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【インタビュー】黒沢清監督が語る、黒沢流・恐怖演出と映画『Chime』での挑戦

cinemacafe.net / 2024年8月10日 12時15分

舞台をパリに移したセルフリメイク『蛇の道』、第81回ヴェネツィア国際映画祭に正式出品された『Cloud クラウド』(9月27日公開)と、2024年は黒沢清監督イヤー。その内の一本であり、メディア配信プラットフォーム・Roadsteadでの独占販売という新たな形態に挑んだのが『Chime』である。


本作は、45分という長さで黒沢が脚本・監督を手掛けたオリジナル作品。料理教室の講師・松岡(吉岡睦雄)の周囲で異変が次々に発生するサイコスリラーであり、黒沢独自の恐怖演出が全編にわたって冴えわたっている。


4月に全世界999個限定のオーナーライセンスを販売し、8月からは劇場上映も行っている本作。『Cloud クラウド』のオフィシャルライターを務めるSYOが、黒沢監督の過去作品も絡めつつ、『Chime』の舞台裏と黒沢流・恐怖演出を聞いた。


『Chime』 ©Roadstead

――自分は『Chime』の配信直後に購入し、PCをテレビにつなぐ形式で観賞しました。黒沢監督は制作時、こうしたユーザーの視聴環境について意識はされましたか?


配信という形でのスタートですが大きな映画館で上映されることもないとはいえないので、そのような場合に見劣りしないように、とは意識していました。いまや、スマホで観る方もいれば今おっしゃったようにテレビで観る方もいて、様々な見方が普及していますよね。僕だってそんな形で映画を観ますし、「どういう形でもお好きに観てください」という気持ちで特にこだわりませんでした。


ただ、45分という長さは僕にとってほぼ初めてに近いもので、普通の映画の半分くらいだけれどいい加減にやると凄く退屈したものになってしまうし、色々盛り込もうとしてもあっという間に時間がなくなるし、どれが正解かは未だにわかりませんが試行錯誤しながら作ったつもりです。といっても、たかだか45分しかないので適当なところで終わっても観た人は怒らないだろう、と思ってもいました(笑)。これが2時間の映画だったら「結末をちゃんと作れ」とか言われちゃうのでしょうが、突然終わるのは45分ならではの自由だと信じて、作っていきました。


――45分に収めるにあたって、脚本執筆や編集段階等で取捨選択は多かったのでしょうか。



ある程度はありますが、シークエンスを丸ごとばっさり無くした等はないかなと思います。長すぎるシーンをちょっと短くする程度でしょうか。


――となると、45分という初めての挑戦でもある程度は計算通りに進んだのですね。


計算通りは計算通りなのですが、観た方がどう思うのかはさっぱりわかりません。内容も内容ですから観て幸せになれるものではないですし、こういうものを面白がってくれればいいなと願うばかりです。「本当にこれでいいのかしら」という想いは、いつまでも付きまとっています。


――黒沢監督は本作に「幽霊の怖さ」「自分が人を殺してしまうのではないかという怖さ」「警察に逮捕されるのではないか。法律、秩序が自分にひたひたと近付いてくる怖さ」という“3大怖いもの”を盛り込まれたそうですね。



僕はこれまで作ってきたドラマや、通常のホラー映画やサスペンス映画などで「映画の中でハラハラドキドキする/ぎょっとする」パターンはいくつかに絞られると考えています。それらは大体別の映画で扱われるものですが、『Chime』においては1本にまとめてみました。



――『回路』ではインターネットが異界に繋がっていて、『Cloud クラウド』ではインターネットが狂気を増長させる装置として描かれています。黒沢監督ご自身は、人間が感じる怖さは時代と共に多様化したとお考えでしょうか。



難しいところですね。根本は変わっていないと思いますが、ぱっと見の具体的な表現としては多様化してきた印象です。特に、怖い映画で使われる“音”については下手したら50年以上大きく変わっていないのではないでしょうか。もちろん、全く新しい怖さを追求している映画もあるのかもしれませんが、少なくとも僕はまだ観たことがありません。


――しかし『Chime』には多様な怖さが詰め込まれていますよね。個人的にゾクッとしたのは、料理教室でカメラが何かに憑りつかれたかのように激しく動き出す部分です。その先に映るものというよりも、カメラワーク自体に恐怖したのは新鮮な体験でした。こういうものは脚本段階から想定されているのでしょうか。


いえ、脚本段階ではそこまで具体的には考えていません。場合によりますが、多くはロケハンの中で決まっていきます。というのも、脚本に「料理教室」と書いたとしても、どんな場所か全くわからないからです。撮影に際して実際の料理教室を使わせていただけることになり、自分の目で見て「ここで撮るんだったらこうしたら面白いかも」という発想が生まれてくる形です。やはり現物を見ないと、文字だけではほとんど何も浮かばないものです。



