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「愛憎」と「愛情」の境界線はどこにあるの?対等な関係を築くための心理学コラム

ココロニプロロ / 2017年7月1日 23時0分

例えば、恋人が仕事中でメールできず、返信がないことへの不安と寂しさから、自傷行為をしたり自分が浮気に走ったりする。
「あなたが私を寂しがらせるからいけないのよ」
と、相手のせいにして責め立てるんですね。

このように退行あるいは依存する自分を相手に救ってもらいたいという欲求が、期待通りの結果にならなかった際に、「愛憎」へと変換されてしまいます。

相手は、欠点や弱点を持つ一人の人間であり、なんでもしてくれる理想の親ではありません。
等身大の相手を受け入れ、一方的に支えてもらうのではなく共に支え合いながら、手を取り合って生きていこうとする想い、それこそが「愛情」です。

「愛憎」と「愛情」の違いはこのように、自分しか見えてないのか、あるいは自分と相手を見据えているのか、という点にあります。

◆まとめ

愛憎と愛情の境界線、ご理解いただけましたでしょうか。

自立するための努力は、とてもつらいと思います。
見たくないもの、思い出したくない出来事、知らずにいたかったこと、それらを頭だけでなく心から受け入れるという過程を通して、初めて必要な自己啓発が見えてくるでしょう。

等身大の自分を認めてこそ、等身大の相手を認めることができる。
それは、対等な立場で恋愛をする大人の女性になるために、必要な一歩なのです。

ライタープロフィール

黒木蜜
一般企業に勤めながら執筆した作品が日本文学館のオムニバス本に掲載され作家デビュー。古事記への造詣が深く、全国300ヶ所以上の神社紹介記事を執筆。現在、古事記の観点から紹介する神社コラム/恋愛コラムなども手がけている。
黒木 蜜~中今の詩~

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