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【未知なるフィリピン美食新時代①】 食材の宝庫・ネグロス島の 歴史と風土がもたらす豊かな味

CREA WEB / 2024年7月4日 11時0分


ヘリテージハウスレストラン「Stephen's at Balay Puti」の一品。©Kazuki Kei Kiyosawa

 7,641の島々からなるフィリピンで、とりわけ食が豊かな「ネグロス島」。砂糖産業で繁栄した歴史があり、古くから交易のあった中国や、宗主国だったスペイン、アメリカの文化の影響を受けながら発展した美食の島として、新たな注目を集めています。まずは島へのアプローチと、その歴史、フィリピン料理のイメージを一新するダイニングをご紹介。



ネグロス島へのアクセスは、フィリピンのLCC「セブ パシフィック航空」が便利。

成田からセブ経由でネグロス島へ

 ネグロス島は、7,641の島々からなるフィリピンの中部、セブ島の隣にある島です。フィリピンで4番目の大きさ(日本の四国よりやや小さいくらい)で、母語は英語とイロンゴ語。国の公用語は英語と、タガログ語をベースとしたフィリピノ語ですが、タガログ語はもともとマニラのあるルソン島で主に使われている言葉で、フィリピンには100以上の言葉があるのだとか。そのため、地元以外では英語を話す人が多いのだそうです。

 日本からネグロス島への直行便はなく、マニラかセブ(島)を経由するのが一般的。今回は、フィリピン最大のLCC「セブ パシフィック航空」を利用し、往路をセブ、復路をマニラ経由にして、3つの島をめぐりました。

 成田からセブへは約5時間、セブからネグロス島へは約50分、ネグロス島からマニラへは1時間強のフライトになります。フィリピンと日本の時差は1時間なので、時差ボケの心配はなし!


機内食はオプション(要事前予約)。フィリピン料理も選べる。©shifumy

セブ パシフィック航空 Cebu Pacific

https://www.cebupacificair.com/en-PH/

 セブの玄関口「マクタン・セブ国際空港」は、セブ島沖の小さな島、マクタン島にあります。セブ本島とは3本の橋でつながっているので車で行き来できますが、じつはマクタン島こそ、フィリピン随一のリゾートエリア。空港から車で20分〜30分の南東海岸側には10kmもの白砂のビーチが続き、高級リゾートが建ち並んでいます。

 なかでも指折りの大型高級リゾートが「クリムゾン リゾート アンド スパ マクタン」。中央には白砂のプライベートビーチにつながるラグーンタイプのインフィニティプールがあり、40棟のプライベートプール付きヴィラが点在。さらに“ネオアジア”をコンセプトにした250室のゲストルームがあります。


プールの先は光り輝くプライベートビーチ。これぞ楽園。

 こちらでぜひ体験したいのが、「オウム スパ(AUM SPA)」。ワールド・ラグジュアリー・スパ・アワードでフィリピンのベスト・リゾート・スパに選ばれたことのある、高い技術とホスピタリティが評判です。スパ専用のプールもありますよ。


海辺に設えたスパルームで極上のマッサージを。©shifumy

 レストランのイチ推しは、スペイン料理の「エニエ バイ チェレ ゴンザレス(Enye by Chele Gonzalez)」。スペインのバスク出身でフィリピンに移住したチェレ ゴンザレスさんは、フィリピンにファインダイニングのカルチャーを持ち込んだ人物。多くのシェフから尊敬されています。


世界のフーディーが注目するセブ随一のダイニング。©shifumy

フィリピンでもっとも有名なシェフの一人、チェレ ゴンサレスさん(左)。©shifumy

 そんな彼が手掛けるレストランは、セブでもっともおいしく、これまでのレストランとは別格、と評判。チェレさん自身、「セブの食文化を発展させるためにこの店をつくった」と表明しており、セブにおける美食の最先端であることは間違いありません。フィリピンの食文化を取り入れた、ここでしか味わえないモダン・スパニッシュを味わうことができます。


オーダーごとにつくられる、生ハム入りのコロッケ。©shifumy

魚貝の旨みを吸ったお米の炊き具合が絶妙なパエリア。©shifumy

クリムゾン リゾート アンド スパ マクタン Crimson Resort and Spa Mactan

https://www.crimsonhotel.com/mactan

砂糖産業で栄えたネグロス島へ


砂糖で財を成したガストン家の敷地内にある「カートホイールズ礼拝堂」。

 セブから国内線で、ネグロス島北西部にある「新バコロド・シライ空港」へ。ネグロス島の中央には縦にのびる山脈(火山)があり、これが自然の境界線となって、島の西側(ネグロス・オクシデンタル州)と、東側(ネグロス・オリエンタル州)で行政区が分かれています。

