ベストセラーの百田尚樹『日本国紀』、天皇の万世一系を否定しつつ称揚するという矛盾

Business Journal / 2019年2月11日 20時0分

 まず、歴代天皇の実際の在位期間を特定していないし、応神天皇は熊襲が大和朝廷を破って取って代わった可能性も強いとしているし、4世紀後半における半島進出も九州の地方勢力による可能性が強いとしているので、この点では『日本書紀』の記述との整合性はとりようもない。

 また、『日本書紀』の記述の正しさを立証する証拠である、倭の五王による南朝への遣使についての中国の正史の記述を、些細な理由で「信用できない」と切り捨てている。つまり、日本の半島における支配のもっとも客観的に説得力ある証拠を全面否定しまっているのである。

 さらに、全羅道における前方後円墳の存在を理由に、百済を日本の植民地のような存在だったと主張している。『日本書紀』でも『三国史記』でも、百済に対する日本の強い影響が書かれているが、少なくとも植民地のようなものだったということは『日本書紀』にすら書かれておらず、上下関係は明白であっても独立国として扱われているので、この主張は不適切だ。

 そもそも、全羅道における前方後円墳は、主として512年に百済に日本から譲渡される以前の任那四県におけるものとみられ、百済の支配下で建造されたものとはいえないとみるのが普通なのに、前後関係を検証しなかったのでわけのわからないことになっている。

●江戸時代についての矛盾した評価

 江戸時代についても同様で、「前時代的な文化の遅れた時代」ということを否定し、経済、生活、文化の水準が高かったとする一方で、鎖国によりテクノロジーの発展が遅れ、変化を恐れたために弊害が生じ、幕末に大きな混乱があったとしている。

 しかし、鎖国によって輸入できなかったのはテクノロジーだけでない。そして、幕末の混乱は危うく植民地にされかねないほど深刻なものだった。

 全般的に江戸時代の政治のダメさ加減について正しく把握しているのに、その結果、惨憺たるものだった社会の状況については、妙に楽観的な江戸時代礼賛論になっている。寄せ集めの歴史観が混在しているようにも見えるが、ひとつの推測としては、江戸の町民たちの状況をもって全国的な傾向という誤解をしたからかもしれない。

 そのあたりは、私が「平壌市民の生活を見て北朝鮮を論じるようなもの」と批判しているような、このところ人気のある歴史観に流されてしまったような気がする。
(文=八幡和郎/評論家、歴史作家)

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