「ウチをスパゲティ屋とカン違い」とカップル客の愚痴…イタリア料理店炎上に、有名店主が覚えた“既視感”
CREA WEB / 2024年2月11日 17時0分
日本ほど、外国料理をありがたがる国はない! 博覧強記の料理人で、南インド料理の名店「エリックサウス」オーナーの稲田俊輔が、中華・フレンチ・イタリアンをはじめとする「異国の味」がどのように日本で受け入れられてきたかを記すエッセイ『異国の味』(集英社)。その一部を抜粋・編集し紹介する。
「ウチをスパゲッティ屋だとカン違いしてる」
全体として見れば90年代以降、日本人のライフスタイルにスルスルッと入り込んでいったイタリア料理ですが、細かく見ていくと、そこにはちょっとした軋轢も少なくなかったように思います。
巷では既に繁華街のみならず郊外にもイタリアンレストランが一通り立ち並ぶようになった、2000年前後のエピソードを少しご紹介します。場所はとある中規模な地方都市。なので当時の東京とは少し状況が異なっていたかもしれませんが、これが日本の大部分である地方都市のリアルな姿だったのではないかと、今となっては思います。
当時僕はその街で、友人と小さな居酒屋を営んでいました。居酒屋ですから和食が中心の店ではありましたが、自由の利く小規模店だったのをいいことに、自分たちの興味の赴くままにエスニックや欧風料理にも本気で手を広げました。
焼酎も並べるけどワインセラーも置くというカオスなその店は、自分で言うのもなんですがなかなか面白い店で、深夜まで営業していたこともあって、日付が変わるあたりの時間帯は若い同業者の溜まり場のようになっていました。
バーテンダーや板前、洋食屋のマスターや居酒屋の若い子たちが毎夜ずらりと並ぶカウンターには、その頃急激に増えていたイタリアンのシェフやスタッフも少なくありませんでした。そういう場ですから、そこでの会話は、業界の情報交換と共に「お客さんの愚痴」も重要な話題でした。他所では絶対に言えないような愚痴も、そこでは毎夜のように飛び交っていたのです。
その中でイタリアンの人々の愚痴は、ある種の定番ネタばかりでした。つまりそれは要約すると、
「客は味のわからんやつばかりで、注文の仕方すら知らない」
というものです。そしてその言外には、
「ここは田舎だから自分たちのような店は理解されにくい。都会だったら正当に扱われるはずなのに」
という、少々都合の良い見立てが加わっている印象もありました。
そんなふうに語られるイタリアンならではの愚痴の定番が、主に若いカップルに対するそれでした。
「ウチの店をスパゲッティ屋かなんかだと勘違いして来るんだよ」
と、彼らは苦々しげに言うのです。
「二人でひとつずつパスタを注文して、それ以外はせいぜいシーザーサラダをシェアするくらい。ワインなんてとんでもない。その後デザートを注文してくれるのは良い方で、一緒にコーヒーを薦めたら『付いてくるんですか?』って」
提供する料理そのものに関する愚痴もありました。
「ちゃんとしたパスタを出そうと思っても、クリームをしっかり煮詰めたらクドいって言われ、本場風のカルボナーラはこれはカルボナーラじゃないって言われ、メニューに無いペペロンチーノ作れって言われるから作ったら味がしないって言われ、とにかくホンモノは通用しないんだよ、この辺りの田舎じゃ」
僕はいつもなんとなく相槌を打ちながらその愚痴を聞きました。それは自分の仕事の一部であり、彼らにとってそんなことをあけすけに吐き出せる場は他にそうそう無いことも知っていたからです。そして彼らの鬱屈自体はよく理解できました。
愚痴を言っている彼らも、重々わかっていたこと
しかし、そんな弱音をじれったく思っていたのも確かです。「甘いんだよ」とでも言いたくなる気持ちもありました。「それがあんたの選んだ道だろう?」と。でも決して口には出しませんでした。なぜなら、彼ら自身もそれが「甘え」であるということ自体は重々わかっていそうだったからです。
