槙生と朝の“体の動き”から見る2人の絶対的な「わかり合えなさ」と、それでも対話を諦めない“愛の形”
CREA WEB / 2024年5月31日 7時0分
映画ライターの月永理絵さんが、新旧の映画を通して社会を見つめる新連載。第9回となる今回のテーマは、「人はわかり合えない」。
年齢、性格、生い立ちすべてが異なる35歳と15歳。大好きだった父とわかり合えなくなった11歳の少年。大人と子ども、親と子だからではなく、“人と人”だからこそお互いを理解できない私たち――。6月公開の映画『違国日記』と『オールド・フォックス 11歳の選択』から、あたらしい人間関係を探ります。
「人と人は絶対にわかり合えない」に込められた希望
どれだけ仲の良い友人同士でも、長い時間を共に過ごした家族でも、人と人が心からわかり合うのは難しい。ある一点に関しては意見が一致しても、別の点では意見が分かれるなんてよくあること。何度説明されようと、相手の行動がどうしても理解できないこともある。自分と他人とは違う人間なのだから、すべてをわかり合うなんて不可能だ。それでも人は、自分を理解してほしい、相手をわかりたい、と望んでしまう。好意を抱く相手ならなおさらだ。この絶対的な「わかり合えなさ」を前に、私たちはどう他人とつき合うべきなのか。
ヤマシタトモコの原作漫画を瀬田なつき監督が映画化した『違国日記』は、まさに「わかり合えない」人たちの関係性を描いた作品。35歳の少女小説家、高代槙生(新垣結衣)は、ひょんないきさつから、両親を突然交通事故で亡くした15歳の姪、田汲朝(早瀬憩)を引き取り、二人暮らしをすることに。人付き合いが苦手な槙生と、人懐こい性格だがまだ両親の死を受け止めきれていない朝。しかも、槙生は朝の母親である実姉とずっと仲が悪く、死んだあとも彼女を許すことができずにいた。
年齢、性格、生い立ちとすべてが異なるふたりの同居生活は、親子とも友人同士とも違う、奇妙な距離感によって成り立つことになる。「人と人は絶対にわかり合えない。だからこそ、そういう人たちを描きたい」と、原作者のヤマシタトモコはこれまでインタビューなどで度々言及している。実際、槙尾はくりかえし朝にこんなことを語る。私たちは別々の人間で、それぞれにできることとできないことがある。同じ事柄に抱く感情だって違う。その違いはどうしようもないのだと。
体の動きから読み解く「人は自分とは違う」という当たり前のこと
ところで、最初にこの漫画を瀬田なつき監督が映画化すると聞いたとき、少し驚いた。『5windows』(2012年)、『PARKS パークス』(2017)、『ジオラマボーイ・パノラマガール』(2020)など、しばしば若い少年少女たちを主人公にしてきた瀬田監督の映画は、どんな作品もミュージカルのようだといつも感じていた。
登場人物たちの発するセリフはどれも不思議な軽やかさをまとい、テンポよく進む会話のなかで、意味から解き放たれた言葉は、歌のようなリズムを奏ではじめる。ぴょんぴょんと飛び跳ねるように歩き、疾走する子供たちは、みなダンスを踊っているよう。その軽やかな動きとリズムこそ、瀬田映画のもつ大きな魅力だと思っていた。だから、ひとつひとつの言葉がどっしりと重みを持つ『違国日記』という漫画作品を、瀬田監督がどんなふうに映画化するのか、意外に思いつつ、楽しみでもあった。
映画は、やはり人々の体の動きに注目する。朝を演じる早瀬憩の体は、両親の事故を目撃し呆然と立ち尽くすことから始まり、やがて少しずつ子供らしい動きを獲得していく。中学からの親友えみり(小宮山莉渚)や、高校で新しくできた友人たちと一緒にいるとき、朝はいつも軽やかに踊っている。歌を口ずさみながら学校の廊下をスキップし、友だちの周囲を飛び跳ね、家に帰れば槙生の言う一言一言にその都度ぱっと振り向いては目を丸くする。その姿は、未知の世界を知ろうとしている小動物のようだ。
一方の槙生は、基本的に家で仕事をしている人だからか、普段は自分の部屋の机の前でじっと座り込み、体を縮こまらせてばかりいる。外に出ても、軽く背を丸めて歩く彼女は、朝とは対照的に、一歩一歩ゆっくりと足を進めていく。学生時代からの親友の醍醐奈々(夏帆)と比べると、槙生の体の硬さがよくわかる。元恋人の笠町(瀬戸康史)が隣にいるときも、彼に触れるべきかどうか、もっと近づいてもいいのか、彼女はいつも慎重に他人との身体的距離を測っている。
