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火事からの復活を遂げた老舗宿が50年後も価値のある宿をめざす〈前篇〉【長野県・湯田中温泉】松籟荘

CREA WEB / 2024年6月8日 7時0分


再建された「松籟荘」の入り口。客室数の割に敷地は広く、せせこましい日常から開放されてゆったりと過ごせる。

 週末に、心が洗われる別世界へ出かけてみるのはいかが。少し車を走らせれば、そこにはおもてなしの心に満ちた極上の宿が待っている。

 旅行作家の野添ちかこさんが、1泊2日の週末ラグジュアリー旅を体験。今回訪れたのは、長野県・湯田中温泉にある「松籟(しょうらい)荘」。

 火事からの復活を遂げ、2024年、新たな歴史を刻み始めた。東京・練馬インターチェンジから向かうなら、上信越自動車道の信州中野インターチェンジを経て約3時間で到着する。


露天風呂と坪庭を備えた5室の宿が、2024年に復活


花頭窓の障子がモダンな趣を添えるロビーラウンジでチェックイン。リペアされたヴィンテージの家具にも風格を感じる。

お着き菓子には、料理長が作った上品な甘さの羊羹が出される。

 2021年に火事で焼けた、国の登録有形文化財にも登録されていた老舗旅館「よろづや松籟荘」が3年の歳月を経て復活、2024年3月に客室数5室の「松籟荘」として再始動した。

 宿が保有していた、TV番組で500万円と鑑定された掛け軸や、北大路魯山人作の鉄の行燈・壺など、お宝ともいえる芸術品や調度品はすべて灰燼(かいじん)に帰したが、「人命が失われなかったことは不幸中の幸い」(7代目館主の小野誠社長)と前を向き、小野社長自らが創りたい宿の設計図面を引いた。

 防災上の許認可のため、木造で建造することは叶わなかったが、内装に銘木を使い、漆喰の壁で塗り込めて「純和風の数寄屋づくり」を貫いた。

 館内の家具は無垢材の曲線美と艶やかな漆塗りが特徴の松本の民芸調。そのシックなフォルムが落ち着いた和の空間によく馴染む。


客室「きく」の本間。ほかに次の間、ダイニングルームがある。

優雅な花頭窓をイメージした木製建具が、本間と次の間を仕切る(客室「きく」)。

 1階にある客室は90平米以上あり、広々としている。空間が気持ちいいのは、天井が高く、日本古来の自然素材を取り入れた数寄屋づくりだからだろう。

 露天風呂へと向かう廊下の先には雪見障子があって、四季の移り変わりを愛でることができる風情ある空間となっている。また、ダイニングルームは寝室とは切り離されているから、寝室に料理の匂いがつくこともない。

 宿泊した客室「きく」には、旧松籟荘の特徴的な意匠「花頭窓」や襖(ふすま)の一部に明かり取りの障子をはめ込んだ「源氏襖」などが配され、優雅さが漂う。見えるところだけでなく、ドイツから輸入した遮音性と断熱性のある厚い壁材を採用して、快適性にもこだわった。

 松籟荘の名前の一部である「松」の葉を描いた浴衣は「注染(ちゅうせん)」とよばれる伝統的な染めの技法を用いた上質なもの。やわらかなタオル、遠州紬の部屋着、石けんに至るまで肌に触れるものは一つ一つ、女将やスタッフがセレクトしている。


客室「こまくさ」の畳のベッドルームに置かれた、カバの木で設えた松本民芸調の家具。

ラウンジのテーブル&チェアは宿が保存していた希少なミズメザクラのヴィンテージ家具をリペア。

 2階の客室は、ツインベッドが置かれた60平米のベッドルームである。シックな民芸調家具の特注品がぴったりと収まり、家具好きな人にはたまらないだろう。「こんなインテリアにしたい」と部屋づくりの参考にする人もいるかもしれない。

「旧松籟荘を建てた祖父は、松本民芸家具の創始者、池田三四郎さんと親しかったので、今回の松籟荘復活に合わせて、民芸調の家具を新調したり、リペアしたりして、織り交ぜて使っています」と話すのは小野社長。

