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空海が悟りを開いた地・室戸岬の灯台は49キロ先まで陸地の存在を知らせる“一つ目の巨人”

CREA WEB / 2024年2月15日 7時0分

空と海がつながるところ


室戸岬灯台(高知県)。

 現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。

 建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。

 そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2021年に『星落ちて、なお』で第165回直木三十五賞を受賞した澤田瞳子さんが高知県の室戸岬灯台を訪れました。


海とともに生きる


澤田瞳子さん。

 扇の形をした高知県は、太平洋に面した海岸線の長さが七百キロを超えるという、文字通り海とともに生きる土地だ。

 土佐湾沖を流れる黒潮は、マグロやカツオを始めとする豊かな海の恵みをもたらし、水深百メートル以上の深海で育つ海の宝石・血赤珊瑚は、「トサ」という名称で世界的にも知られている。

 高知灯台に別れを告げ、カメラマンH氏の運転で次なる目的地・室戸岬灯台に向かう間にも、右手には広々と太平洋が広がり続けていた。相変わらず空は雲一つなく晴れ上がり、初秋とは思えぬ陽射しの中に海と空がにじんでいる。あまりに眩すぎるその光景から、車の左側に目を移す。国道沿いのところどころには、辺りの建物よりもひときわ高い鉄骨のタワーがぽつりまたぽつりと建っていた。

「津波避難タワーですね。大きいなあ」

 同行の編集者T氏がぽつりと呟かれたのに、わたしもこくりとうなずいた。

 海とともに生きるとはすなわち、海のもたらす災いに備えることでもある。南海トラフ地震の震源域に近い高知県では、発災時、沿岸のすべての市町村に十メートル以上の津波が押し寄せると予想されている。ことに県内西部の黒潮町では、最大三十四・四メートルという全国最高の津波想定がなされている。このため、被害想定の発表以降、県内では津波避難タワーの建造が急ピッチで進められており、すでに百二十基あまりの整備が終わっている。

灯台とはなにか


室戸岬からの夕焼け。

 宝永四年(一七〇七)十月四日に発生した宝永地震は、南海トラフを震源とし、日本の記録に残る地震の中でも最大級の地震だ。発災から約五十日後には、地震の揺れを引き金として富士山が宝永大噴火を起こしたことで有名だが、高知県では実は地震に伴って発生した津波により、二千七百名あまりもの死者・行方不明者が出ている。

 津波避難タワーはいつか確実に再びこの地を襲うであろう災害から人々を守る、命の塔だ。それは同時に海という底知れぬエネルギーを持つ存在と人間が共存するための碑でもある。だとすればそれは、我々がこの旅で追いかけている灯台と、根底のところでつながった存在なのではなかろうか。

 灯台とはなにか。

 それは人を癒し、豊かな恵みをもたらす海と人間をつなぎ、海の安全を守る存在だ。一方で一旦、天地をどよもす大地震がこの地を襲えば、あの津波避難タワーは天に向かって佇立するその頂きに灯を点し、人々を安全な場所に導くだろう。

 人が海とともに安全に生きるには、それぞれの土地に根付いた様々なともしびの加護が必要なのに違いない。その形の一例があの津波避難タワーなのだ。

 そんなことをぼんやり考えているうちに車は東へ東へとひた走り、高知灯台を出発してから二時間後、左手に岩の目立つ小高い丘陵地、右手には白い波が岩を食む荒海が広がり始めた。紀伊水道と土佐湾を分ける室戸岬だ。

お大師さんが生まれた所


若き日の空海像。昭和59年11月建立された。

 海から吹き付ける風が強いため、山肌に茂る植物はみな低く枝を這わせ、独特の樹形をしている。中でも目立つのは椿の藪で、澄んだ陽射しを照り返す葉のきらめきに、自分が南国にいるのだと改めて思った。

 ふと見れば、そんな濃淡の目立つ緑のただなかに、高さ十数メートルはあろうかという僧形の像が建っている。左手に数珠、右手には錫杖を持っているが、その面相は若い。
 室戸岬は弘法大師・空海が悟りを開いた地とされており、彼が記した「三教指帰」を始め、この地と空海のゆかりを記す書物は数多い。

