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【インタビュー】齊藤工、竹林亮監督への絶対的信頼「商業的作品にはない本質」を生み出すクリエイション

cinemacafe.net / 2024年12月4日 7時45分

ある中学校のクラス35人全員に密着した『14歳の栞』で注目を集めた竹林亮監督が、齊藤工による企画・プロデュースのもと、新作ドキュメンタリーを創り上げた。ある児童養護施設に暮らす子どもたちの成長を見つめた『大きな家』だ。


現在、年齢制限は撤廃されたものの基本的には18歳を過ぎて準備ができたら自立しなければならない環境の中で、各々が人生と向き合うさまを描いた本作は、劇場上映のみを予定している。子どもたちや職員の配慮を施しながら、そこに生きている人々そのものを映し出した本作。竹林監督と齊藤さんに異端のドキュメンタリーに込めた思いを伺った。


子どもたちが意見を言ってくれるような関係性に


――本作を拝見した際、構図であったりカメラの置き所が子どもたちに寄り添うようなものだったのが印象的でした。


竹林:いまおっしゃったカメラの目線や高さは、まさに全員が意識していた部分です。各パートそれぞれの主人公の目線になるように調整しました。距離感をもって撮りつつも、大事なカットは話している子たちと目線を揃えられるように。また、作品全体がパートごとに年齢が上がっていく構造にしているので、徐々にカメラの目線も上がっていきます。


――ただ、目の前で被写体が生活を送っているわけですから、インタビューパート以外の決め打ちはなかなか難しいですよね。どのような工夫をされたのでしょう。


竹林:おっしゃる通り、撮りたいものって大体撮れないんです。だから計画しても基本的にその通りにはいきません。ただ、みんなでご飯を食べたりしながら「こういう子だよね、こういう癖や面白さがあるよね」という話をしていくうちに、僕たちが撮っている相手の見方が変わってくるんです。


僕らが気になっているポイントや被写体にとってのキーワードが何となく見えてきて、かつそれをスタッフ間で共有できている状態なので、撮影部や録音部が瞬間的に動けたのではないかと思います。あとは、数百時間ぶんくらい撮っているため、様々なアングルを試すことができたということも、大きいかと思います。


――それだけの素材を約2時間に収めるのは相当大変だったかと思います。被写体の方々に意見を聞きながら編集作業を進めていったそうですね。


竹林:「本人が嫌なものは絶対に出さない」が最重要ルールでした。編集作業はトータルで半年くらいかけていて、ある程度見えてきた段階で本人や職員の方に観てもらい、気になるところをヒヤリングして再編集する形で進めていきました。


「自分のプリクラは映さないで」や「背中の筋肉がちゃんと映っているところにしてほしい」といった可愛いリクエストも反映しつつ――最後のエピソードの男の子は「自分は恥ずかしいけど、映画にとってはすごくいいよね」と受け止めてくれたのですが、本人が折り合いを付けられる場所という映画のあるべき姿に落ち着けた気がしています。


齊藤:子どもたちの年代にもよりますが、長い間共存して下さったおかげで各々が撮影という装置を理解し出しました。そして後半になると本人たちが「こう切り取ってほしい」と意見を言ってくれるような関係性に昇華されていった点が、傍から観ていて面白かったです。


竹林:「子どもたちが学校から帰ってきたらいる人たち」のような状態でやらせていただきましたが、最初からカメラを意識していなかったということはやはりありませんでした。職員の方も「普段はこんな感じじゃないのに、カッコつけちゃっている」とおっしゃっていましたが、本人がいま人に見せたい姿を切り取るのは、決して嘘ではありません。それもまた、本人の一面ですから。



齊藤工、監督のクリエイションに対する信頼


――乱暴な言い方で恐縮ですが、ある種ホームビデオ的になる可能性もあったなか、本作が「映画」として確立しているのは竹林監督のクリエイションだと感じています。齊藤さんはどのようにご覧になっていますか?


