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「女性が店を持てる職業は、美容師ぐらいだった時代」に斉風瑞さんは「ふーみん」を開いた

CREA WEB / 2024年5月31日 7時0分

 創業は1971年、ランチタイムの行列はもはや骨董通りの日常風景、幅広い世代から愛され続ける店、東京・南青山の「中華風家庭料理ふーみん」。数々の名物料理が生まれたその厨房で約45年にわたり腕を振るったオーナーシェフの斉風瑞(さいふうみ)さんは“ふーみん”“ふーみんママ”の愛称で親しまれてきました。

「ふーみん」を70歳で勇退し、現在は神奈川県川崎市の新たな拠点、「斉」で1日1組のお客様をもてなすふーみんさんを訪ね、「ふーみん」と“ふーみんママ”の約50年の食の歴史を中心に新天地でのこれからについて、そして、創業50周年を記念したドキュメンタリー映画についてお話を伺いました。生涯現役でありたいと願うふーみんさんの今、そしてこれからとは?


東京・南青山の「中華風家庭料理ふーみん」の厨房で45年にわたり腕を振るったオーナーシェフの斉風瑞(さいふうみ)さん。

女性が自分の店を持てる職業は、美容師くらいだった時代に

1946年2月15日、東京・中野で台湾人の両親のもと、四姉妹の長女として生まれる。中学生の頃には仕事で台湾と日本を行き来して忙しかった両親に代わり、きょうだいのお弁当や食事も作るようになる。

斉風瑞 なんとなく、ごく自然に料理をするようになりました。両親が作ってくれた料理を真似して、自然体で作っていたように思います。レパートリーは決して多くはありませんでしたけれど、我が家の定番的な料理、例えばイカを茹でてニンニク醤油で食べたり、お弁当にはひき肉の卵とじとか、日本の食材を使った台湾の家庭料理ですね。初めてキャベツの炒め物を作ったときに焦がしてしまったのを覚えています(笑)。

1963年、17歳のときに、両親の故郷である台湾を初めて訪れる。このときに食べた「油葱鶏(ユーツァンチイ)」の美味しさに感動。この感動が、のちに熱い油をジュっとかける「ねぎそば」「ねぎワンタン」の誕生につながる。そして、高校卒業後にハリウッド美容専門学校に入学する。


旅行で台湾を訪れたふーみんさん。ⒸEight Pictures

斉風瑞 台湾を初めて訪れた17歳の頃は、お料理にはあまり興味はなかったと思いますが、食べることは大好きでしたね。

 そのだいぶ前、小学校高学年くらいの頃には、何かしら自分のお店を持って独立したいと思ってました。きっと、父が何をやっても失敗する人で、母の苦労を見ていたから早く独立したいという気持ちが強かったんだと思います。

 当時、女性が自分の店を持てる職業といったら美容師くらいでしたから、専門学校で資格をとってインターンもしました。でも、私は人見知りするタイプ。だからお客様と1対1の美容師という仕事は自分には向かないと感じていたんですね。だとしたらいったい何ができるんだろう……と、悩んでいたときに家に遊びにきた友人たちに夕食を出したところ「こんなにおいしいものを私たちだけで食べるのはもったいないわね!」って。

 きっと、友人は“ごちそうさま”の意味で言ってくれたんだと思いますが、この友人のひとことで「そうだ、私、飲食の仕事をしよう!」って思ったんですから言葉って大事ですね。

最初の看板は「中華風スナック」だった

1971年11月、25歳のときに東京・神宮前、キラー通り沿いのビルの地下に「中華風家庭料理ふーみん」をオープン。

斉風瑞 母は、私が一度言い出したら何を言ってもきかないということをよくわかっていたので、賛成して協力してくれました。友人たちの協力もあって7,95坪という小さな、小さな店を開業することができたんです。


25歳で「中華風家庭料理ふーみん」を開いた当時のことを語るふーみんさん。

斉風瑞 お店で出す料理のイメージは小腹が空いたときに食べられる軽めのものでした。だから、最初は確か「中華風スナック ふーみん」としていたんじゃないかしら。私はラーメンが好きなので「ふーみんそば」、「ねぎそば」、「うま煮そば」、そして、「茄子のにんにく炒め」をはじめとする我が家の定番料理などが最初のメニューでした。

 実は、春巻きの皮のような生地に肉や野菜など好きなものを挟んで食べる「春餅(シュンピン)」という台湾のおやつも出したのですが、これは早すぎたのか残念ながらウケませんでした。