 平安時代末期に記された『今昔物語集』の巻十一の九は、空海の生涯の記録だが、そこには日本各地で修行を行った若き日の空海が、

「土佐ノ国ノ室生門崎ニシテ、求聞持ノ行ヲ観念スルニ、明星、口ニ入ル」

 と記されている。この室生門崎は現在の室戸岬。また求聞持ノ行は虚空蔵求聞持法とも呼ばれ、知恵を得るための修行だ。

 というわけでここからご案内を下さったのは、室戸岬にほど近い最御崎寺の前住職の島田信雄さん。最御崎寺は四国八十八ヶ所霊場第二十四番札所で、正式な寺号を室戸山明星院という。

「お寺に向かう前に、まず弘法大師が悟りを開かれた場所にうかがいましょう」

 と島田さんが入って行かれたのは、切り立った崖の下にぽっかりと口を開いた洞窟だった。訪れる人を落石から守るためか、入口には鉄の防護壁が組まれ、更に防護ネットまで張られている。


御厨人窟の内部。

「ここは御厨人窟といい、大師さまが生活をなさった場です。一方で隣にある神明窟は修行の場だったそうです」

 御厨人窟の奥行は二十メートルほどあるだろうか。すぐ側には国道が走り、自動車やトラックが結構な頻度で行き交っているはずだが、不思議に洞内にはそれらのエンジン音は聞こえてこない。代わりに響くのは腹の底に響くような波の音だ。洞内に人工の明かりはなく、振り返れば入口からの光が、まるで輝く道のように島田さんとわたしの足元に伸びている。

 島田さんによれば、空海が室戸を訪れた当時は現在よりも海面が高く、波打ち際は今日の国道付近にあった。つまり空海はこの洞内から、文字通り空と海だけを眺めて暮らしていたわけだ。

紀貫之が記した歌


最御崎寺には、弘法大師自らが刻んだといわれる、ご本尊の虚空蔵菩薩(秘仏)と空海の七不思議、【鐘石】と【くわずいも】がある。

 何かが視界をかすめた気がして、地面に目をやる。フナムシだろうか。黒い影がさっと岩陰に隠れて行ったが、その密かな動きまでがどうと響く波音を際立たせている。

「つまり空海はこの音を聞いて、日々を送ったんですね」

 空海は室戸での大悟を経て、延暦二十三年(八〇四)、遣唐使一行に加わって大陸に渡る。長安・青龍寺の高僧・恵果の弟子として研鑽を積んだ彼は、約三年後の帰国以降は朝廷から厚い信頼を受け、真言密教の開基として活躍を始める。

 その頃の室戸岬には、当然、海の安全を守る仕組みなどなかった。空海が生きた時代から約百年後、土佐国―つまり現在の高知県の国司として赴任していた貴族・紀貫之は、京に戻る際、現在の高知県南国市にあった国府を出発し、東へと海路を取っている。国府を出発してから約二十日後、現在の室戸市付近にさしかかった一行は、天候がすぐれなかったために「御埼(室戸岬)」を越えるのに、約十日間、風待ちをする羽目となった。その間の思い出として、貫之はある人が以下の歌を詠んだと記している。

 ―かげ見れば 波の底なるひさかたの 空漕ぎ渡るわれぞさびしき

(月がとても美しく、空にも海にも同じようにその光が映る夜。水面に落ちた光を見れば、波の底にも空があるようだ。そこを漕ぎ渡ることのなんと心細いことだろうか)

 初めて通読した時には何とも思わなかった詠み手の不安が、室戸の地に立つと、まるでわがことのように身に迫ってきた。航海が潮任せ風任せだった昔の人々にとって、海がどれほど恐ろしく、また慈愛に満ちた存在と映ったことだろうか、と考えずにはいられなかった。

 本日の目的地である室戸岬灯台は、岬の頂きに建つ最御崎寺にもほど近い。ではお寺にお参りをしましょうと、島田さんに促され、我々は境内に至る山道に踏み入った。

 最御崎寺は明治五年まで女人禁制で、女性はこの道の途中までしか入ることが許されなかったという。明るい木漏れ日を受けながらたどりついた仁王門には、これまた弘法大師の像が建ち、参拝者を出迎えている。広い境内を横切って導かれた本堂でご本尊に手を合わせ、おや、とわたしは思った。

 歳月に磨かれた広縁に、小さな穴が開いている。木造建築において、板の節部分が穴になることは珍しくない。ただ目の前のそれは何かがぽつぽつと穴を開けながら進んだかのように、点線状の跡を刻んでいた。


