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「東京出身の人はどこか違うんです」上京から40年、俳優・光石研が持ち続ける“東京へのコンプレックス”

CREA WEB / 2024年7月6日 11時0分

「子分気質なんです」という言葉に表れる、光石 研が人格者たる理由


光石 研さん、溺愛している愛犬のグリグリくんとCREA WEBに登場!

 高校生のときに映画『博多っ子純情』のオーディションで主演に抜擢されデビューし、昨年俳優生活45周年を迎えた光石 研さん。先日、2冊目のエッセイ『リバーサイドボーイズ』(三栄)を刊行した。故郷の北九州・黒崎の話や青年時代、独自の仕事観などをリズミカルな文章で綴った、楽しい1冊である。


こちらがグリグリ。10歳のトイプードル。

 老若男女問わず、皆に愛される光石さんの秘密を探るべくロングインタビューをお願いしたところ、キュートな愛犬・グリグリくんと一緒にご登場くださった。まずは、故郷のお話から。


自粛期間にふりかえる少年時代


初夏のお散歩を楽しみながら、俳優生活のこと、プライベートのことを語っていただいた。

――エッセイのタイトルになった「リバーサイドボーイズ」は、福岡県筑豊を流れる遠賀川にちなんで名付けられたそうですね。同郷の俳優のでんでんさん、鈴木浩介さん、野間口徹さんとそう呼び合っているのだとか。いつ頃からそのメンバーで集うようになったのですか?

 コロナ禍になる少し前ですね。同郷のでんでん先輩を交えて飲もうと話していたのですが、みんなのスケジュールがなかなか合わなくて、そうこうしているうちにコロナになってしまった。明けてからやっと行けました。だから、厳密にいうとそんなに何回も飲んでいるわけではないんです(笑)。

――『リバーサイドボーイズ』は西日本新聞に連載されたエッセイがもとになっています。光石さんが俳優になるきっかけとなった、デビュー作の『博多っ子純情』のオーディションも西日本新聞の社屋で行われたのだとか。

 不思議なご縁ですよね。西日本新聞さんから「とりあえず800字で50本書きませんか?」とお話をいただいて、ちょうどコロナ禍の自粛が始まった頃で撮影もなくなったので、書けそうだなと思ってお受けしたんです。九州の方が読んでくださるのなら、九州の話題がいいかなと、『博多っ子純情』のオーディションの話から書き始めました。

 2回目の連載は月に一度1200文字。仕事が再開して忙しくなった頃だったので、移動の新幹線や待ち時間などに書いていました。文字数に合わせて書くのって難しいですよね? 一気に書けるものとピタリと止まってなかなか筆が進まないもの、いろいろでしたね。

――少年時代のお話がたくさん出てきますが、書いていくうちに、どんどん昔のエピソードを思い出していったのですか?

 いえ、当時の友達に電話して、「あそこの店なんだっけ?」「あの人の苗字なんだっけ?」といちいち聞いて、取材しながら書いていました。

「無意識に『おうどん』って言っている」九州の方言と自分自身


「グリグリは走るのが嫌い」(光石さん)

――同じ福岡県でも、北九州と博多では気質が違うようですね。

 博多は商業都市としてずっと栄えていますが、北九州は企業城下町。1950〜70年代、八幡製鐵所(のちの新日本製鐵)が好調だったときに、北九州市の人口が福岡市よりも増えたんです。それが80年代に入ると鉄鋼業が冷えてしまって、衰退していきました。

――勢いのあった頃の北九州で、光石さんは子供時代を過ごされた。

 そうです。当時、大人たちは元気よかったですし、すごく愛着があります。

 僕の生まれ育ったのは北九州市八幡西区黒崎。でも、北九州の中心はやっぱり小倉なんです。黒崎は博多でもなく、小倉でもなく、どちらからも馬鹿にされてました(笑)。

 母は生まれも育ちも黒崎で、黒崎にすごくプライドを持っていました。父はソウル生まれで、戦後に博多に引き揚げてきた。でも光石家は元々は佐賀出身なんです。父は八幡製鐵への就職を機に八幡にやってきた。そんな父と母の間にも小さな確執があって、「パパはなまっとる」、佐賀の田舎者だと母は言っていたのですが、「いやいや、ママもなまってるからね」と子供心に思ってました(笑)。


取材は5月下旬の晴れた日に実施。

――昨年主演された二ノ宮隆太郎監督の『逃げきれた夢』は、光石さんの故郷黒崎で撮影されました。あの映画で話されていた言葉が、光石さんの言葉に近いですか?

 そうですね。僕の言葉は筑豊弁に九州弁が少し混じっていると思います。

――先日、木梨憲武さんのラジオにゲスト出演されていたときにも指摘されていましたが、光石さんは、「お布団」や「お稽古」など、とても上品な言葉を使われますよね? お坊ちゃんのような言葉遣いと言いますか。

 全然、お坊ちゃんではないですよ(笑)。でも、この前も妻に「あなた『おうどん』って言ってるよ」と言われて驚きました。自分では気づいてなくて、無意識に「お」をつけてしまっているみたいです。

「子分気質だったから、荒い言葉を使ったことがない」


光石さんのことが大好きなグリグリ。片時もそばを離れない。

――北九州というと、『Helpless』や『共喰い』など、青山真治監督の映画で光石さんが演じられた役が話すような、荒々しい言葉のイメージがあったので、意外でした。お母様から「荒っぽい言葉を使っちゃダメよ」と言われていたのですか?

