遺産に推薦されて、落胆した自治体がある。長崎県と長崎市だ。


 長崎市議会総務委員会は10月1日、世界文化遺産への政府の推薦が決まった「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の構成資産の1つ、端島(はしま)炭坑(通称・軍艦島)の現地調査を行った。一行はベルトコンベア跡などがある採炭施設や崩壊している旧端島小中学校など、一般の立ち入りが禁止されているエリアを視察した。

 世界文化遺産に登録するには、島全体が国の文化財の指定を受ける必要があり、文化財保護法では現状維持が求められる。しかし、軍艦島のように全体が廃墟と化した構造物の保存は、どこまでやればよいのかという尺度がない。すべての居住施設を対象に外観を維持・復元するには、144億円の経費が必要だと専門家は試算しており、長崎県と長崎市にとって財政負担があまりに大きすぎる。そこで保存のあり方を検討するために、市の総務委員会の委員たちが視察をしたわけだ。

 軍艦島は長崎港から高速船で1時間足らず。周囲1.2キロの無人島で、高層の建造物などとともに島影が戦艦「土佐」に似ていることから軍艦島と呼ばれた。

 1890(明治23)年に三菱高島炭鉱が採炭を開始。1916(大正5)年には日本初の鉄筋コンクリートの高層アパートが建つなど最盛期には5200人が住み、人口密度は東京の9倍といわれたが、1974年に閉山。無人島となり上陸禁止となった。その後2000年代に入り廃墟ブームが到来し、廃墟マニアたちからの要望で、09年に一部に限って上陸できるようになった。

●不快感を隠さない地元自治体

 地元にとって、廃墟の島が世界文化遺産に推薦されるとは想定外のことだった。推薦決定を受け、長崎県と長崎市の幹部は落胆の表情を隠さなかった。長崎市の幹部は「一体どんな理屈で(軍艦島が)産業革命遺産に決まったのか。信じられない」と不快感をあらわにしたという。

「産業革命遺産」には軍艦島の端島炭鉱跡のほか長崎造船所小菅修船場跡、旧グラバー邸の長崎市内の資産が含まれているが、実は長崎県と長崎市が強く推したのは「長崎教会群」だった。日本へのキリスト教の伝来と信仰の歴史を示すもので、国宝の大浦天主堂(長崎市)や隠れキリシタンの末裔たちが島々に建立した教会、「島原の乱」の舞台となった原城跡など13件で構成されている。

 長崎県の中村法道知事は今年4月、「産業遺産の15年登録に反対する」と表明した。15年は隠れキリシタンが大浦天主堂で信仰告白した「信徒発見」から150年の節目の年だ。「15年に教会群の登録を」という強い思いがあった。

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