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心に休みが必要だよ、と あの街を歩きに歩いた話

CREA WEB / 2024年6月6日 7時0分


 ディープな音楽ファンであり、漫画、お笑いなど、さまざまなカルチャーを大きな愛で深掘りしている澤部渡さんのカルチャーエッセイ連載第9回。仕事の後、神戸に足を延ばした澤部さんは、連載1回めに書いた最愛の漫画を追って街を彷徨うお話です。

 関西でのプロモーションを終えた私は、締切を抱えながらも大いなる決意のもと、神戸に宿をとった。神戸は私にとって憧れの場所。理由としては単純で、この連載の初回でも紹介したが、私が今みたいに漫画を読むようになったきっかけになった作品に『神戸在住』(木村紺)があり、その影響だ。心に休みが必要だよ、と思い切って延泊することにしたのだった。

 神戸のホテルで目を覚まして、服を着替える。夕方には大阪に戻らないといけない用事ができたので時間は限られていたが、私にはやりたいことがあった。『神戸在住』には、長田にある自宅から須磨まで散歩に出かけた主人公・桂が、たまたま先輩である友田さんに出会った冬のある日を描いた回(4巻・第36話「冬、須磨にて」)がある。私はこの回が大好きなのだが、私の人生において私だって桂のようにふらっと歩いて「長田からここまで!? 健脚ねえ」と友田さんに言われるようなことがあったっていいだろう、とずっと思っていた。だとしたら今日はそれを実行に移す日だ。私のためにあつらえたような曇天が心地よい。まず「長田」とGoogle Mapに打ち込み、経路を検索してみると、今いる三宮からだと阪神電鉄の「高速長田」という駅から歩くと近い、ということがわかった。高速長田のホームについてみると、とても古く、静まり返っていて、はしばしに私が育った都営三田線の幻影を見た。駅から降りると、なんてことなくただ街が広がっている。そこから長田神社に向かって歩いてみる。店がある、車が過ぎていく、橋がある、当たり前の連続である。10分ぐらい歩いただろうか、神社の前には古い本屋があり、覗いてみると私が帯にコメントを寄せた『ひらやすみ』(真造圭伍)の新刊が並んでいて、なんだか少し緊張した。太宰治の『斜陽』を購入。『神戸在住』の作中に登場する一冊だ。多感な時期だったから、当時『神戸在住』に出てくる本をいくつか読んだのだけど、なぜか一番とっつきやすそうな『斜陽』を読んだことがなかったのだ。カバーをかけられた文庫本を、お守りのように鞄の中にしまった。

私の『神戸在住』を探して…

 ひと気のない長田神社でお参りをして、地図アプリを開き、大体の方角を決め、適当に歩きはじめる。大きなドラマの予感も、急勾配の坂もカーブもないような道を歩く。でもそこに私の『神戸在住』が在るような気がした。長い時間、住宅街を歩いているとJR新長田駅に出る。そこからしばらくはアーケードがあり、にぎやかな街に変わった。にぎやかさも束の間、すぐ工業地帯の景色に変わり、さらに歩いてようやく須磨の海岸に出ることができた。新しい施設があったり、漫画の中で印象的だった須磨海浜水族園も改築中だったが、そこは間違いなく須磨海岸だった。ベンチに腰をおろして自動販売機で買ったポカリスエットを飲み干す。もちろん誰も私に「長田から須磨まで!? 健脚ねえ」だなんて言ってはくれない。でもそれでいい。遠くに見える橋はきっと明石海峡大橋だろう。犬を散歩させる人、ただただ佇む人、浜辺を歩く人、100均で売っていそうな数字の「15」のバルーンを掲げて海辺で写真を撮る女子中学生もいた。その中のひとつに私がいるのだ。それだけでいい。浜辺でぼーっとしたあと、近代的ともいえるきれいな浜辺とは対照的に、エスカレーターどころかエレベーターすら見当たらない古い駅舎のJR須磨駅から電車に乗って三宮に戻る。きっと電車から海が見えるんだ、素敵なことだよ、と期待して電車に乗ったのだけど、少しぼーっとしていたらもう海は見えなくなっていた。

 三宮の駅について街を歩く。記憶のなかの『神戸在住』をめくっていくと、似た風景、かつてはあったであろう風景がいくつも立ち上がっていく。朧げになっているところもかなりある。急に決めたことだったから単行本も持ってきていないため、確認のしようもない。しかし、私の記憶の中の神戸を『神戸在住』を透かしてなぞっていく、その曖昧な感じから湧き立つものがあり、それが心地よかった。

澤部 渡(さわべ・わたる)

2006年にスカート名義での音楽活動を始め、10年に自主制作による1stアルバム『エス・オー・エス』をリリースして活動を本格化。16年にカクバリズムからアルバム『CALL』をリリースし話題に。17年にはメジャー1stアルバム『20/20』をポニーキャニオンから発表した。スカート名義での活動のほか、川本真琴、スピッツ、yes, mama ok?、ムーンライダーズのライブやレコーディングにも参加。また、藤井隆、Kaede(Negicco)、三浦透子、adieu(上白石萌歌)らへの楽曲提供や劇伴制作にも携わっている。2022年11月30日に新しいアルバム『SONGS』をリリースした。
https://skirtskirtskirt.com/

文=澤部 渡
イラスト=トマトスープ

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