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「自分がわからない人のために描く」南Q太。"普通"に縛られる2人が共鳴する『ボールアンドチェイン』

CREA WEB / 2024年6月17日 11時0分

 言葉では説明できない心の機微に触れる細やかな感情を描き出し、熱烈な支持を集めてきた漫画家・南Q太。その最新作となる『ボールアンドチェイン』は、【あや】と【けいと】という女性の肉体を持った2人が、「女」「妻」「母親」「普通」といった自分を縛るものに気付き、人生を取り戻してゆく物語。ジェンダーやセクシャルマイノリティといったテーマを孕みながらも、自分という存在の弱さや曖昧さに悩むすべての人の心に刺さり、背中を押してくれる。心強い「友達」みたいな本作が生まれた背景について、南Q太さんに話を聞いた。


「普通の専業主婦のおばさん」なんているの?

ーー『ボールアンドチェイン』という作品はどのように始まったのでしょう。

「SHURO」(マガジンハウスが運営するマンガサイト)の編集者の方に、何か描いてほしいと声を掛けてもらったんです。その頃、自分的にもちょうど行き詰まってて、何が描きたいのか全然わからなくて休んでたんです。でも、サイトの立ち上げまで1年ぐらい時間があったので、編集さんと打ち合わせをしながら、自分が何を描きたいのか手探りで見つけていった感じでした。

ーー本作の主人公は、冷めきった家庭で所在のなさを感じている専業主婦の【あや】と、結婚を考える恋人がいながらも性自認に悩んでいる【けいと】です。この2人を主人公にしたのはなぜですか。


けいとと婚約者のやりとり。『ボールアンドチェイン』より。

「SHURO」と同時に『GINZA』のwebでも掲載するということで、編集者からは最初、主人公は30代の働いている女性がいいと言われていたんです。なのでそういう女性を主人公に描き始めたんですが、私は会社で働いたことがないので、30代の会社員の女性の生活がわからないし、彼女がなんでそういう人間なのかもわからない。逆に、3話ぐらい描いた中に登場した、主人公がなんとなく惹かれる中性的な女性の方がわかるし、こっちを描きたいなって。

 それと同時に、主人公は別におばさんでもいいんじゃない? とも考えていて。その方が自分にとってはリアルで描きやすいし、だったら主人公を2人にしよう、その方が読む人も限定しないなと思ったんです。

自分が夫から馬鹿にされていることに傷付いてる

ーー2人は見た目も年齢も立場も性格も違う。普通ならリンクしそうにないキャラクターですが、実は「妻」とか「母親」とか「女」とか「普通」というものに縛られて、苦しんでいるのは共通しています。タイトルの『ボールアンドチェイン』は「自分を縛るもの」みたいな意味だと思っていたんですが、調べてみたら「妻」とか「女房」の侮蔑的なスラングでもあるそうで。これは一筋縄ではいかない作品だぞと身が引き締まりました。


『ボールアンドチェイン』より。

【あや】に関しては、最初は「普通の専業主婦のおばさん」という設定だったんです。でも、途中から「普通の専業主婦のおばさん」って、そもそもいるのかな? とわからなくなってきて。彼女が「消えてしまいたい」と思うようになったのは、夫が不倫してるからではない。そんなことはどうでもよくて、彼女は自分が夫から馬鹿にされていることに傷付いてるんですよ。望まない役割を演じてきて、自分の価値を見失っているんですね。

ーー家事や育児など、家族のケアを担う女性が家族から軽んじられるのは、実際あるあるなだけに、誰もいない家で【あや】が「ひとりだと何食べていいかわからないな……」と言うシーンは、リアルで身につまされます。


誰もいない家で【あや】が「ひとりだと何食べていいかわからないな……」と言うシーン。『ボールアンドチェイン』より。

 ずっと家族のために料理をしてきたからこそ、自分が本当に食べたいものがわからない。自分以外の誰かのために生きて、自分が何が好きだったか、どんなふうに生きたかったか、自分のことがわからなくなってる。それって自分も含めて、誰にでもあることだと思う。

ーー「自分がわからない」という意味では、【けいと】が性自認に揺らいでいるという設定は、まさに象徴的です。

【けいと】の方が、ある意味わかりやすいですよね。トランスジェンダーや性的マイノリティの人は【けいと】は俺たちの味方だって思ってくれるけど、【あや】の孤独はすごく見えにくい。それを「主婦の悩み」として扱うのではなく、掘り下げて考えたいなって思った辺りから、作品の方向性が見えてきました。

ーー作中では【あや】が、学生時代に中性的な女友達にほのかな思いを寄せているシーンが描かれます。実は【あや】も、性自認に揺らいでいたのでしょうか?