――主人公の妻が不自然なほどに大量の缶をしかも脈絡のないタイミングで捨てているシーンも鮮烈でしたが、あれはどういった発想から生まれたのでしょう。


実はあれにほとんど近い人が近所にいるのです。そんなに狂った人ではないのでしょうが、毎週決まった時間にゴミ捨て場に「ガラガラガラ」と周辺にものすごく響くような大きな音を立てて大量に空き缶を捨てていて、「若干ストレス解消もあるのかしら。面白いな」と思い、使わせていただきました。


――お知り合いの方に転売屋がいたことから「贖罪」や『Cloud クラウド』の設定に繋がったというお話も以前されていましたが、黒沢さんご自身の経験から引っ張ってきた部分もあるのですね。


それを基に大きなドラマを作ることはそうそうありませんが、ちょっとしたアイデアで「これ使えそう」というものは身近なところから拾ってくることもあります。


――『Chime』の料理教室で顕著な“ステンレスが持つ怖さ”は、クリント・イーストウッド監督の『ヒア アフター』の影響もあったそうですね。


そうですね。実はもともと、料理教室から発想したわけではありません。「若い人たちに教えている」というアイデアを具現化できる場所として、「塾や大学にするか? もっと何か面白いものはないかな」と考えていく中でふと『ヒア アフター』を思い出しました。料理教室は撮りようによってはすごく無機的で不気味だし、刃物が平気で置いてある怖い空間だなと感じ、脚本に反映させていきました。


ただ、実際に貸してくれるところは少ないんじゃないか、どこも貸してくれなかったら別の設定に書き直さざるを得ないかなと危惧もしていました。幸い、中野にある料理教室が内容も分かったうえで気軽に貸してくださって、有難かったです。


――となると、電車の音や光が急に入ってくるような不気味な演出は撮影地が決まったことで生まれたのですね。



そうですね。中野の料理教室を見に行き、実際にやたらと電車が通るので劇中でもそうした設定にしました。最初から狙っていたわけではなく、ああいうことが雑然とした都会の真ん中で起こるのはなかなか良いなと思い、加えた形です。



――黒沢監督は以前、恐怖演出の方法論の一つで「タイミングをずらす」というお話をされていましたよね。『Chime』にもそうした要素を随所に感じました。



何かが突然バーン!と起こる怖さよりも、「何かが起こりそうな感じがするけれどこれは怖いんだろうか?」と観ている人が判断できないような間(ま)は、上手くやると1番怖いのではないかと考えています。


不思議なもので、怖いものがバーン!と起こると、怖いは怖いのですが安心もするように思います。あくまで映画の中の出来事で現実ではないものですから「ああ怖かった」とどこか安心しているんですね。対して「どっちなんだろう」と判断に迷うのが1番嫌な時間帯なので、その感じはなるべく長引かせてあります。



ただ――あんまりやりすぎると結果として怖くも何ともならず訳が分からないものになってしまうので、「大丈夫です、怖いです」というものをどこかで入れるようにもしています。非常に感覚的なものですが、その塩梅は毎回難しいと思いながらも楽しんでいます。



――『クリーピー 偽りの隣人』公開時に「田舎と都会の境目で事件が起きやすい」と話されていたのが記憶に残っています。松岡(吉岡睦雄)の家も、その系譜にあるのではないかと感じました。


『クリーピー 偽りの隣人』では怪しげな人が住んでいる変な住宅地として表現しましたが、今回は脚本に「家を出たら何の変哲もない普通の住宅地が広がっている」と書きました。それをどう表現するか、あんまり交通量が多いと撮影できないし、田舎に行きすぎるととても東京郊外には見えないし――と悩んだ末に、国立の辺りで撮りました。雰囲気はまさにぴったりだったのですが、意外と車が通っていて車止めが大変でした(笑)。



実際の場所を撮るときは、イチかバチかだと感じます。こっちは東京郊外の何でもない住宅地のつもりですが、にぎやかだと感じるか田舎と感じるか、これぞ東京と感じるかは観る方に委ねられていて、意図通りに伝わるかはわかりません。しかしそこが映画表現の危なっかしいところであり、面白いところでもあります。僕はアニメーションをやったことがないため滅多なことは言えませんが、アニメで「なんでもない町」を描くとなったら大変だと思います。でも実写だと、案外なんとかなってしまうんです。まだ中野あたりだと、誰が観ても大体同じイメージになりますが、国立辺りは観客次第でどうとでも見えてしまう。そうした雰囲気が、「本当に何でもないところにこんな人がいてこんなことが起こったんです」というこの映画にとってはプラスに働いてくれたようにも感じます。



――黒沢監督はこれまでにも映画祭などでご自身の作品をお客さんがご覧になる瞬間を目撃してきたかと思いますが、「どういう反応をするか」は未だに“怖い”ものなのでしょうか。



それはもう怖いです。どんな形にせよ喜んでくれたらそれに越したことはありませんが、経験を積んでいくなかで必要以上に考えないようになりました。「訳が分からない」とか「つまらない」と言う人もいっぱいいるでしょうし、様々な方が観てくれている以上、ああだこうだと反応されるのは仕方がないことだとも思っています。発表してしまったからには不可能だとわかってはいますが、「面白いと思ってくれる人だけ観てほしい」という夢はあります。観てみないことには面白いかどうかわかりませんから不可能な夢ではありますが、もしそうなったらとても健全だなとは思います。



