「ずっとルシウスと過ごしてきた」ヤマザキマリが11年ぶりに『続テルマエ・ロマエ』を描いた理由
CREA WEB / 2024年5月9日 7時0分
古代ローマの浴場技師・ルシウスが現代の日本にタイムスリップし、日本のお風呂文化を学んでは古代ローマの浴場を改革していく――そんな“素っ頓狂”な物語が一世を風靡した漫画『テルマエ・ロマエ』。2024年4月、前作から11年の月日を経て『続テルマエ・ロマエ』第1巻が発売されました。
作者のヤマザキマリさんは、他の作品に取りかかっている間も、温泉に行くたびに「もしもここにルシウスがいたら……」と考えていたといいます。ヤマザキさんに、『続テルマエ・ロマエ』について伺いました。
『テルマエ・ロマエ』はアイロンをかけているときに…
――『テルマエ・ロマエ』が生まれた背景には、イタリアだけでなく、シリアやポルトガルでの滞在経験もヒントになっていると伺いました。
ええ、そうです。根底には、17歳でイタリアに留学して以来、ずっと海外生活が続き、浴槽に浸かれなかったという経験がありますが、様々な要因が絡み合って生まれた作品です。
シリアに滞在していた時期があるのですが、かつてローマ帝国の属州だったシリアには古代ローマ時代の遺跡がたくさん残っているんですね。しかしそういった遺跡が現地の人にはそれほど貴重なものだと認知されていない場合もあって、2~3世紀頃に建てられた神殿に人が住み着いて洗濯物を干したり、羊を飼っていたりしました。
持っていたチェキで子どもたちの写真を撮ると、画像がぼんやり浮かび上がるから、びっくりして逃げちゃって。そんな様子を見ていたら、まるでタイムスリップをしているような感覚になりました。
その後、ポルトガルで暮らし始めたのですが古い家だったので浴槽は無く、とにかくお風呂に入りたい、お湯に体を包まれたい、という思いが日々膨らみ上がりました。本当に辛かったですね。私が暮らしていたリスボンは“昭和”の日本を思わせる街だったこともあって、かつて祖父母と一緒に行っていた銭湯のことばかり思い出していました。
そんなある日、子どもの服にアイロンをかけているときに、銭湯の湯舟からバシャーン! と古代ローマ人が登場するイメージが思い浮かんだんです。実際に描いてみたら、ばかばかしい絵ができたものだから、日本の漫画家の友人に送ったら「マリ、頭は大丈夫?」って言われました(笑)。
そもそも漫画自体が、油絵だけでは食べていけないからという理由で始めたもので、同人誌のネタになればとなんとなく描き始めた作品だったんです。
友人のひと言が続篇のきっかけに
――11年ぶりに続篇を描こうと思われたのはなぜでしょう?
『テルマエ・ロマエはヒットこそしましたが、それに付随していろいろと面倒な問題が発生し、本音をいうと続けていく気合が消失してしまいました。本当は三巻くらいで終わらせたかったのに、ヒロインを出さなければならなかったり、それも負荷になっていたのは確かです。でも2年ほど前、友人に「漫画家って、どれほど多くの作品を描いていても、やっぱり代表作のイメージが強く刻印されるよね。ヤマザキマリといえば、『テルマエ・ロマエ』なんだよ」と言われて。その言葉を聞いて、妙に納得してしまったんです。
私自身が楽しみながら描いている作品はやっぱり『テルマエ・ロマエ』であり、そのように取り組まれた作品が多くの作家たちの代表作になっていることは多いと思うんですね。
お風呂のことならまだまだ描けるし、私自身日本に点在する温泉にもまだまだ行ってみたい。プライベートでも温泉地に行くと、いつも「いま、ここにルシウスが来たら何に興味を持つだろう、何をローマに持って帰りたくなるだろう」と考えてしまうんですよ。
かつて私がテレビで温泉リポーターをやっていた経験も役立つし、つま先立ちで大風呂敷を広げることなく、等身大で描ける作品でもあるんです。
――ずっとルシウスと一緒に過ごしてきたんですね。
ここまでキャラクターが確立してしまうと、ルシウスが勝手に動き出すというか。私がどうやって描こうか考えるというよりも、描けば“出会える”という感覚ですね。
何度失敗しても立ち上がる、“オッサン”の単独ヒーローが愛おしい
――漫画作品の主人公の多くが年を取らない中、ルシウスが年齢を重ねていて、「腰が……」というシーンから始まるのが印象的です。
私たちの時代は、漫画否定派の大人が多くて、私も親には「漫画は頭がバカになるから読んではダメ」と言われていましたが、今の50、60代はみんな漫画を読んで育った世代です。だったら、主人公が中年・初老でも感情移入してもらえそうだな、と思ったのです。実際描き手である自分がもうすぐ還暦なわけですから。
続編のコメントで「自分もルシウスと同年代だから臨場感がある、すごくよくわかる」というポストを見かけて「やっぱりね」と思いました(笑)。腰痛にしても、子どもとの軋轢にしても、経験している読者が結構いるということだと思います。
――現代日本の中高年層は、ますます古代ローマ人に共感してしまいます。
若い人にとっても、年齢を重ねても相変わらず小学生みたいだったり、馬鹿馬鹿しいことに熱心になっている姿を見るのは楽しいと思うんです。頑固者で、何者かになれるはずと思って頑張ってきたけれどそんなこともなくて、年齢を重ねても未だに失敗を繰り返す。
失意も挫折もあるけれど、それでも自分の全身全霊を駆使しながら生命力を稼働させている。ルシウスは社会における典型的な人間の理想像として作り上げたわけではないので、 “ヒーロー”キャラとはいえませんが、こういう人物はやはり描いていて楽しい(笑)。
古代ローマに詳しい驚きの理由
――泥臭さのある“単独ヒーロー”、素敵です。ところで、ヤマザキさんはどうしてそんなに古代ローマに詳しいのでしょう?