 お客様のあらゆるリクエストに応えて、お味噌汁や焼き魚、作ったことのなかったチャーハンなんかも作っていました。今にして思えば、よくあんな恐ろしいことをやっていたなと(笑)、若さの強みですね。作ったことのない料理は、きっと料理上手だった父が料理するところを何気なく見ていて記憶に残っていたんじゃないかなと思います。

 お店を出すことに即、賛成してくれた母の協力にもすごく助けられました。私がお店を始めたことに刺激されて、母も料理を作りたくなったみたい。お友達に聞いたり、台湾で食べたものを母なりに研究して協力してくれました。「あさりのにんにく醤油漬け」を作って持ってきてくれたりして。

和田誠と灘本唯人が週3日で来店

神宮前・キラー通り付近には名だたるアパレル会社やデザイン事務所があってクリエーターたちが集まっていた。「ふーみん」と同じビルにはイラストレーター・灘本唯人の事務所があり最初の客に。店の看板メニュー「ねぎワンタン」「納豆チャーハン」はこの小さな店で誕生した。

斉風瑞 最初のお客様はイラストレーターの灘本唯人先生でした。灘本先生と仲良しの、当時はまだ独身だった和田誠先生も事務所が近くだったので週に3日はいらしてたと思います。「いらっしゃいませ」っていうくらいでほとんど会話することはなかったんですけど、ある日、和田先生が「ねぎそば」を召し上がりながら「これ、ワンタンでやったらどうかな」って、ポツリとおっしゃって。そのときはあまりピンとこなかったんですけど、面白そうだからやってみようかなって作ってみたらすごくおいしかったの。それでメニューに加えたんです。今や、ほとんどのお客様が注文される人気メニューです。


ふーみんの人気メニュー「ねぎワンタン」。ⒸEight Pictures

 同じビルには「ニコル」の松田光弘先生の事務所もあってよく出前に伺ったんですよ。

 納豆のメニューもこの店で生まれました。実は私、納豆にはぜんぜん興味がなかったんです。でもある日、私と同世代の常連さんが「納豆のおいしい食べ方知ってる? 肉と炒めるとおいしいらしいよ」っておっしゃって、でも、具体的な作り方はご存知なかったんですけれどね。そのお話を聞いて思い出したのは台湾で食べた鳩のひき肉を炒めてレタスで包んで食べる料理。

 さっそくひき肉と納豆を炒めてレタスで包んでみたら、すごく美味しかった。こうして「ひき肉と納豆炒め(レタス付き)」もメニューに加わったわけです。それを召し上がったお客様が「これ、ごはんにかけてみて」っておっしゃって、やってみたら「うん、これおいしい。メニューに入れよう」って、お客様が決めたの(笑)。さらに「チャーハンもいけるんじゃない?」ということで「納豆チャーハン」もメニューに。こんなふうにして、少しずつメニューが増えていきました。

 誰もやってないことをやるのが好きなんです。だってその方が面白いでしょう。


常連さんのアイデアから生まれた「納豆ごはん」。ⒸEight Pictures

ついに「ふーみん」は青山へ

1980年代前半の渋谷区南平台の店を経て1986年5月、40歳のときに現在の南青山に移転。

斉風瑞 南平台のお店は、最初は母が始めた中華料理の店でした。「ふーみん」に協力してくれながら、自分でもお店をやってみたいと思ったんですね。でも、慣れないことで体調を崩してしまって私が引き継ぐことに。事情があって数年で出なくてはいけなくなって、現在の南青山、小原流会館の地下にお引越し。神宮前の店に比べると遥かに広い店になりました。


 25歳で始めた「中華風家庭料理ふーみん」、いよいよ青山での営業が始まります。後篇では、南青山「中華風家庭料理ふーみん」から「斉」へ。新天地を得て、75歳で第二の料理人人生を歩み始めた“ふーみんママ”のこれからについて伺います。

斉風瑞(さい・ふうみ)

1971年、25歳のときに東京・神宮前に「中華風家庭料理ふーみん」を開店。1986年、40歳で現在の東京・南青山に移転。オーナーシェフとして厨房に立ち続け2016年、70歳を機に「ふーみん」を甥の瀧澤一喜さんに任せ勇退。2021年、75歳のときに神奈川県川崎市に「斉」をオープン。著書に『青山「ふーみん」の和食材でつくる絶品台湾料理』(小学館)、『ふーみんさんの台湾50年レシピ』(小学館)などがある。

「ふーみん」

所在地 東京都港区南青山5-7-17 小原流会館B1
電話番号 03-3498-4466

文=齊藤素子
写真=榎本麻美

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