青い海、白い砂浜、鬱蒼とした松原、そして富士山…浮世絵にも登場する景勝地にそびえ立つ清水灯台へ
CREA WEB / 2024年5月31日 11時0分
現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。
建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。
そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2023年に『木挽町のあだ討ち』で第169回直木三十五賞を受賞した永井紗耶子さんが静岡県の清水灯台を訪れました。
灯台への旅
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「灯台に行ってみませんか」
オール讀物の編集者、八馬祉子さんから言われた時には、
「は? トウダイ……??」
と、脳内で漢字変換できないくらい、ピンと来ていなかった。
究極のインドア生活が長く、夏だからといって海に出かけることもなければ、マリンスポーツもクルージングも縁遠い。港に遊びに行くと言っても、せいぜい近場で横浜のみなとみらいかお台場くらい。観光で漁港に行っても、手元の海鮮丼しか見ていない。
なんで私が灯台に……
「作家お一人につき、一つのエリアを巡るのですが、永井(ながい)さん、所縁(ゆかり)のある静岡県でいかがですか?」
確かに、母方の実家もあり、大井川で産湯をつかった所縁のある静岡県。
「そこに建つ灯台と、それを巡る土地と歴史の物語を探る旅なんです」
そう言われると面白そうだ。
海辺にぽつんと佇んでいる灯台。何故、そこに建ち、どんな人々が携わって来たのか。そして今、どうしているのか。確かにそこには詩情溢れる物語がありそうな気がしてくる。
「行ってみたい……かもしれません」
かくして私は、期せずして、灯台と向き合う旅に出ることになった。
羽衣伝説の三保
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一月某日。
静岡駅に降り立った私は、コートの襟を立て、ぐるぐる巻きにしたマフラーに顔を埋めていた。冬とはいえ、とりわけ寒い日であった。
「海辺に行くなら、夏が良かったですね」
八馬さんは言う。
「でもまあ、海に入るわけじゃないし。灯台だって建物だから」
気楽に構えていたことを、三日間の旅の終わりにほんの少しだけ後悔することになる。
とはいえ、これからは楽しい旅だ。
「やっぱり鰻(うなぎ)は外せませんよね」
何だろう……グルメ旅の様相を呈している気もするが、かく言う私の手元にあるのは、週末旅のガイドブックである辺り、既に重厚感からはかけ離れている。
しまった……他の方はずっしりとした灯台物語を書いていらっしゃるというのに、私はこのノリで良いのだろうか……。
若干の不安は、鰻の感想を言い合ううちに吹っ飛んだ。
「まずは、地元の産物を知ることから始めないと」
いい言い訳を見つけたものである。
景勝地としても名高い「三保の松原」へ
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今回のメンバーは、私と、オール讀物の編集者、八馬祉子さん、内藤淳(ないとうじゅん)さん、そしてカメラマンの橋本篤(はしもとあつし)さんの四人である。ペーパードライバーの私と、免許を持たない編集者二人……ということで、橋本さんに運転を一任。鰻でエネルギーをしっかりチャージしたところで、一路、清水灯台の建つ三保半島へと向かった。
三保と言えば、景勝地としても名高い「三保の松原」がある。まずはその三保半島の中心にある「御穂(みほ)神社」に参拝して、旅の無事を祈ることに。
御穂神社は、延喜式(えんぎしき)にもその名を記す古い神社である。冬ということもあり、観光客もおらず静かであったが、確かに歴史を感じさせる佇まいである。神社に行くと、必ずそこの縁起を読んでみるのだが、何でもこの神社には、天女の羽衣の切れ端が奉納されているのだという。
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むむ……ちょっと待て。
謡曲『羽衣』と言えば、謡曲百番の中でも有名な演目の一つである。
〽いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを
この一節を初めて聞いた時、なんという美しい言葉の響きであろうと、しみじみと思った。
これは、漁師に天の羽衣を奪われた天女が、羽衣を返して欲しいと頼む場面で出て来る。漁師は「舞を舞って欲しい」と言うが、「裸のままでは舞えないので、先に返して」と頼む。しかし漁師は「先に返せば、舞わずに天に帰ってしまうだろう」と拒んだ。それに対して天女は言う。
「疑っているのは人であって、天は偽らない」
何とも、誇り高い天女のお答えである。
これは漁師と天女の問答なのだが、さながら人と天の関係性をそのままに表しているようだ。人は疑い深く弱い。一方で天は揺るがず、偽らず、そして時に残酷なまでに強い。