その代わり、ちょっと無責任な提案を行ってみたりもしました。
「ちゃんとイタリアンらしいオーダーをしてほしいんだったらさ、夜のメニューは思い切ってプリフィックスコースだけにしたら良くない?」
彼らはその場では、それも良いかもねえ、なんて言いますが、実行に移されることはありませんでした。なぜならそれをした瞬間、「スパゲッティ屋のつもりで来る若いカップル」は二度と来なくなるからです。愚痴は言いつつも、そんな人々無しに経営が成り立たないことは、彼らも百も承知だったことでしょう。
「ペペロンチーノもカルボナーラも、『現地風』と『日本風』の2種類ずつメニューに置くってのどう? みんなのカルボナーラ950円、本場風カルボナーラ1,300円、みたいな」
これは割と真面目な提案のつもりだったのですが、酒の席での与太話として、笑いと共に深夜の空気に溶けていっただけでした。
余談ですが、その後この「現地風と日本風の2種類ずつをメニューに置く」というアイデアを、自分たちのエスニックカフェで採用したことがあります。全てのメニューというわけではありませんが、トムヤムクン、ヤムウンセン、ガパオ、といった定番メニューに関しては、現地の味そのままを再現したものと辛さやクセを抑えた食べやすいものを両方メニューに載せたのです。
この話はこの話でちょっと面白いのですが、本題から逸れすぎるので、またいつか機会があったらお話ししましょう。
最近SNSで起きた、イタリアンレストランの「炎上」
早いものでそれから20年以上の年月が経ちましたが、この状況は実のところ今もそんなに大きく変化していないような気もします。
つい最近もSNSで、イタリアンレストランでパスタしか頼まなかったらお店の人に冷たくされた、みたいな投稿に大量の賛否が集まり「炎上」しました。恐ろしいことにその店は特定され、その気取らないカジュアルな店内写真は「こんな喫茶店に毛の生えたような店のくせに偉そうだ」という、血も涙もない「個人の意見」と共に拡散されました。
また別のあるお店では、メニューが「冷前菜」「温前菜」「パスタ」「メイン」の4ページに分かれているのですが、最初のページの一番目立つ位置に「2名様でしたら各ページから1品ずつお選びください」というような内容が明記されています。そして更に、同じ文言がパスタのページにもう一度、黒く太い枠線で囲まれて念を押すように登場します。
正直ちょっと警戒心過剰なようにも見えなくもありませんが、その店はこぢんまりとした家庭的な雰囲気の店であることもあって、そこまでしないと「スパゲッティ屋さん」と誤解される恐れが今もあるということなのかもしれません。
もちろんこれらの事例は、単に、イタリアンレストランでの注文の仕方を親切に教えてくれている、と解釈することも可能です。
とみに最近は、先輩が後輩を「大人の店」に連れ回すようなことや、男子が女子をデートに誘うために「デートマニュアル」を読み込んで必死に予習する、みたいな風潮が失われており、お店での適切な振る舞い方が伝承されにくくなっている面もあるのかもしれません。
料理そのものに関しては、ある種の定型化がますます進んでいるようにも見えます。鮮魚のカルパッチョ、シーザーサラダ、生ハム、日本式カルボナーラ、ピッツァマルゲリータ、ティラミス、みたいな世界です。イタリア料理が日本人みんなのものになった結果、好まれやすい料理とそうでない料理は明確になり、その当然の帰結としてメニューや味は画一化していきます。
都会ならまだ、個性的で「尖った」店が一部で成立しますが、それはあくまで一部ですし、地方に行くに従って、そして地域密着型の店は特に、そういう画一化、言い換えれば「最適化」への圧からは逃れにくくなります。
イタリア料理を取り巻く一般の環境は、90年代において既に成熟し、その時点から現在に至るまで実はあまり変わっていないのかもしれません。
著者=稲田俊輔
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