――ただ同時に、黒沢監督は映画制作において作り手側すらも「わからない」ことを愛していらっしゃるようにも感じます。


おっしゃる通りです。映画とは文章などと較べると本質的にわけのわからないメディアであり、わかる方が不思議で仕方ありません。もちろんいくつかのことは苦労してわからせようとしていますし、最低限わかってもらえるのですが、ほとんどのことはわからない。しかしどうやらそれで許されてしまうようなのです。


例えば2時間の映画というのは、ある人々が出てきて何やかやを繰り広げて最終的には何かしらの結末を迎える――というものかと思いますが、「この人たちはどこから来たのか」が必ずしも説明されるわけではありません。ちょっと混み入った話かもしれませんが、脚本で「シーン1」「シーン2」となっているものを実際に撮って編集で繋ぐと、時間も場所も別々なのに物語として繋がって見えてしまうんです。もちろんオーバーラップさせたり「3カ月後」とテロップを入れたりして説明する場合もありますが、「シーン1が会社」「シーン2が喫茶店」と場所が違っても会話が続いていたら受け入れられてしまうし、もっと言うと場所が変わったことに気づかない人もいる。脚本上には日時も場所も明確に記されていますが、映画では説明しなければ観客は次の日なのか1週間後なのかもわからない。しかしどうやら、わからなくても別にいいようなんです。こちらが説明のために衣装を替えたりしていても、誰も気づかなかったりしますから。つくづく映画って訳がわからないけれども、多くの場合人はそれでも構わないようで捉えどころがありません。


――“わからなさ”でいうと、黒沢監督の作品では一貫して犯罪の動機を「周囲はおろか本人もわからないもの」として描いているように感じます。『CURE』でもそうした言及がありますし、『Chime』も同様に、明確には明かされません。


本物の殺人犯に会ったことがないため実際どうなのかはわかりませんが、色々と本を読んだりドキュメンタリーを観たりすると、大変なことをしでかす人に限って「たまたまそこに包丁があった」「魔が差した」といったような理由が案外多く、本人もなぜそうしたのかがよくわかっていない場合が多々見受けられます。物語的にそれじゃあ困るというので「誰それに腹が立っていた」等々のドラマを設けていますが、実際はそんなもののようです。



自殺の原因もいまでこそ色々と言われるようになりましたが、明治時代なんかは自殺の原因は「錯乱」でそれ以上の追求はありませんでした。でも皆さん「どうして錯乱したのか」を知りたがるものですし、これは殺人についてもそうです。「ついやってしまった」「なぜかわからないけど錯乱した」では、自分の中で処理できないんでしょうね。「そんなはずがない」という想いから一つの殺人に対してストーリーを創り上げる――警察とか裁判といったシステムにはそのような役割があるのではないかと思います。



『Chime』においても、「45分だから許してほしい」と思い切って動機はほぼ描きませんでした。「頭の中でチャイムが鳴った」という「なんだそれは?」な説明だけなのですが、吉岡睦雄さんがその辺りはよくわかっていて「突然凶行に及び、その後は妙に落ち着いている」という状態を巧みに演じて下さいました。


――『Cloud クラウド』の吉岡さんも絶妙でしたが、『Chime』においては何かお二人で話されたのでしょうか。


いえ、特に何も話しませんでした。向こうも色々と聞きたかったかと思いますが、僕が何も言わないから聞いてこなかったし、聞かれたとしても僕がうまく答えられなかったと思います。ただ、吉岡さんとは以前から何度か組んでいましたし、他の方の作品も観ておりましたので不安はありませんでした。彼は切羽詰まったがけっぷちにいるキャラクターを演じると絶品ですよね。「この人は危ない、瀬戸際にまで行っている」というギリギリな感じを実に上手く出して下さるので、後は何をやっていただいても大丈夫だと思っていました。ご本人は全然そういう方じゃないので、不思議ですよね。


――本日は貴重なお話の数々、ありがとうございます。黒沢監督は『蛇の道』『Chime』『Cloud クラウド』で「自分の“好き”を追求させてもらった」とお話しされていましたが、今後の創作欲について、最後に教えて下さい。


映画はやっぱり奥が深くて、まだまだ撮れていない・やりたいものが山のようにあります。ここ最近は暴力的な作品が続きましたが、そうではないものもやりたいですね。特に自分は、たった一つのテーマをずっと追い続けるタイプの監督ではありませんから。スティーヴン・スピルバーグは次に何をやるのか全くわかりませんよね。自分もそうで、ただただ映画を作りたいという想いは尽きません。


とはいえ、映画は予算がかかるものですから自分がやりたくても「じゃあやろうか」とパッとできるものではありません。プロデューサーなのか原作なのか俳優なのか、いい出会いがあってこそだと思っています。今回の『Chime』もRoadsteadさんが「45分で何をやってもいいです」と言って下さったから「これは滅多にないチャンスだぞ」とやらせていただきました。そうした出会い次第でどんどん可能性が広がっていくはずだ、いつもそんな気持ちでいます。


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