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お金さえあれば幸せ? 石井ゆかりの『幸福論』

ココロニプロロ / 2019年5月25日 18時45分

「感謝」は、この世の中ではとても重要な思いとされています。「感謝を忘れないように生きています」「いちばん好きな言葉は『ありがとう』です」と言う人はたくさんいます。
一方で、「ありがとう」が好きではない、という人もいます。お礼や感謝は「負債を精算したいという気持ち」に通じ、よそよそしく失礼な感じがする、というのです。昨年『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』という本が話題になりました。強く結びついた人間関係や共同体においては、「感謝の表現」は異質なものになることがあるようです。

お金の問題が難しいのは、人が幸福になることや満たされることの土台に「善・悪」という概念が横たわっているからなのでしょうか。
多くの人は満たされることを願っているわけですが、そのことが果たして「善いこと」なのかどうか、というところで、立ち止まらざるを得ないのかもしれません。
「頑張った自分への御褒美」というフレーズがごく一般的に使われるわけですが、そもそも自分で自由にしてもいいお金であれば、好きに使っていいのです。「頑張った自分」というエクスキューズがどうして必要なのか。ここにもうっすらと、お金にまつわる倫理観のようなものの影が見えるのです。

私たちが満たされることは、そんなに悪いことなのか。
「過剰に満たされるのは善くない」という考え方もありますが、そこには自分の体や心を害する恐れがあるという意味の「良くない」に留まらないものが含まれています。

私は個人的に、「そんなに申し訳ながる必要は、無いのではないか」と思っています。
罪悪感というのは、確かに誠実で清らかな、人として正しい感情かもしれません。でも、本当に感じるべき罪悪感と、そうでもないものがあると思います。少なくとも「被災しなかったことへの罪悪感」は、私にはとてもよく理解できる感情なのですが、同時に、とても理不尽な感情でもある、と思えます。それは、被災した人々の苦悩への共感とは、別のものです。

私たちはそんなにも、多くを「負って」しまうのか。満たされることに罪悪感を抱き、蕩尽する人々に嫌悪を感じる世の中は、なぜそうなっているのだろうか。
幸福とお金の関係を考えると、どうしても私は、その疑問にたどりついてしまうのです。


>>次回もお楽しみに(6月25日更新)


プロフィール


石井ゆかり
ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。

公式モバイルサイト


「石井ゆかりの星読み」

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