そんな朝と槙生の体の動きはどうやっても合わない。背中を丸めゆっくりと歩く槙生のまわりを、朝がふらふらとまとわりつく。その様子はまるで、生育環境も体の大きさも異なる二匹の動物が無理やり一緒に歩いている感じ。バラバラなふたりの体は、ときにぶつかり、ときに離れながら、やがて不器用なリズムを奏で始める。そこにそれぞれの友人知人が加わることで、より騒々しく、破茶滅茶な音が鳴る。その過程が楽しくてしかたない。何より、登場人物みんなの体の動きを見ていると、人によって歩き方やその速度、身のこなし方はこんなにも違うのだと、当然のことに気付かされる。
「わかり合えない」を了解し合った先にあるもの
噛み合わないのは、会話も同じ。姉の葬式で、咄嗟に朝を引き取ることを宣言する衝動的な一面はあっても、基本的に槙生は、その意味をじっと考えてから言葉を発する人だ。言葉の意味に重きをおくのは、小説家という職業ゆえでもあり、かつて、言葉で徹底的に傷つけられた経験があるからこそだろう。不用意な言葉がまだ幼い朝を傷つけないようにと、いつも自分を律している。対する朝は、思ったことをぽんぽんと口にしては、槙生を驚かせ、ときには親しい人を傷つけることもある。その代わり、すぐに自分の発した言葉を取り消したり、「どうしてこれがよくないことなのか、教えてほしい」と素直に聞ける柔軟さが、朝にはある。
言葉に対する向き合い方が根本的に異なる朝と槙生は、何度も噛み合わない会話をくりかえす。どんなに言葉を尽くしても、ふたりが完全にわかり合えることはない。相手の話が自分の考えと違いすぎて、よけいに困惑したりもする。それでも、彼女たちは対話を諦めない。それは、理解を求めてというより、自分たちはわかり合えないという事実を了解し合うため、ともいえる。
この映画を見ながら思い出したのは、マイク・ミルズ監督の映画『20センチュリー・ウーマン』(2016)。1979年の夏、アメリカのサンタバーバラで15歳の息子ジェイミーと暮らす55歳のドロシアは、多感な時期を過ごす息子の行く末に漠然とした不安を抱く。いったいこの子は、激動の時代をどう生きていくのか。自分にはどんな助言ができるのか。途方にくれた母ドロシアは、自分たち親子と一緒に暮らす写真家のアビーと、ジェイミーの幼なじみジュリーにこう依頼する。「これからは、私の代わりに、後見人としてジェイミーを助けてあげてほしい」。
親子だからなんでも理解し合えるわけじゃない
ドロシアがこんな突飛な行動に出たのは、自分にはもう息子のことがよくわからなくなったと気づいたからだ。親子といえども、性別も世代も異なる自分たちの間には、徐々に共通点がなくなってきた。だから、自分よりも息子を理解しやすい人たちに彼を託したのだ。当然、アビーたちは困惑し、ジェイミーも反発する。それでも、家族とは違う距離感の女性たちと人生について語り合ううち、少年は少しずつ何かを学んでいく。
親子だからなんでも理解し合えるわけじゃない。むしろわかり合えないのだと了解したほうが、新たな関係を築ける可能性がある。どうして私たちはこんなにも違うのか、と絶望し関係を手放すのではなく、相手は自分とは違う人間だと受け入れることで、自分たちの関係性をもう一度見つめ直す。一度距離を置いたり、誰か他人を間に挟んでもいい。『違国日記』と『20センチュリー・ウーマン』というふたつの映画は、そんな「わかり合えなさ」を超えた新たな関係の探し方を、私たちに見せてくれる。
もうひとつ、わかりあえない大人と子供の関係を描いた映画を紹介したい。ホウ・シャオシェンがプロデュースを務め、シャオ・ヤーチュアンが監督した台湾映画『オールド・フォックス 11歳の選択』。1980年代末期の台北郊外で、父タイライ(リウ・グァンティン)と、11歳の息子リャオジエ(バイ・ルンイン)は、亡き母の夢だった理髪店を開くのを夢見て、慎ましい生活を続けてきた。だが、突然のバブル景気で不動産価格が高騰、理髪店を開く夢は遠のいてしまう。失望したリャオジエは、ある日、「オールド・フォックス(腹黒いキツネ)」と呼ばれる狡猾な地主シャ(アキオ・チェン)と知り合い、彼の考えに影響を受けるようになる。
「夢を叶えたいなら非情になれ」とシャに教えられた少年は、自分よりも他人のことを優先する父の生き方は間違いだと感じ、父は息子にそんなふうに生きてほしくないと望む。それは、80年代末期に台湾社会に到来した新しい価値観と、それまでの伝統的な考えとの対立でもあるはずだ。
大好きだった父とわかり合えなくなった少年は、どんなふうに人生の選択を行うのか。父は自分とは別の視点を手に入れた息子に、何を伝えられるのか。カメラは、彼らに訪れる未来をただじっと見つめつづける。
文=月永理絵
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