 バコロド市は西側の州都で、「微笑みの街」と呼ばれるほど治安がよく、大型ショッピングモールもある中規模都市。旅の拠点には最適です。


バコロド市庁舎前の庭園は、市民の憩いの場となっている。

 ネグロス島は砂糖産業で繁栄した島。平地には、肥沃な火山性の土壌を活かしたサトウキビ畑が広がっています。

 島の最北部・マナプラ市に位置する「ハシエンダ サンタ ロサリア」は、ネグロス島の砂糖産業の先駆者として知られるガストン家の農場と、1930年代に建てられたコロニアル調の邸宅がある場所(ハシエンダ=サトウキビ農園のこと)。事前に予約しておけば、ガイド付きのハウスツアーやビュッフェ形式の食事も可能です。


1930年代に建てられた“砂糖王”ホセ・ガストンの邸宅。

贅を尽くした木材使い、床のモザイクタイルも美しい。

石造りのアイランドキッチン、使いやすそう。

 邸宅の屋上に登って周囲を眺めてみると、見渡す限りほぼすべてが、ガストン家が所有するサトウキビのプランテーションであることが分かります。その規模たるや、ほぼ“村”。

 必見は、敷地内にある「カートホイールズ礼拝堂」。1967年にガストン家の一人である故・ギレルモ ガストン神父によって建てられたもので、つい最近まで農場で働く労働者のために現地の言葉でミサが行われていたそう。神父が亡くなったいまでも、結婚式などのイベントに利用されています。


農機具でつくられた礼拝堂に素朴な信仰が息づく。

 建物は、廃棄されたサトウキビの荷車の車輪(カートホイール)などの農機具でつくられ、屋根はフィリピンの伝統的な帽子サラコットをモチーフにしているとか。中央にあるキリスト像も、農作業に従事する人の姿形を模しているそうで、異教徒もやさしく受け入れてくれそうな、親しみやすいお顔をされていました。


礼拝堂内はいまも厳かな雰囲気が漂う。

説教台の石やステンドグラスの色ガラスなど、近くの海から集められた材料も。

ハシエンダ サンタ ロサリア Hacienda Santa Rosalia

https://www.facebook.com/HaciendaSantaRosalia

伝統製法でつくる「マスコバド糖」

 高品質で知られるネグロス島の砂糖。その製造過程を見せてもらえるとのことで、製糖工場にお邪魔しました。1918年創業の「ハワイアン=フィリッピン・カンパニー」は、フィリピン屈指の製糖工場。1日8000トンのサトウキビが絶え間なくトラックで運び込まれ、750トンの粗糖を製造しているほか、希少なマスコバド糖もつくられています。


次々とトラックが到着し、大量のサトウキビをドサーッと落としていく。

 古くからネグロス島でつくられているマスコバド糖とは、サトウキビの搾り汁を煮詰め、撹拌しながら自然乾燥させてつくる未精製の黒糖。こちらの製糖工場では、職人が昔ながらの手作業でマスコバド糖を少量生産しています。特別な日には、古式にのっとりカラバオ(水牛)が製糖機を動かすこともあるそうですよ。


職人がシャベルで撹拌しながら自然乾燥させているところ。

できたてのマスコバド糖。香ばしくスッキリとした甘さ。©Kazuki Kei Kiyosawa

 マスコバド糖は一般的な黒糖よりも色味が薄く、キャラメルのような香ばしさがありますが、味は意外とクセがなく使いやすいのが特徴。サトウキビ自体の品質はもとより、ネグロス島で発展した高い製糖技術のたまものです。

「ドン パパ」などの高級ラム酒や、バコロドの伝統菓子ピアヤの材料としても欠かせないマスコバド糖。最近ではミネラル豊富でヘルシーな砂糖として、海外でも注目されています。


サトウキビの輸送に使われた蒸気機関車。一部は現役とのこと。©Kazuki Kei Kiyosawa

あっ、犬だ! ©Kazuki Kei Kiyosawa

ハワイアン=フィリッピン・カンパニー Hawaiian-Philippine Company

https://hawaiian-philippine.com/

島の歴史を物語るヘリテージハウス


ネグロス島のヘリテージハウスを代表する「ザ・ルインズ」。

 ネグロス島には、島の歴史と文化を反映した歴史的邸宅「ヘリテージハウス」が点在し、それぞれ人気の観光スポットとなっています。これらの建物は、主に19世紀から20世紀初頭にかけて、当時の富裕なサトウキビ農園主や地主によって建てられたものです。