最御崎寺本堂にのこる、太平洋戦争時の米軍の機銃掃射の弾痕。

「ああ。それが何かは、後で灯台に行ったときにご説明しますよ」

 そう仰る島田さんに従って、お寺の脇の斜面を下り始めた途端、目の前にまるで大きな布を広げたかのように、真っ青な海と空が広がった。先ほど上って来た緑の色濃き山道が信じられぬほどの光景に、いつの間にかずいぶん高台に到っていたのだと気が付いた。

 その驚きを言葉に出す間もあらばこそ、すぐに行く手に真っ白な灯台が見えてきた。だがその瞬間にわたしの目を奪ったのは、どんぐりの帽子を思わせるちょこんと丸い灯台の先端でも、どっしりと力強いその形でもなかった。

大海原を見守る白亜の灯台


室戸岬灯台(高知県室戸市)。室戸岬の先端(標高151m)にあり、明治32年以来、航海者たちの安全を照らす水先案内人として活躍している。「恋人の聖地」の認定を受けており、その銘板が展望台に設置されている。

 灯台の中ほどはまるで温室のように室内が見え、そこに巨大な目にも似た薄緑色のレンズが輝いていた。午前に見学した高知灯台では、外からレンズを見ることはできなかったが、こちらの灯台はまずレンズが在り、その周囲に櫓が組まれたのではと思われるほど、そのガラスの煌めきは圧倒的だった。

 そして何より、レンズが大きい。まるで一つ目の巨人がたたずんでいるかのようだ。

 灯台の入り口には、高知灯台でもお目にかかった高知海上保安部の奥山正さんがお待ちくださっていた。迫力ある灯台に目を奪われっぱなしのわたしに、

「この室戸岬灯台のレンズは圧倒的でしょう。まずはレンズ室に上がりましょうか」

 と奥山さんはにっこりなさった。


通常は外観のみ見学可能だが、毎年11月1日前後の日曜に行われる「灯台まつり」の日には、内部を一部一般開放している。

 室戸岬灯台が初点灯されたのは、明治三十二年。その歴史を物語るかのように、円柱状の塔内には雰囲気のある鉄製の階段が巡らされていた。レンズ室は四階で、三階の中央には鉄の小部屋が設えられている。これは水銀槽式回転装置といい、かつてはここに落とされた錘を人力で巻き上げることで、レンズを回転させていたという。

「わしが小さい頃は、巻き上げの手伝いをしたこともありますよ」

 と、島田さんが側からお話しくださる。最御崎寺の息子として生まれた島田さんは、灯台そばの官舎に暮らす灯台守一家の子どもたちと同じ学校に通っていた。その縁もあって、小さい頃からこの灯台にも出入りしていらしたそうだ。

海の安全を見守り続ける一つ目の巨人


レンズの直径は二.六メートル。

 特別に入れていただいたレンズ室は、外から見た印象そのままに光あふれる場所だった。その中央に鎮座するレンズはこの部屋を治める王者の如き存在感を有し、窓から差し入る陽射しを受けて、四方八方にプリズム状の光を投げていた。

 円形のレンズが向かい合った形をしたこのレンズの直径は、なんと二・六メートル。十秒でひと巡りして、日本最大の光達距離である二十六・五海里、つまり約四十九キロ先の海にまで陸地の存在を知らせる。国内にも数少ない、第一等フレネルレンズだ。

 室戸岬灯台そのものの形が簡素な分、ますますレンズの存在感が際立つ。灯台が何のためにあるのかを改めて思い知らされずにはいられぬそのフォルムは、やはり海の安全を見守り続ける一つ目の巨人だ、とわたしは思った。

 レンズ室の床は鉄格子状になっており、梯子でワンフロア下がってから振り仰げば、フレネルレンズからこぼれた光が床の隙間から差し込んでいる。その色とりどりの輝きに、光とはこれほどに美しいものなのか、と溜め息がこぼれた。


鉄格子状になっているレンズ室の床。

 ただこの室戸岬灯台は受難の多い灯台で、昭和九年には室戸台風の直撃により、レンズが破損。更にその修理が終わって間もない昭和二十年には、太平洋戦争に伴うアメリカ軍の機銃掃射を受け、レンズと灯台に被害が出たという。

「ということは、先ほど御寺で見たあの痕は」

 振り返ったわたしに、島田さんがええとうなずいた。

「その時、あおりを喰らって攻撃を受けた痕です。幸い死者は出ませんでしたが」

 海の安全を守る灯台は、こと戦争という局面に至っては攻撃の矢面に立つ存在だった。当時、室戸岬灯台では植物等でカモフラージュを行ったが、見晴らしのいい高台に建つ灯台を隠し通すことは難しかったらしい。