……それはともかくとして、この御穂神社に納められているものが羽衣の切れ端なのだとすると……
「漁師め……ちょっと千切って持ってたってことか」
やはり疑いは人にある。
気を取り直してふと目をやると、神社からまっすぐに松並木の参道が延びている。それは海へと続いているのだという。
参道沿いには、ちょっとおしゃれなカフェや土産店なども
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「歩いてみましょう」
参道沿いには、ちょっとおしゃれなカフェや土産店などもある。冬ということもあって、今は人気(ひとけ)もまばらであるが、さすがは有名な景勝地だ。
やがて視線の先に鬱蒼(うっそう)とした松原が見えて来る。長年の海風のせいか、幹は太く這うように伸びている。何匹もの大蛇がうねっているようで、なかなかの迫力だ。そしてその松の向こうには、大きな青い海が広がった。
「海だ!」
思わず歓声を上げる。
いや、海水浴に来たわけでもなければ、夏休みの小学生でもない。でも、何でか分からないけれど、青い海が視界に広がると、わくわくした喜びが駆けあがって来る。そのまま松原を抜けて砂浜に向かう。
と、びゅーっと冷たい冬の風が吹きつける。
「寒っ……」
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先ほどのはしゃいだ気持ちとは裏腹に、身を縮めつつ、ゆっくりと歩く。そしてふと左の方に目をやると、
「おお……富士山だ」
ドン、と、富士山が見えた。
青く霞(かすむ)む山の上には、白い雪を頂いている。
青い海、白い砂浜、鬱蒼とした松原、そして富士山。その色彩のコントラストは正に絵に描かれたようである。
「これを見て、浮世絵にしたくなる気持ち分かるなあ……」
東海道を旅した人々は、この景色を見た感動を伝えたいと思い、描いたのだろう。私もこれまで何枚も浮世絵で眺めて来たのだが、こうして目の前にすると、
「うわあ……」
という、語彙力の欠片(かけら)もない感嘆しかない。
この浜に漁師や海女の姿を見た人が、創作意欲に駆られて『羽衣』を書くのは納得できる。ここは、天から天女が舞い降り、そして飛び去るのに相応(ふさわ)しい景色だ。
「さて、いよいよ本題に参りましょう」
鰻、絶景と、土地の魅力を知ったところで、目指す灯台へと向かった。
天女のような灯台
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三保の松原から清水灯台までは、車で十分ほど。三保半島の突端にある。車を降りて見上げると、つるりとした白い肌を持つ灯台がすっと立っている。
「きれいですね」
それが最初の印象だった。
灯台を個別に比べて見たことがないのだが、この清水灯台は、しなやかで細身で美しいな、と思った。
「日本で初めての鉄筋コンクリートで造られた灯台なんです」
教えてくれたのは、現地で待っていてくれた海上保安庁の深浦勝弘(ふかうらかつひろ)さん。
この灯台が建てられたのは、明治四十五年のこと。当時としては最新技術であった鉄筋コンクリート製ということもあり、完成から七カ月で二万人が訪れたという。
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「観光スポットだったんですね……」
灯台というと、どこかポツンと寂しい場所に建っているような気がしていた。
どうしてそう思ってしまうのかというと、やはり映画『喜びも悲しみも幾歳月』のイメージによるところが大きい。過酷な自然と向き合い、夫婦で支え合いながら苦労する……そんな印象である。
「ここは、すぐ裏手に官舎があったんですよ」
深浦さんによると、灯台の後ろには広い官舎が設けられていた。こちらも当時としては最先端の住居で、灯台守は家族と共に暮らしていたという。役人として給料も安定し、オーシャンビューの住まいがあり、最先端の灯台を任される。
「ここの灯台守はかなりハイカラさんな暮らしぶりだったのでは……」
そう思わせる暮らしが想像された。
「これなら、夫婦で赴任しても耐えられますね」
などと、やっぱり『喜びも悲しみも……』のイメージを引き合いに出しつつ、当時の様子を思い浮かべる。
「今は自動で点灯するのですが、平成七年までは灯台守がいたんですよ」
と、深浦さん。意外と最近まで、人力でのチェックを欠かせなかったらしい。
「最後の灯台守の娘さんがデザインしたのが、この清水灯台の特徴の一つでもある、天女の風見鶏なんです」
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頭上を見上げると、清水灯台のてっぺんには確かに天女の姿を象(かたど)った風見鶏が、右へ左へとひらりひらりと舞っている。
何となく、この灯台そのものの佇まいも、能舞台で見る、白い着物の天女の姿に似ているように思える。
「では、中に入ってみましょう」
安全のためのヘルメットを装着し、いよいよ灯台の中へ。
スレンダーな清水灯台の中は……?