私が留学していたフィレンツェの国立アカデミア美術学院では油彩とルネッサンス期の美術史を学びました。ルネサンスとは古代ローマ・ギリシャの精神を復興させる文化改革でしたから、必然的に古代ローマの勉強もしなければなりません。
でも、それよりも夫が古代ローマを始め歴史に詳しい人間だったというのが影響として大きかったですね。彼と結婚する前、三日三晩古代ローマの話だけして過ごしたこともありますし、比較文学の研究職だった彼の仕事の都合で結婚後に移り住んだエジプトやシリアでは、ありとあらゆる遺跡を見て周りました。シリアはおそらく3回くらいかけて国内にある遺跡を全て巡っています。
『テルマエ・ロマエ』の第1話の冒頭で都市の風景を描いていたときに「これは、いつ頃?」と聞かれて、「128年」と答えたら「この建造物はまだできていないし、これもない。こっちはまだ建設中」という指摘が(笑)
――まるでルシウスが家にいるみたいですね。
本当に、タイムスリップしてきたような人です。さらに息子も歴史好きなので、最近では3人集まると歴史の話ばっかりしていますね。
続篇ではルシウスが片言の日本語を話していますが、夫が話している言葉を再現しているんです。ルシウスと息子・マリウスとの会話も、日頃から私が息子に突っ込まれていることだったりします。
描きたいのは「予定調和」の安心感
――前作で結ばれた現代日本人女性・さつきが失踪中とのことで気になりますが、今後はどんな風に展開していくのでしょうか?
なぜさつきが登場していないかというと、以前から私は女性キャラクターを描くのが苦手、恋愛を描くのはさらに苦手で……。
前作の連載中も、読者がヒロインを求めているからどうしてもと言われて、ようやく生み出せたのがさつきというキャラクターでした。
そんな経緯もあって、続篇ではしばらくはルシウスをはじめ、オッサンだけでどこまで引っ張れるかやってみたいなと思っています。
今回は古代ローマと現代日本の温泉地を行き来する物語ですが、とんでもない事件が起こるとか、ハラハラする展開ではなく、セオリー通りに進む物語を描きたいんです。『水戸黄門』とか『ドラえもん』とか、毎回この先どうなるかわかっているんだけれど、ついつい最後まで見てしまう。で、最後には全部回収されて幸福に終わる……とにかく読む人のメンタリティに栄養と癒しが行き渡るようなエンターテインメントとしての漫画を展開できたらいいなと思っています。
最近は寝る前に『サザエさん』ばっかり読んでいるんです。疲れたときに読み返すとホッとしたり、安心したり、学ぶことも多くて、何度でも読める。『テルマエ・ロマエ』も後世、そんな作品として読まれるようになったら嬉しいです。
――最後に、ヤマザキさんの理想のバスタイムの過ごし方について教えてください。
私は“カラスの行水”なので、入ったら10分で出てしまうんです。その分、1日に3~4回は入りますね。
よく「お風呂で物語が思い浮かぶんですか?」と聞かれますが、ただ「しみるわ~」とだけ感じているだけで、何も考えていません。
20年も浴槽がない家に暮らしていたから、自宅にお風呂があって、いつでも好きな時に入れるというだけで安心感があります。仕事場として、かけ流し温泉付きの住宅を買おうかと本気で思っていたこともあるんですよ(笑)。
「テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本」
会期 開催中~2024年6月9日(日)
会場 パナソニック汐留美術館(東京・汐留)
開場時間 10:00~18:00
※5月10日(金)、6月7日(金)、6月8日(土)は20:00まで開館
※入場は閉館の30分前まで
休館日 毎週水曜日 ※ただし6月5日は開館
観覧料 一般1,200円、65歳以上1,100円、大学生・高校生700円、中学生以下は無料
※障がい者手帳をご提示の方、および付添者1名まで無料
問い合わせ
050-5541-8600(ハローダイヤル)
https://panasonic.co.jp/ew/museum/
ヤマザキマリ
1967年東京都生まれ。漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。15年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。17年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ章受章。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『国境のない生き方』(小学館新書)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)など多数。
https://yamazakimari.com/
文=河西みのり
撮影=深野未季
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