ザ・ルインズはその成り立ちから「フィリピンのタージ マハル」とも呼ばれている。

 数あるヘリテージハウスのなかでも、別格の規模と歴史を誇り、もはや遺跡といわれるのが、タリサイ市の広大な砂糖プランテーションにある「ザ ルインズ」です。かつてのサトウキビ農園の大地主、ドン マリアノ ラクソンが、亡き愛妻を偲んで建てた大邸宅で、つくられたのは1900年ごろ。長い間、ドン マリアノとその子どもたちが暮らしていました。

 しかし、第二次世界大戦で日本軍がネグロス島に侵攻した際、その拠点とされることを防ぐために火がつけられ、屋根や床は焼け落ちてしまいました。骨組みだけの姿となった「ザ ルインズ」ですが、ネオ・ロマネスク様式の美しい柱や彫刻、庭園の噴水などが、当時の荘厳な雰囲気をいまに伝えています。


2階の床は焼失し吹き抜け状態に。切り取られた青空とのコントラストが美しい。

ザ・ルインズ  The Ruins

https://theruins.com.ph/

 同じタリサイ市にある「バライ ニ タナ ディカン」は、1883年に建てられたヘリテージハウス。博物館として機能する以前は、砂糖農場主であり一帯の村長も務めた、通称・タナディカンの一家が、100年以上暮らした住まいでした。


スペイン統治下ならではの石造りの建物。©Kazuki Kei Kiyosawa

 建物の外壁は、レンガとコキーナ(貝殻やサンゴを砕いてつくったタイル)を使った伝統的な石造り。重厚な家具を配したリビング、ダイニング、ベッドルーム、執務室などは見応え充分です。家族と使用人の通路が分けられていたり、キッチンや洗い場が屋上にあり換気や排水の工夫がなされていたりと、当時の暮らしもリアルに感じられます。


どの部屋も風を通す設計で涼しく過ごせるようになっている。©Kazuki Kei Kiyosawa

美しい彫刻が施された天蓋付きのベッド。

バライ ニ タナ ディカン Balay ni Tana Dicang

所在地 PXP8+76R,Entique Lizares St. Talisay City,Negros Occidental
電話番号 +63 34 495 2104

ヘリテージハウスで優雅な食事を


「バライ プティ(白い家)」は、まさに白亜の豪邸。

 スペイン統治時代の歴史的な街並みが残る、シライ市のヘリテージハウス「バライ プティ(白い家)」は、1920年に建てられた邸宅。イタリア人建築家のルシオ ベルナスコニによるコロニアル建築で、もともとは地元の名士エミリオ・レデスマとその妻ロサリオ・ロクシン一の住居としてつくられました。

 家は彼らの一人娘アデラが相続し、2012年に亡くなるまでここに住み続けたとか。その後、所有者は2度変わったものの美しい状態は維持され、パンデミック中の2021年12月、シェフのスティーブン・エスカランテさんが手がける「スティーブンズ バライ プティ」としてオープンしました。


甘酸っぱいソースをかけたルンピア(フィリピン風の春巻き)。

爽やかな酸味を効かせたワンタンスープ。

 フィリピンの伝統料理に敬意を払いつつ果敢な冒険心も感じさせる料理の数々。いずれも洗練された味わいで、美食慣れした旅行者にも人気の高いレストランです。アドボ、シニガン(すっぱいスープ)、レチョン(豚のロースト)といった郷土料理もモダンなアレンジで提供され、フィリピンならではの多彩な料理を満喫できます。


にんにく醤油で仕上げた牛肉にリゾットを合わせた一品。©Kazuki Kei Kiyosawa

オリーブのコクやケッパーの酸味を効かせたイカの詰め物。©Kazuki Kei Kiyosawa

スティーブンズ アット バライプティ Stephen's at Balay Puti

https://www.facebook.com/stephensatbalayputi/

【協力】

フィリピン政府観光省 https://philippinetravel.jp/

文・写真=伊藤由起
協力=フィリピン政府観光省、shifumy(江藤詩文)
写真協力=Kazuki Kei Kiyosawa

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