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ドラマ『燕は戻ってこない』が描く代理母を選ばざるを得ない現実

CREA WEB / 2024年5月24日 11時0分


©NHK

 女性たちの困窮と憤怒を書きつづける作家・桐野夏生によるディストピア小説『燕は戻ってこない』がドラマ化。石橋静河が未知の「生殖医療ビジネス」に巻き込まれる女性・リキを演じ、話題になっています。このドラマの注目ポイントを徹底レビューします。

手取り14万円の独身女性が背負う現実


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 生殖ビジネス、貧困、派遣社員として暮らすリキ(石橋静河)は、職場の同僚・テル(伊藤万理華)から「卵子提供」をして金を稼ごうと誘われた。アメリカの生殖医療エージェント「プランテ」日本支社で面談を受けると、持ち掛けられたのは「卵子提供」ではなく「代理出産」。リキは高額の謝礼と引き換えに、元バレエダンサーの草桶基(稲垣吾郎)とその妻、悠子(内田有紀)夫婦の子を産む代理母をすることに──。

 社会的関心が高まる生殖医療(ビジネス)の光と影を、さまざまな女性の視点から描く『燕は戻ってこない』のドラマ化がすごすぎる! 原作はこれまで女性たちの生きづらさや苦悩を卓抜した筆致で可視化してきた桐野夏生の同名小説。それを連続テレビ小説『らんまん』の脚本家・長田育恵が脚色し、とんでもないドラマが誕生しました!

 受精卵を第三者の子宮に移植し、妊娠・出産を試みる「代理出産」。国内では倫理的観点から認められていない一方、子どもを持ちたい不妊カップル、独身者、同性カップルの選択肢として、海外で実施されるケースは相当数あります。世界をみても、依頼主の多くは先進国の富裕層。そして代理母となるのは、主に新興・途上国の貧しい女性たちです。この問題には経済力の格差や貧困といった社会問題が含まれている。それが日本で起こったら……。想像が追いつかない事態をドラマが見せてくれています。

 主人公のリキに記号をつけるとすると、女性、29歳、独身、地方出身、非正規労働者。フルタイムで働いても手取りは14万円。野菜や果物といった健康的で栄養価の高い食材はコストも高いので、食事は炭水化物が中心。コンビニのコーヒーすら贅沢に感じる、いわば貧困女性。静かな怒りを抱えて生きる役を石橋静河が好演しています。ボロアパートに住んでいて、住人の年配男性からは女性という理由で執拗に絡まれ、卑猥なメッセージまで送られてしまう。この被害はきっと一人暮らしの女性にとって、飛躍した描写ではないと思います。

 逃れたいけどお金がなくて対処できないし、日常的なセーフティネットもない。それゆえに、もうすべてにうんざりしてしまう。心底、お金と安全を渇望しています。

 同僚であるテルは奨学金の返済に追われ、風俗店でも働かざるを得ない状況に陥っている。貧困はもう特別なことではなく、身近な事象です。女に生まれてずっと値踏みされてきた人生、一度くらいは(女であることで)いい思いをしたいと、生殖ビジネスで得られる高額な報酬に希望を託すのも無理はありません。

 エージェントを通してリキに代理出産を依頼するのは、草桶夫婦。夫である基は、資産家の母を持つ元バレエダンサー。依頼主も日本人、請け負う側も日本人。今の日本の格差の状況や、貧困から脱出するために代理母になるという選択肢を選ばなければいけない側の心情がリアルに描かれているのです。

ビジネスか、経済格差を利用した搾取か


©NHK

「一度くらい“女性として生まれてよかった”と思ってみませんか? 子どもを妊娠し、出産する。こんな軌跡は女性にしか起こせません。これはあなたにしかできない人助けなんですよ」

 これは「生殖医療専門エージェンシー・プランテ」の青沼(朴璐美)がリキを説得するシーン。女性の一生と妊娠、出産、子どもがセットになって語られる重荷や、それらにはリミットがつきまとう切実さが伝わってきます。

 同時に、「人助け」という言葉に、倫理的な観点から代理出産はあくまで人助けであり、善意の行為であるという建前が必要(裏で金銭の授受が発生しようとも)だということを感じます。代理出産は長い間、「産めない女性を助ける行為」「素晴らしい自己犠牲」といわれてきました。

