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「光る君へ」なぜ“手”をクローズアップ?心に美しい残像を生むために~タイトルバックの裏側

シネマトゥデイ 映画情報 / 2024年5月31日 12時0分

 タイトルバックの中でたびたび登場するのが、主人公・まひろと道長の手。二人の手が近づいては離れていく様子は、その関係を象徴するかのようでもある。時に重なる場面もあり、手だけが映されることで観る者の好奇心を掻き立て、「艶めかしい」「官能的」と評判だ。

 「まひろと道長を表す表現として、抽象的だけど生々しく感じられるものがいいなと考えていました。そうしたときに、手には表現の幅がすごくあるなと。握ったり、突き離したり、逃げたり、指先だけ触れたり……。初めはまひろに加えて(柄本佑演じる)道長も登場させることも考えたんですけど、タイトルバックは極力具象化しない方がいいと思ったのでやはりやめようと。抽象的で、なおかつ感情表現に富んだ最大のモチーフになるのは手だと思い至りました」

 手をモチーフの中心とする一方で、市耒がこだわったのは手そのものではなく「光」そのものを映すことだった。

 「手だけを撮ると生々しくなりすぎるのでカメラマンには“手を撮らないでほしい”と伝えたんです。光で包むような形で撮ってほしいと。それはまひろ(吉高由里子さん)を映すときも同様でした。カメラマンには面白い挑戦になりますよね。被写体をピントを外さずに映すことを訓練している最高のプロに、“ピントが合わなくてもいいです”というわけですから。僕としては、その人物が相手に触れたい、あるいは近づきたいけど近づけないといったようなことの一瞬を表現したかった。僕がスタッフに言い続けていたのが“永遠に感じる一瞬”を映したいということ。それは具象的なことではなく残像のようなものにしなくてはいけないんだと」

 「見終えた後に残像として心に残るものが重要」とする考えは、本作に限らず市耒がテレビCMや短編などの映像制作の際にも、常に意識していることだという。

 「極端な言い方をすると見ているもの自体はあまり大事ではなくて。例えばキスシーンがあったら、“キスシーンを見た”以上の広がりはないと思うんですけど、男女の手が触れるか触れないかの状態にあって、光に包まれていたりしたら、細胞の律動というか、物語を見る人ひとりひとりにゆだねることができますよね。美しい映像なのはプロだから当然ですが、視覚的な抽象要素の群像が、見る人にどのような物語を起動することができるか。だからすべてのものをいかにメタ・ポエティックに撮れるかということにこだわりました。もしかしたら、手以外の方法もあったかもしれないけど、ちょうどよかったのかな(笑)」

 劇中でも、幼いころに運命的な出会いを果たしたまひろと道長は再会と別れを繰り返し、遠く離れていても月を見上げては互いに思いを馳せ、数奇な縁で結ばれている。市耒が手掛けたタイトルバックは、そんな二人の思いが込められているかのような奥深さに満ちている。(取材・文:編集部 石井百合子)

市耒健太郎(いちきけんたろう)プロフィール:
東京藝術大学大学院修了。博報堂を経て、独立。クリエイティブディレクター兼フィルムディレクター。創造性を研究する学校、UNIVERSITY of CREATIVITY を主宰。

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