 そこはハッキリとは描いてないんですが、2巻では、若い頃の【あや】は男性に興味がなくて、病気で仕事を無くしていた時に、のちに夫になった男性に押されて結婚しちゃったんだけど、本当は結婚なんかしたくなかったって泣くシーンが出てくるんです。だから、実はそうなんだけど気付けないまま、なんで自分はこんなに孤独を感じるんだろうという状況に置かれてる。そういう人は結構いるんじゃないかと思います。


あやがほのかに思いを寄せていたみどりさん。『ボールアンドチェイン』より。

「何歳からだって自分を発見できる」

ーー本作のあとがきには、南先生自身が50歳を過ぎてからノンバイナリー(自分の性自認が男と女、どちらにも明確には当てはまらないという考え)だと気付いた経緯が書かれています。そんな南さん自身の気付きが【けいと】や【あや】というキャラクターに繋がったのでしょうか。

 そう思います。私自身、昔から自分の名前や身体に違和感を感じていて、今みたいに情報もなかったから、性別は男と女の2種類しかないと思って、女じゃないなら男なのか? いや、でも男じゃないし、女のできそこないだなって、ずっと諦めて生きてた。それが数年前にたまたま本屋で『ノンバイナリーがわかる本――heでもsheでもない、theyたちのこと』(エリス・ヤング著)という本に出合って読んでみて、全部当てはまるってことは私はこれなんだ! って、すごく腑に落ちたんです。

ーージェンダーに限らず、自分のことを説明してくれる言葉に出合うことで、救われることはありますよね。だからこそ、【けいと】が恋人から投げかけられる「何でそんなに性別にこだわるの? 自分は自分てだけじゃない?」という言葉には、憤りを感じました。

 相手の存在を受け止めてるようで、結局は無視してる。もっと言えば、暴力を受けてるんですよね。


『ボールアンドチェイン』より。

ーー本作には、読んでいて「ギャッ!」となる台詞が多いですよね。【けいと】が言われる「なんでウチで働いてんの? もっといい会社あったんじゃない」「もったいないよな」みたいな言葉は、表面的には褒めてるようでもあるだけに怒れない。この可視化されにくいモヤモヤをよくぞ描いてくれた! と膝を打ちました。

 こういう「お前はわかってないから俺が教えてやるよ」みたいなハラスメントは、されてる方も気付きにくいんだけど、性別関係なく、社会生活をしていると誰もが経験してると思うし、家族や友人の中でもナチュラルにありますよね。

 私自身、女らしくしろとか、母親らしくしろとか、年を考えろとか、周囲からいろんな形で散々言われてきて、最初はありふれたことなんで流してたんですけど、最近は自分が削られてると気付いたら、言い返してもいいと思うように変わってきました。

たんに自分を貶める人から離れればいいというわけじゃない

ーー【あや】もそうですよね。私なんか何もできないわと言っていた【あや】がバイトを始めて、弱気になる友人に「年齢なんてただの数字でしょ?」とハッパをかけるまでに変わってゆく姿に、ハッとさせられます。

【あや】が郷里の父親に「帰ってきてもいいぞ?」と言われて踏みとどまるシーンがありますが、なんでそれじゃダメなんだろうと考えると、養ってもらう相手が夫から父親にかわるだけじゃ、やっぱり何の解決にもならないんですね。自分の尊厳を取り戻すって、たんに自分を貶める人から離れればいいというわけじゃない。


『ボールアンドチェイン』より。

【けいと】も強いようで、会社の中では一人称を「僕」から「私」に変えて、自分を抑圧して生きてきて。自分を貶める男と別れて、女性の恋人ができるんだけど、それで【けいと】の問題が解決したわけじゃない。

 自分がどういう人間か、どう生きたいか、考えて、思い出して、自分自身が自信を付けていくことが大切だと思うんです。


『ボールアンドチェイン』より。

ーー【あや】や【けいと】のように、自分に影響を与えてくれる人との出会いも大きいですよね。

 大きいですね。私の場合は『ノンバイナリーがわかる本』との出合いが大きかったので、別に人でなくても、マンガでも映画でもいいと思う。人の書いたものに出合うことも、友達ができることと一緒だと思うし。誰かを通して、自分が知らなかった世界を知ることで、まだ気付いてない自分を発見できる。私はこれが好きなんだなとか、こういうことに引っ掛かるんだなとか、ネガティブなことの中にも自分を発見するヒントがあると思う。

ーー自分を発見することは痛みを伴うこともありますが、やっぱり楽しい?

 楽しいですね。私は自分を発見すると、すごく喜びを感じるタイプなんです。たとえ現実は変わってなくても、自分が何者かわかると、それだけでラクになれたし、喜びを感じられる。そういう人はいっぱいいると思うので、そのヒントになるものを、自分は漫画という言語を使って描いていけたらなと思ってます。


『ボールアンドチェイン』より。

南Q太

1969年島根県生まれ。92年ワニマガジンより漫画家デビュー。著書に『ひらけ駒!』(全8巻)『ひらけ駒! Return』(全2巻・いずれも講談社)『私の彼女』(上下巻・双葉社)『グッドナイト』(2巻発売中)『スクナヒコナ』(全4巻)『さよならみどりちゃん』(全1巻・以上3作品すべて祥伝社)など多数。2024年8月2日(金)に、『ボールアンドチェイン』2巻と『南Q太傑作短編集 ぼくの友だち』(いずれもマガジンハウス)が同時発売予定。
『ボールアンドチェイン』はSHUROで連載中。
https://shuro.world/manga/ballandchain/
作者公式SNSアカウント @murasakibashi

文=井口啓子

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