 それらは代理出産を依頼する側の目線からの言葉になりますが、本作は代理母になる側の目線をメインに描かれます。リキにとってこれは、あくまでビジネス。第3話では「私は子宮を差し出す。そちらはお金を。対等ですよね」と、リキが代理出産を依頼した夫婦の妻・悠子に伝えます。代理出産の現状は、女性の生殖機能全体の商品化。でも、貧困女性が子宮を売るシステムは、資本主義ビジネスとして本当に割り切れるものでしょうか。

 本作で描いているのは、セレブ夫妻が貧困女性を代理母に仕立て上げるという典型的な構図。代理母を利用する側と利用される側には経済的な格差があり、結果的に搾取になってしまうのではないか。同様の疑問を、悠子の友人であるりりこ(中村優子)も指摘します。

 これを女性の生殖の自己決定権の行使と考えれば、代理母になるという選択は、他者に抑圧されない強い主体のあらわれであるともいえなくはない。ただ、その考えが一般まで落ちると、貧しい国、貧困層の女性たちが「お仕事」としてますます駆り出されていくことは簡単に想像できます。

 権力勾配のあるなかで裕福な国の裕福な人が、貧しい国で貧困に喘ぐ女性たちを出産アウトソーシングに利用するビジネス。その是非を問うのは難しいことですが、本作を観ていて思ったのは、日本人はこれまで代理出産を依頼する側として外国人女性を利用し子をもうけてきたけれど、もはや日本は魅力的な代理母「市場」になりつつあるのではないか、ということ(代理出産を規制する法制度は未整備)。将来的には日本がアウトソーシング先となり、多くの日本人女性が外国人依頼者の代理母になる可能性だってある。

 しかも代理母になることは、それを自ら選んだ選択であり、「自己責任」の名のもとに行われる。リキはその選択肢を選らばざるを得なかっただけなのに。結局お金がある人しか、本当の意味で選択はできないということを考えてしまいます。金持ちだけが出産をも思い通りにできるのです。依頼主と請負人需要と供給が一致しているといっても、出産は命懸け。依頼主が新生児を引き取らなかったり、障がいのある子どもが生まれた場合も含め、代理母が負うリスクは排除できないのに。

選択肢を選ばざるを得なかった女性たち


©NHK

 リキの切実な貧困描写で「かわいそう」と思うかもしれませんが、苦しみを抱えている女性はリキだけではありません。悠子は長い不妊治療の末に子どもをあきらめている身。それでも夫の基はバレエの名家の血筋を絶やしたくないという血統を重視する母・千味子(黒木瞳)の影響もあり、代理出産に意欲的。家族の問題に対して蚊帳の外になっています。

 リキの叔母・佳子(富田靖子)はリキに「自由になれる方法」として結婚を勧めます。結婚すれば一人前という話は『虎に翼』にもありましたが、独身者をよしとしない風潮や風当りの強さはいまだにある。妻という身分を得れば、世間では大きい顔ができると思いながらも、佳子はさびれた田舎で独身のまま亡くなります。

 そして悠子の友人・りりこはアセクシュアル。家族制度から抜け落ちるマイノリティな存在として、しっかり世の常識に疑問を投げかけていきます。さまざまなタイプの魅力的な女性たちを描き分けながら、それぞれの苦悩とさまざまな理由でその「選択肢を選ばざるを得なかった」状況を示してくれています。

 本作の主題である代理出産に関しても、こうみると本当の意味で利益を得るのは、リキでも悠子でもなく、基。結局恩恵を受けるのは男だけなのではないかというところも考えなくてはいけないポイントです。一見スマートで優しげな基は、本人が無自覚なところで傲慢さがにじみ出ている。代理母を受け入れるリキの体を管理しようとする姿勢もおぞましく、この絶妙なバランスを表現できるのは稲垣吾郎だけ! と感じました。

 ほかにもリキと過去に不倫をしていた元上司・日高(戸次重幸)や、女性向け風俗店のセラピスト、ダイキ(森崎ウィン)も注目の男性陣です。

 貧困や女性蔑視、差別……重いテーマを抱えながらも、疾走感のあるエンターテインメントとなっている本作がどう着地するのか。そしてリキが得る幸せとは。タイトルの意味も考えながら見届けたい作品です。

綿貫大介

編集&ライター。TVウォッチャー。著書に『ボクたちのドラマシリーズ』がある。
Instagram @watanukinow
X(旧twitter) @watanukinow

文=綿貫大介

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