 覚えてないです。ただ、子供の頃から体も小さかったし、クラスの女子からも「研!」と呼び捨てされていて、基本的に子分気質だったから、「おめえ」だとか荒っぽい言葉を使ったことがないんですよね。部活の後輩にふざけて言うことはあっても、元来そういうタイプではなかったですね。

――北九州の人はどういう気質だと思いますか?

 とにかく興奮症と言いますか、すぐカッとなったり、集まるとすごいテンションになったりします。同窓会に行くと63歳にもなろうという連中が、顔を真っ赤にして喋っていますから(笑)。周囲を楽しませようという気遣いもありますし、情け深いところもある。土の匂いを感じますね。

――光石さんは温和な印象ですが、カッとなることもあるのですか?

 滅多に出ませんが、カチンときたときにはね(笑)。リバーサイドボーイズのみんなもそういうところはありますよ。あの4人で集まった時に一番テンション高いのは、僕かもしれないです。嬉しくなっちゃうので(笑)。


光石さんは昨年俳優生活45周年を迎えた。

――同郷ならではの、気を使わずに済む空気感があるのでしょうか。

 地元にいた年代は違うし、3人とも東京に出てから知り合ったんですけどね。でもあの街に僕が18までいたことをみんなが知っているというのは、どんなにカッコつけても見透かされているような気がするんですよね。だから、でんでんさんや浩介くん、野間口くんとは最初から腹を割って付き合えたんだと思います。

――逆に、普段東京にいるときには鎧をつけているような感覚があるのですか?

 東京に住んで40年以上になって、だいぶなくなってきていますが、やっぱりありますよ。この街には仕事をしにきているという感覚がありますね。

 東京の人やシティボーイに憧れますし、敵わないなと思います。

焼肉屋で親子3代で食事をしている家族を見ると…


近所の人とも挨拶を交わしながら毎日グリグリとの散歩を楽しんでいるそう。

――敵わない?

 東京で生まれ育った人はしょってないというか、どこか違うんですよ。流行りのものを持ってなくても恥ずかしがらないみたいな(笑)。田舎には、「東京じゃ〇〇なんだって」と聞いてそれを持たなきゃと思ってしまうところがあるような気がするんですけど、東京の人は何を持とうと気にしないというか。

 焼肉屋に行って、お爺ちゃま、お婆ちゃま、息子さんご夫妻にお子さんの親子3代で食事しているご家族を見ると、それだけで負けた気がします。この感覚、東京の人にはわからないでしょ?(笑)  東京に対するコンプレックスは一生抜けないと思いますね。

――でも、光石さんは気負っている印象はなく、すごく自然体に見えます。

 自然体……どうなんでしょうね? 自分ではちょっとわからないけれど。

 でも、僕、一人っ子だから、外面がいいんです。子供の頃、親に連れられてどこかに行っても、大人から「いい子だね」と言われるように振る舞っていたんです。いまでもなるべく変な人に見られないようにしている気がします。

 人をおしのけて何かを奪い取るとか、何がなんでも我を通すということができない。争うのは苦手ですね。


「グリグリ、魚がいるかもしれないよ」(光石さん)

――もっと野心的にならなければ、我を通さなければと思っていた時期はあったのですか?

 よく覚えてないけれど、30代なんかはそういう時期もあったんじゃないですか?

 ただ、割とマイペースなので、そこはよかったなと思いますね。

 撮影現場などで、周囲でワッと何か盛り上がっていても、自分の世界に入って考え事をしていて気づかないこととかありますし。

――エッセイにも、面白い妄想がいくつか登場していますよね。一人っ子だから空想しがちだったのでしょうか。 ミュージシャンのように「ミツケン、ミツケン!」コールを浴びながらステージにあがるとか、「黒崎祇園山笠」のお囃子に選ばれて商店街のアイドルになるとか。読みながらふき出してしまいました。

 妄想(笑)。山笠のお囃子は本当にやりたかったんですよね。

――いまでも妄想することはありますか?

 いまですか? (散歩中に)「あの物件に住んだらどうなるかな……」とか?(笑)

 僕はソウルミュージックが好きなんですけど、70年代のソウルって妄想の歌ばかりなんですよ。大雨の中、車が故障して立ち往生している女の人に、男の人が声をかけて「乗って行きなよ」と自分の車に乗せていいムードになっちゃうとか。そんな出会いあるわけないだろ、というような内容なんだけど、ものすごくいい曲なんです。そんな曲を夜中に一人お酒を飲みながら聴いて、部屋で絵を描いているような青年時代を過ごしていましたね。(続きを読む)

光石 研(みついし・けん)

1961年生まれ、福岡県出身。高校在学中に映画『博多っ子純情』のオーディションに合格し、主演デビュー。以降、映画、ドラマなど映像を中心に活躍。主演映画『逃げきれた夢』は第76回カンヌ国際映画祭ACID部門に正式出品・第33回 日本映画プロフェッショナル大賞 主演男優賞を受賞。映画『ディア・ファミリー』が公開中。『南くんが恋人!?』(テレビ朝日)が7月16日より放送スタート。

文=黒瀬朋子
撮影=榎本麻美
ヘアメイク=大島千穂

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