ノーベル経済学賞は「ノーベル賞」ではなかった!人類に貢献せず、経済的混乱の要因に

Business Journal / 2016年10月4日 6時0分

 何がいけないのか。ファインマンは続ける。自分は、何かを本当に知ることがいかに大変か、実験を確認する際にどれだけ注意深くなければならないか、人がいかにミスや思い違いをしやすいか、知っている。

 ところが社会科学者はそうは見えない。タイプライターの前に座って法則らしきものをこしらえるが、それが正しいかどうかはわからないとファインマンは言う。厳格な手続きでデータの測定や推論、検証を求められる自然科学者から見ると、経済学者ら社会科学者のやり方はいかにもいい加減ということだろう。

 ファインマンの批判に対し、経済学者にも言い分はあるだろう。自然科学が扱う物質と違い、生身の人間が動かす経済現象は実験室で実験することはできない。かといって、実験のために経済政策を行うわけにもいかない。せいぜい過去のデータをあちこちから集め、統計のテクニックを駆使してなんらかの法則らしきものを探るしかないだろう。

 ファインマンが言うとおり、20世紀以降、経済学は自然科学、とりわけ物理学の「形式」を熱心にまねてきた。現代の経済学論文は、まるで理系の本のようにおびただしい記号や数式で埋め尽くされている。少なくともその見てくれは、あたかも物理学と同格の厳密な科学であるかのようだ。経済学者は「経済学は社会科学の女王」と自画自賛する。しかしその実情は、物理学者のファインマンに言わせれば「えせ科学」にとどまっている。

●「見せかけの知」

 もし自然科学と経済学のこの落差が、前者は物質を扱うが後者は人間を扱うという性質の違いによるものだとしたら、そもそも自然科学の手法をまねることが誤りだったのではないか。そんな疑問が頭をもたげる。

 ごく一部の経済学者はその誤りを認識している。その一人は、1974年にノーベル経済学賞を受賞したフリードリヒ・ハイエクである。

 ハイエクは「見せかけの知」と題する受賞記念講演で「経済学者が政策をもっと成功裏に導くことに失敗したのは、輝かしい成功を収める自然科学の歩みをできるかぎり厳密に模倣しようとするその性向と密接に結びついているように思われます」と述べた。そして、自然科学の手法を社会科学に機械的かつ無批判に適用する態度を「言葉の真の意味において決定的に非科学的」(『ハイエク全集』第二期第四巻<嶋津格監訳、春秋社>)だと厳しく批判した。

 今の世界経済の混乱は、経済学の混迷と無縁とは思えない。経済学は自然科学の模倣という「見せかけの知」から抜け出せるだろうか。今年のノーベル経済学賞は10月10日に発表される。
(文=筈井利人/経済ジャーナリスト)

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