 ラウンジに置かれたヴィンテージの松本民芸家具に座ると、体に沿う曲線のフォルムがなんともいい。ラウンジでは隣村の木島平の伝統工芸品、内山手すき和紙を使ったしおりづくりの体験もできるので、ぜひ挑戦したい。

美肌の湯をたたえる「桃山風呂」へ出かけてみよう


桃山風呂は「よろづや」のロビーを通っていく。

佐久間象山筆の「洒心」の木製の扁額。

 登録有形文化財の「桃山風呂」にも、ぜひ出かけたい。3年前の火事の際に焼失を免れた湯殿で、姉妹館・よろづやの中にある。

 よろづやの創業は江戸時代の寛政年間。老舗の風格が漂うロビーを抜け、階下の温泉をめざす。

 脱衣所の床はケヤキの寄木細工で、欄間にはキジの一生が描かれている。風呂入り口に見える「洒心(さいしん)」の文字は、「洒=洗い清める」という意味で、佐久間象山の手によるものだ。

 現在、桃山風呂は立ち寄り入浴を受けていないので、この雰囲気を味わうことができるのは宿泊者だけである。

 湯田中温泉の開湯は1300年以上前。僧智由が発見し、この湯で長生きできるようにと、長命・長寿を意味する「養遐齢(ようかれい)」と名付けたといわれている。


格天井を取り入れた桃山風呂。洗い場は笠間の稲田石(バスタオルは撮影のため使用)。

露天風呂から眺めると、この湯殿が寺社仏閣を模した伽藍建築だということがよくわかる。

 桃山風呂の着工は戦後まもなくの昭和26(1951)年、物資もなかった時代に遡る。5代目の小野博さんが「名物風呂を造りたい」と社寺建築に精通した地元の棟梁に頼んだ。

 5代目館主は「人から『やめとけ』と言われると、『よーし、やってやる!』と発奮するような剛毅な人」(小野社長)で、足りない予算を、戦前から蒐集していた美術品や書画を売り払い、なんとか工面した。納得いく風呂を造るために妥協せず、基礎に1年、建設に1年、彫刻に1年と足掛け3年をかけてようやく完成を見た。

 内風呂の柱はスギ(修繕により、一部ヒノキ)、梁はケヤキで、宮大工の技で釘を1本も使わずに組んでいる。折り上げ格天井にはマツの一枚板が使われている。

 こうした建築のウンチクを学べる「名建築に浸る、桃山風呂見学ツアー」(無料、要予約)は土曜日の10時から実施されるので、日にちが合えば参加してみよう。


客室「きく」の露天風呂は総ヒノキづくり。

客室に置かれた和三盆のお菓子は風呂に入る前にどうぞ。

 松籟荘の客室はすべて露天風呂がついているから、外に出ず、日がな一日湯三昧と洒落込むのもいい。

 注がれる温泉は無色透明のナトリウム-塩化物・硫酸塩泉。入るとつるりとした感触で肌をやわらかく包み込んでくれる美肌の湯である。

 松籟荘と姉妹館のよろづや2館で3本の自家源泉を持ち、湧出量は毎分253リットル。桃山風呂同様、客室の露天風呂もかけ流しである。

 源泉はセ氏93.6度と高温なため、井戸水で75度まで下げて、さらに湯口を絞り、適温になるよう調節しているそうである。

 総ヒノキづくりの湯船は真新しく、それだけで気持ちが晴れやかになるのに加えて、浸かった湯の先に、木々の緑がまぶしい庭が眺められ、視覚からも癒やされる。湯船の形は客室ごとに異なるのでお気に入りを探してみよう。