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スレンダーな清水灯台の中は、やはりスレンダーである。はしごのような急な階段を昇り、人一人がやっと通り抜けられるフロアを潜って、ようやっと灯ろう部に辿り着いた。
そこには大きな目玉のような形のレンズがある。
「大きいものなんですね……」
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灯台のライトの形など、これまで想像したこともなかった。
「ここで使われているのは五等フレネルレンズといって、サイズとしては小ぶりな方なんです」
それでも高さ541ミリ、レンズとしては十分に大きさを感じる。灯りの種類は、メタルハライドランプというもので、灯してから一分以内はエメラルドグリーンに光り、次第に白くなっていくという。
「薄暮の時、ライトがつく瞬間のエメラルドグリーンを見たいという灯台ファンも多いんですよ。今、やってみましょう」
その場で灯してもらうと、確かに初めは幻想的な緑色。それがじわりと白く変わり、光も強まる。ゆっくりと目を覚ましていく姿にも思え、何とも魅惑的な瞬間である。なるほど、これを見たいと思うのも分かる。
「では、少し、外に出てみましょうか」
深浦さんは、気楽な調子で言う。
「外……って、外ですか」
確かに灯ろう部の外には、人一人が立てそうな幅のテラス部分がある。手すりもついている。が、かなりはしご状の階段を昇って来た。
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「高さ、ありますよね」
「そうですね。地上からは15メートルほどでしょうか」
そして、腰ほどの高さの戸を潜って、深浦さんは外に出てしまう。灯ろう部にはもう一人、カメラマンの橋本さんがいたのだが、彼もまた、慣れた様子で外に出る。
よし、ここは行くしかない。
改めてヘルメットの紐を確かめ、スマートフォンのストラップのフックをショルダーバッグに引っかけて、ゆっくりと外に出た。
「風……すごい……」
海から吹く風が、灯台に吹き付けて来る。そして同時に、空からの日差しと、海面に反射する光で、ともかく眩しく感じる。
「ここから、焼津の港にまで光は届くんです」
肉眼では焼津の港ははっきりとは見えないが、以前、海鮮丼を食べに出向いた場所を思い返しながら、なるほど、と、思う。
「こっちを見て下さい」
先に行っている深浦さんの案内で、私は灯台に背を預けたまま、カニのような横歩きで進む。
「おお! これは凄いですね」
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そこには浜辺で見た時とはまた違う、連山を従えた富士山が荘厳な姿を見せていた。
目の前に広がる海は、穏やかに凪(な)いでいる。
「ここは、駿河湾の中では海難事故も少ない穏やかなところなんです」
そのため、明治のはじめ頃には灯台建設に「急を要することはない」と言われていたらしい。しかしその後、地元の人々の要請もさることながら、最も大きな理由となったのは、「貿易」であったという。
「ここから海外にお茶を輸出していたんです」
となると、やはり茶畑を見に行きたくなる。
幕末と明治の黎明
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海上保安庁の方々とはここでお別れし、一路、西へ向かって一時間ほど。
「越すに越されぬ大井川」を、車は一瞬で通り過ぎて山道を上がる。次第に標高は高くなり、眼下に大井川を見下ろす。その島田市金谷の高台にあるのが、「ふじのくに茶の都ミュージアム」。辺りは一面の茶畑である。息を吸い込むと空気は澄んで爽やかに感じられる。
元々、茶の栽培が行われていたが、ここまで広大になったのは、明治時代以降のこと。
江戸幕府が瓦解し、徳川家に仕えていた武士たちは、最後の将軍である慶喜を慕って静岡に入った。しかし最早、役目もなければ禄もない。そこで彼らは、茶の栽培を始めたのだという。
更に、かつて橋のない大井川を渡るために蓮台などを担いでいた「川越人足」たちも、明治に入って大井川に橋が架かるようになると失業し、開墾に携わるようになった。
そんな彼らの資金面での支援をしていた一人が、勝海舟であったという。
こうして作られた茶は、当初、横浜港に運ばれ、そこから海外へ輸出されていた。その品質管理を徹底すると共に、静岡で火入れの加工をして商品を仕上げられるようになったことから、清水港から直接、海外へ輸出することができるようになった。結果、海外から商人たちが来日し、静岡に商館を構えるようになり、ますます輸出量は増大。清水港に入る船も増えて行った。
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そうした時代の要請が、あの清水灯台の建設に繋がって行ったのだということが分かった。
のんびりと、淹れてもらった静岡茶を飲みながら、茶畑の向こうに聳える富士山を見て、ほっこりと一息。
「まさか、こんな山の中の茶畑と、あの清水港が繋がっているとはねえ……」
旅のはじまりの時には思いもしなかった。
あの、すらりとした天女のような佇まいの灯台は、江戸幕府の終わりをチャンスに変えた、静岡の人々のモニュメントでもあるのかもしれない。
清水灯台(静岡県静岡市)
所在地 静岡市清水区三保
アクセス JR静岡駅から東海道線でJR清水駅下車、清水駅からバス三保山の手線で約25分「三保本町」下車、徒歩約20分 東名高速道路清水ICから約30分
灯台の高さ 18
灯りの高さ※ 21
初点灯 明治45年
※灯りの高さとは、平均海面から灯りまでの高さ。
海と灯台プロジェクト
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「灯台」を中心に地域の海の記憶を掘り起こし、地域と地域、日本と世界をつなぎ、これまでにはない異分野・異業種との連携も含めて、新しい海洋体験を創造していく事業で、「日本財団 海と日本プロジェクト」の一環として実施しています。
https://toudai.uminohi.jp/
◎灯台利活用モデル事業を継続!
「海と灯台プロジェクト」が、灯台の存在価値を高め、海洋文化を次世代へ継承していく取り組みとして実施している「新たな灯台利活用モデル事業」。(1)灯台の存在意義や継承理由を伝える。(2)灯台の存在価値を物語化する。(3)灯台の価値と利活用の可能性に戦略的に取り組む。これらの達成を目指し、2024年度も実施します。応募期間や資格、事業期間など詳細は「海と灯台プロジェクト」の公式HPをご参照ください。
文=永井紗耶子
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2024年5月号
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