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「死ぬことしか残されていない」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第15回

ココロニプロロ / 2015年1月3日 12時0分

不思議に思うのは、金づるさんが、趣味で出会った200人以上もの人に、年齢すら本当のことを言ったことがないということです。一度も訊かれなかった、ということは考えにくい。なぜ言えないのでしょう。周囲の人が期待している自分でなければ興味を失われるという不安があるのでしょうか。それとも、迷惑をかけたくないがゆえに本当のことをひとつも言えないのでしょうか。

金づるさんの苦しさは、人を信じられないこと、誰にも心を開けないことですよね。借金や暴力もそれ自体、とても重い苦しみだと想像しますし、苦しさとして理解されやすいのはそれらの言葉でしょうが、それらの行為で何より追いつめられ、苦しいのは心です。こんなこと、精神科の先生に何百回と言われているでしょうね。でも、心の苦しさって本当に、人に説明して理解されるのは難しいことです。だから、多くの人は話すことをあきらめてしまうし、話して、寄り添ってくれる人と一緒にいてすら、自分の気持ちは自分にしかわからない孤独があります。

私が希望を持てたのは、「同年代の女性の笑い声が聞こえると、正直、苛立ちすら覚えます」という部分です。金づるさんのような苦労を知らずに笑っている、当然のように幸せを求める人たちに苛立つ気持ちを金づるさんが持っているのは、まだすべてを諦めているわけではないからだと思います。

怒っても、恨んでも取り返しのつかないことの連続の中に生きている人に、希望を持てと言うほうが残酷かもしれません。けど、その苛立つ気持ちをなかったことにしないでほしいのです。それは、どうして自分だけがこんな思いをしなくてはならないのか、という気持ちですよね。金づるさんは周りに気を遣いすぎるほど遣っているのに、笑う側は金づるさんに気兼ねなく笑っています。笑っている彼女たちに悪気があるわけではない。でも、こんな出来事を起こす神の采配みたいなものに、私は怒りを感じます。なんで金づるさんを、こんな目に遭わすのか。こんなに頑張っているのに、いいかげん幸せにしてやってもいいじゃないかと思います。

金づるさんのような体験はしていませんが、私にも人生を諦めたくなることはあります。期待して叶わないこと、夢見て努力してどうにもならないことが何度も続くと、気力を奪われていきます。普段は運命とか予言とか信じない人でも、「自分は何をやってもうまくいかない人間なのかもしれない」「成功する器ではないのかもしれない」「愛される人間ではないのかもしれない」と思い始めます。そう思うのはつらいことですが、期待するつらさよりもそう思うつらさのほうが受け入れやすかったりもします。期待し行動し続けるというのは、すごくタフなことだからです。疲れ切った人間には、「自分はもともとこうだったんだ」という諦めのほうが優しく、受け入れやすいのです。

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