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「光る君へ」道長の出家の理由が「失恋にしか見えない」 御簾を下ろしての密談も話題に

シネマトゥデイ 映画情報 / 2024年11月24日 21時10分

 なお、時代考証を担当する倉本一宏は、道長の出家の理由について「紫式部の父・藤原為時も晩年となる長和5年(1016)に出家していますが、政治から身を引いて出家するというのは、当時はよくありました。そのうえで道長が出家した理由の一つには、病気がなかなか良くならなかったことが挙げられます。病気になるとその都度いろいろな人物が霊となって現れ、日記などに記録されていたりするのですが、道長の場合は兄である道隆と道兼に加えて、定子、伊周、三条天皇、敦康親王、そして顕光といった人たちが現れていたと思います」と公式サイトのコラムで解説している。

 また、頼通に関しては摂政となってからも優しすぎる性格ゆえか頼りなさを露呈することとなり、ことあるごとに道長に指示を仰ぐありさま。特に左大臣・顕光(宮川一朗太)は帝の前で居眠りをしたり、的外れなことに固執して陣の定めを長引かせたりと失態続きだといい、頼通は右大臣を辞めさせるべく道長に相談。すると道長は顕光が自ら辞職を願い出るように仕向けるため「失態のたびにみな(公卿たち)の前で厳しく難じよ」とアドバイス。頼通はこの案に激しく動揺していたが、視聴者も「嫌な作戦だ…」「パワハラ指南w」「アドバイスがパワハラ」「パワハラの勧め」とざわついていた。

 公任(町田啓太)も「心はまったく出家しておらぬな」と道長にツッコミを入れていたが、実際にそうだったようで時代考証の倉本は「道長は出家してからも禅閤(ぜんこう)と呼ばれて、権力を行使し続けています。頼通も、いちいち道長にお伺いを立てていますね。『春記』(しゅんき/藤原資平の長男・資房の日記)によると、頼通は人柄が穏やかでいい人だったようですけれども、道長と比較すると実行力などで見劣りしたようです。このためか、実資をはじめとした公卿たちは、出家して以降も道長のもとをよく訪ねています」と述べている。(石川友里恵)

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