灯台内部に残る機銃掃射の痕。

 言われて見回せば、壁のところどころには四角い補修跡があり、中にはご丁寧に「機銃掃射痕」と説明プレートがつけられているものまである。

歴史を語る生き証人として


室戸岬灯台の旧官舎。歴史的にも貴重な建造物で、現在は周辺敷地内での食事会や灯台の鑑賞会などが開催されている。

 室戸岬灯台は現在、毎年十一月に普段は立ち入り禁止の灯台内部の公開を行っている。その際の来場者によく分かるようにこういったプレートを作ったと、高知海上保安部の奥山さんがお教えくださった。

「灯台の隣に建つ石造りの官舎は、十一月の公開の際しか使われていませんが、ゆくゆくは常に人が立ち入ることの出来る施設に整備したいと考えています」

 室戸台風と太平洋戦争によって損なわれた際も、室戸岬灯台は部分的な修復だけでその役割を果たし続け、今日に至っている。

 つまりこの灯台の大部分は明治期に作られた当時の姿をそのまま残しているわけだ。しかも誰もが通ることができる道路から一段下った斜面に建っていることから、灯台の全容を気軽に間近に眺められる。その上更に全国でも稀な第一等フレネルレンズを備えているとは、何と贅沢な灯台だろう。

「さて、そろそろ点灯の時刻ですよ。見逃さないようにしましょう」

 奥山さんの言葉で、灯台の外へと出る。すでに日は水平線の上にたなびきはじめた雲に隠れ、わずかな朱を含んだ夕映えが西の空を彩っている。今まで素晴らしい青天に恵まれてきたが、明日は少々天気が崩れるようだ。


岬からは太平洋が一望でき、灯台の明かりが大海原を優しく照らす。

 刻々と空から光が去り、三日月が白々と藍色の空を切り取る。巨大なレンズが音もなくぼうと光り、あ、と思う間もなくゆるやかに回転を始めた。溶け入るように明るさを失った海に、閃光が走る。すぐにそれはぐるりと動き、我々の背後の斜面をも照らし出した。
 これほどに眩い光が人家を照らせば、住人はおちおち寝ることもできぬだろう。

 斜面の中ほどというこの立地は、ただ光を遠くに放つだけではなく、灯台の役割を十全に果たすためでもあるのだ。

 空が輝きを失えば失うほど、灯台の明かりはますます冴えを増す。黄色味の強いその力強い光に、わたしは『今昔物語集』の「明星、口ニ入ル」という一節を思い出した。

 空海は空に輝く明星に仏の来迎を感じ、大悟を得た。一方で室戸岬灯台の明かりを目にする海上の人にとって、この閃光はただの光以上の意味を持って映ったはずだ。

 そう思えば今、夜空を切り裂いて走る光が、過去と今を結ぶ大いなる道にも感じられてくる。

 十秒に一度走るこの輝きの向こうにいる人を、わたしは思った。その人たちの航海の安全を、そして海の安全が守られることを願い続けた灯台の来し方とこれからを思い、ますます明るさを増すその光を見つめ続けた。

室戸岬灯台

所在地 高知県室戸市室戸岬町
アクセス 南国ICから、車で約120分
土佐くろしお鉄道奈半利駅下車、高知東部交通バス、室戸世界ジオパークセンター・甲浦行きに乗り換え約50分 室戸岬下車 へんろ道を登って20~30分
灯台の高さ 15.4
灯りの高さ※ 154.7
初点灯 明治32年
※灯りの高さとは、平均海面から灯りまでの高さ。

海と灯台プロジェクト


「灯台」を中心に地域の海と記憶を掘り起こし、地域と地域、日本と世界をつなぎ、これまでにはない異分野・異業種との連携も含めて、新しい海洋体験を創造していく事業で、「日本財団 海と日本プロジェクト」の一環として実施しています。
https://toudai.uminohi.jp/

番組「灯台を讀む」をYouTube公開

昨年11月にBS朝日にて放送された「灯台を讀む〜小説家たちが照らす灯台の未来〜」をYouTubeで公開しました。千葉を巡った村山由佳さん、高知を巡った澤田瞳子さん、そして門井慶喜さんという3人の直木賞作家が登場。小説家ならではの視点で、灯台の歴史的・文化的価値や魅力を、日本財団・海野光行常務理事と語り合う、新感覚知的バラエティです。
https://www.youtube.com/watch?v=nMQsNhdKHe4

文=澤田瞳子
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年2月号

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