りんごで育った信州牛や手打ちそばなど、信州らしさにこだわる


「新緑」をイメージした前菜(2人盛り)。花山葵のお浸しや信州サーモンのぬた和え、初夏の風物詩・じゅんさいの酢の物などが並ぶ。

コゴミやタラの芽、コシアブラなど今が旬の山菜は天ぷらで。薬味として戸隠大根を使った塩が添えられていた。

 夕方6時。客室に、信州の旬を満喫できる、地産地消の夕食が運ばれてきた。

 この宿を訪れたのは5月。五月豆(そら豆)を裏ごしした豆腐のほか、山菜、新玉ねぎ、新生姜、桜エビ、初ガツオなど旬の味覚が並ぶ。細くて美しい信州そばは手打ちだ。

「新緑」と名付けられた前菜の皿には、竹やガラスなどの小鉢に美しく料理が盛り付けられ、青々としたもみじの若葉が添えられている。

 お酒は自然農法で作った米だけを使用した玉村本店(志賀高原)の「NEW ENGI」や「志賀高原ビール」、地元の米と水尾山の湧水で仕込む「田中屋酒造店」(飯山)の「水尾」、ブナの原始林を抱く雪深い鍋倉山から湧き出す水を使用した「角口酒造店」(飯山)の「北光正宗」、日本古来より引き継がれる「もち米四段仕込み製法」を取り入れた「丸世酒造店」(中野)の「勢正宗」など信州の銘柄がズラリ。ワインも小布施や高山村、小諸など、長野県内のものを取り揃えている。


料理長による焼き物パフォーマンスも。この日はりんごで育った信州牛を炭火で網焼きにしてくれた。

桜エビばら揚げと、うすい豆を混ぜ込んだ、新生姜ご飯。

 夕食は一品一品供されるスタイルで、先付から前菜、椀もの、お造り、揚げ物、メイン料理など9品が並んだ。

 料理長が客前で調理してくれるパフォーマンスも楽しい。料理長は東京の一流ホテルや英国の日本大使館で公邸料理人として腕を振るっていた経験をもち、この宿がめざす「控えめで品のある、ゆかしい宿」を体現する和の味を追求する。

 〆のご飯は新生姜とサクサクの桜エビばら揚げの混ぜご飯。お釜で炊いているからおいしさもひとしおだ。

 会席料理は品数が多いため、お腹がはち切れんばかりになり食べられなくなってしまうことが多いが、この宿の会席料理の味は上品で、女性にもちょうどいい量である。

 おいしいものはなぜか全部食べられるから不思議。サクランボと抹茶プリンのスイーツまでおいしくいただいた。


暖炉のあるラウンジに置かれたロッキングチェアでのんびり。

夜のラウンジでは、各種ウイスキーなどアルコール類が無料。

 夜の時間はラウンジで過ごすのがおすすめだ。日中はコーヒーや信州りんごジュース、ミネラルウォーターなどのソフトドリンクが無料、夜8時から10時30分まではウイスキーや梅酒などのアルコールもフリーで楽しめる。また、チョコレートや信州りんごチップ、ナッツ類やスモークサラミなどの乾き物もすべて無料である。

 館内はスリッパでの移動となるが、木の床の下に温泉水が通され、湯を循環させる床暖房が施されているため、裸足で歩くと足元がポカポカとして、温かい。木と温泉のぬくもりを感じて、リラックスできることだろう。

 よろづや5代目の夢を受け継ぎ、新たな歴史の1ページを刻み始めた松籟荘へ、くつろぎの一夜を過ごしに出かけてみてほしい。

松籟荘

所在地 長野県下高井郡山ノ内町平穏3071-1
電話番号 0269-33-2114
料金 1泊2食付き一人5万3,150円~(2階)、6万4,150円~(1階)
https://shoraiso.com​/


野添ちかこ(のぞえ・ちかこ)
温泉と宿のライター/旅行作家

「心まであったかくする旅」をテーマに日々奔走中。NIKKEIプラス1(日本経済新聞土曜日版)に「湯の心旅」、旅の手帖(交通新聞社)に「会いに行きたい温泉宿」を連載中。著書に『旅行ライターになろう!』(青弓社)『千葉の湯めぐり』(幹書房)。岐阜県中部山岳国立公園活性化プロジェクト顧問、熊野古道女子部理事。
https://zero-tabi.com/

文・撮影=野添ちかこ

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