齊藤:おっしゃる通り、これだけ情報があふれていて、映像・映画を受け取る環境が配信ベースになりつつあるなかで、映画と個人で配信している映像の差別化がものすごく問われる時代であり、「これにお金を払うの?」と言われてしまう可能性も建付けとしてはありました。ただ、僕が出会った被写体の子どもたちと施設の方々、そして竹林監督のクリエイションと被写体との距離感は絶対にそっちにはいかないという確信がありました。この座組でなければ、やろうと思えなかった気がします。


竹林監督の『14歳の栞』が劇場に足を運ばせたのは、口コミが援護射撃になっているのも大いにあるかと思いつつ、作品から漂う「クオリティの高さ」かと思います。『大きな家』も構図をはじめ結果的に映像のクオリティがとても高かったですが、企画当初はそうした映像面においては、かつて自分が被写体としてマダガスカルやカンボジアに竹林監督と行くドキュメンタリーを経験した関係値もあり、竹林監督のクリエイションに対する信頼だけでした。そのうえで「コロナが明けてきたいま撮らないと逃してしまう何かが確実に映り込むはずだ」という漠然とした確信に突き動かされた形です。


目的やフィロソフィーが掲げられないと映画の企画は成立しないかと思いますし、商業的な成立のさせ方がプロデューサーの役割でしょうが、むしろそうではないものに宿る本質が竹林監督と児童養護施設の子どもたちの間に生まれるんじゃないかと考えていたのです。この作品が世に出るものになるかも定かではないからこそ、映画づくりにとっては不誠実でもあるような変則的な進め方をできました。



年齢という括りで“成長”という流れを作る


――先ほど伺った「被写体が制作に参加する」体制含めて、一般的なドキュメンタリーに対するカウンター的な作品でもありますね。各々の背景を説明しない、というのも新鮮でしたし、音楽やナレーションを排している点も興味深かったです。


竹林:まず、様々な人に影響を及ぼしてしまうため全てをオープンにはできないという制約がありました。そのうえで、被写体の子どもたちが「この映画に出てよかったな」と思えるものがいいという前提の思考の整え方を行っていきました。


大抵のドキュメンタリーは課題を提示する役目を担っているかと思いますが、その観点でいうと「背景を説明しよう」となっていたかと思います。ですが「こういう子です」と見せてしまうことでわかった気になって整理してしまうのも危険ですし、本作ではそれを行いませんでした。


背景に想像を巡らせながら「自分に近いところがあるのかもしれない」などと考えながら観ていくと、一つひとつの言葉に耳を澄ませることになり、子どもたちに向き合うことができると信じて。ただ、ドキュメンタリーとしてそれを行うことは非常にチャレンジングでした。どう成り立つのかわからない怖さがあったのは確かです。


そんななかで、「こういう性格だからこの順番に並べるんだ」ではなく、普遍的な年齢という括りで“成長”という流れを作ることにしました。個人に限定しない共感の仕方を生み出したいという想いから、そうした整理を行った形です。


齊藤:その構成については、僕は仕上げの段階で知りました。子どもたちが全員僕のことをメディアを通して知っているわけではありませんでしたが、とはいえ自分の存在がノイズになりかねないので、極力内に入らないようには気を付けていたつもりです。


僕の担当としては、作品の中身というよりも、長い間カメラが子どもたちや職員の方々の生活に入ることに対して安心してもらえるような役割であり、そのために接点を設けていました。自分が現場にいかに立ち会わないかが大切だと感じて、作品の完成を楽しみに待っていました。


そのなかで、子どもたちの何人かが、福田文香プロデューサーをはじめスタッフの方々の働く姿を見て映像業界に興味を持ってくれたことが記憶に残りました。「映像業界で生涯働いていく」というところにたどり着かなくても、職業を知ってもらい、働く大人――しかも心を許せる人たちとかれらが出会えたことはひとつのゴールになった気がします。被写体になってもらい、撮影する仕事を近くに感じてもらったことが、貴重な体験になったのかもしれないと思えた出来事でした。



▼齊藤工
スタイリスト:Yohei "yoppy" Yoshida
ヘアメイク:赤塚修二
衣装クレジット 
セットアップ・スニーカー:Y’s for men/ワイズフォーメン
シャツ:Yohji Yamamoto/ヨウジヤマモト

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