松井秀喜をヤンキースに入れた敏腕通訳、自殺未遂後に性別適合手術→女優として再起

Business Journal / 2019年6月10日 11時0分

写真

--「人生100年時代」と政府が掲げ、高齢者の雇用促進、リカレント教育などに力が注がれる。一方で早期退職を募る大手企業も多く、終身雇用制度は崩壊しつつある。そんな現状に不安を感じる方も多いだろう。しかしながら、人生はあきらめなければ、いつだって逆転できるのである。本連載では、どん底人生からあきらめずに逆転した経験を持つ人を紹介していく。--

 都内の某ライブハウスで、出演中のバンドの女性に目を奪われた。その長身で細身の女性ギタリストの演奏は、心に響いた。メンバー紹介で「異色のギタリスト、KOTA! メジャーリーグで渉外のスペシャリスト。数多くの日本人メジャーリーガーを誕生させた」という経歴を聞き、なんとバイタリティのある女性かと感嘆した。しかし、ライブの後、KOTAはトランスジェンダーで、性転換手術を受けて女性になったと知り、さらに驚いた。そんなKOTAに、“逆転人生”を聞いた。

●過酷な幼少期

 1988年に福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)へ「渉外・通訳担当」として入団してから約20年もの間、野球界で活躍し日米野球の架け橋として活躍したKOTAの幼少期は過酷なものであった。

 KOTAは時事通信社の海外特派員だった父と専業主婦の母のもと、東京に生まれた。日本と海外で引っ越しは30回以上に上った。

「4才で東京・上北沢から英ロンドンのウィンブルドン・パークへと移りました。当時の現地は、日本人は珍しく、最初は差別も強く大変でしたが、なんとか溶け込み1年半住んだ頃、父が国連担当となり米ニューヨーク(NY)へ移りました」(KOTA)

 ロンドンの下町の英語とNYの英語は大きく異なり、NYでの最初の半年は子供ながらに気持ちが荒れたという。ようやくNYの英語にも慣れた頃、再び東京に戻ることになった。その時、KOTAは小学2年生だったが、日本の学校は海外生活が長いKOTAの受け入れに難色を示し、1年生として入学することになった。

「小学校の校長から『浩太くん、“白い”の反対は何』と質問され、私は『白くない』と答えたのです。当時の日本では規格外の答えとされたようです」(同)

 なんとも閉ざされた世界だと感じる。小学1年生からのやり直しで始まった日本の生活も、わずか半年で父がインド・ニューデリーに転勤となる。

「ニューデリーでは、アメリカ大使館の中に日本人学校があり、1~6年生全員で37人と少人数でした。おかげでみんな仲が良く、朝から晩まで外で泥んこになって遊びました。大阪体育大学を卒業した先生が赴任し、インドで大阪弁を覚えたっていう、笑い話みたいな経験をしました」(同)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング