「魚介豚骨ラーメン」に熱狂するのは なぜ? 一杯のラーメンから始まった 「日本人の味覚の変化」を探る旅
CREA WEB / 2024年7月11日 11時0分
「日本人の好みはどう変わってきたのか?」を考察する、『味なニッポン戦後史』(集英社インターナショナル新書)が話題となっている。著者の澁川祐子さんに、本書への思いや執筆テーマについてうかがった。(聞き手・白央篤司)
日本人の味の戦後史に迫る話題作
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“(本書ではまず)世界でも注目される「うま味」に焦点を当てる。次に生命維持と深く結びついている「塩味」、人間にとって生理的に好ましい味である「甘味」を取りあげる。続く「酸味」や「苦味」は味覚の脇役に思えるかもしれないが、じつはおいしさをチューニングする鍵を握っている。そして味覚には分類されないが、味わいに興を添える「辛味」を俎上に載せる。最後は目下、第六の味覚として最有力候補に挙がっている「脂肪味」に注目する”
(『味なニッポン戦後史』「はじめに」より抜粋)
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――うま味や塩味、甘味などの角度から日本人の味の戦後史に迫っていく本作、抜群に面白く読ませていただきました。この構成はどうやって思いつかれたのですか。
澁川 「食文化に関するものを書いてほしい」と編集の方から打診があって、さてどうしよう……となったとき、かねてから関心を持っていた社会的な「味の変化」をテーマにできないかと考えました。その際に思い出したのは、柳田國男が記した一節です。『明治・大正史 世相篇』という本の中で、「明治以降の食物には、三つの著しい特徴がある」として、
「一、温かいものが多くなったこと
二、柔らかいものを好むようになったこと
三、概して食うものの甘くなってきたこと」
と挙げているんですね。「人の好みが在来のものの外へ走って、それが新たなものを呼び込んでいる。押し付けられたものではない」とも。変化の背景には経済的、技術的な近代化の影響があったんでしょう。こうした視点を広げて、戦後の変化を一冊にまとめられないだろうか、と。
――『遠野物語』で有名な民俗学者の柳田國男は明治8年生まれ。そんな考察も残していたのですね。
澁川 ええ、ですがやはり断片的な印象論という感じで。もう少しきちんと分析して、時系列的に書いてみたいと思いました。「味覚」という切り口をもってくることで、時代の流れを横断的に追うことができるのではないか、と。
ターニングポイントは一杯の魚介豚骨ラーメン
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――「様々な味覚を通して時代の流れを描きたかった」とSNSで発信されていましたね。「はじめに」を読むと、とあるラーメンの人気が澁川さんにとってひとつのターニングポイントになられたような。
澁川 はい、2000年代前半に人気を集め始めた魚介豚骨ラーメンです。当時、とある有名店の一杯を食べて味の濃さに驚きましたが、若い人たちの行列は絶えない。つまりウケているわけで、これは何なんだろうと。ちょうど同時期、味覚の研究が飛躍的に発展していました。『コクと旨味の秘密』(伏木亨著 新潮新書 2005年発売)には料理のコクを生み出す三要素として「糖、脂肪、ダシのうま味」が挙げられています。
――人間をやみつきにさせる三要素ですね。
澁川 生理的に絶対おいしいと思う要素がラーメンには詰まっているわけで、なるほどと。それらのおいしさを追求した結果、生まれたのが魚介豚骨ラーメンのあの濃厚な味なんですよね。日本のラーメンが世界中の人々を虜にしているのも納得がいきました。そのとき以降、個人的な味の好みにとどまらない、「集合的な味覚」の変化を意識するようになりました。
――若者が支持する味にピンと来なくなるときってショックというか、「俺も老いたなあ……」なんて思いがちだけど(笑)、学究的方向へいくのに脱帽です。
澁川 いえ、私も最初は「もうついていけないのか……」なんて思ったんですよ(笑)。
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――各章で「日本人と○○味」の戦後史が語られますが、うま味のところひとつとっても、うま味調味料に関する毀誉褒貶や、家庭料理における出汁の形の変遷など、細かく書き出していくとトピックは膨大にある。絞り込むのも大変だったのでは?
澁川 なんにせよ「社会との接点」を第一に考えました。どっちがおいしい、いい悪いを書きたいわけじゃない。味の特性を考えるうち、社会的な論点に繋がっていくのが面白かったです。たとえば苦味のおいしさを味わうには経験が必要なのですが、そうなるとそれぞれの育った地域や家庭環境、経済事情などが影響を及ぼすわけです。また専門家ではないので、科学的な話にはし過ぎないということも注意していました。
――塩と日本人について調べるうち「自然」食への強い幻想を感じたとか、辛味は食エンタメ的に盛り上がりやすい、酸味はフードファディズムを背負わされやすいなど、「味覚と日本社会」の様々な形が浮き彫りにされていきます。
澁川 味、ひいては食に対する人々の態度とは、その社会の一面を表すと思っています。食の流行が人々の欲望とどう結びついているのか明らかにしたい。そこにたどりつくまで、ひたすら資料の海をさまよいました。楽しくも、しんどい時間でしたよ(笑)。
「味の履歴書」みたいなものを書いてみたい
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――調べたり書いたりすることは以前から好きだったのですか。
澁川 高校時代、レポートを書くために図書館で明治時代の新聞のマイクロフィルムを読んで興奮したんです。こんな昔の人々の息遣いが感じられる情報にすぐアクセスできることがすごいと思って、楽しくて。
――食べることにもずっと興味は強いほうで?
澁川 母の手料理が好きでしたね。新聞に載っているレシピで気になるものがあると、切り抜いて作ってくれるんですよ。あと食べものがおいしそうに描かれている物語が好きでした、印象に残っているのは児童文学の『大どろぼうホッツェンプロッツ』。食べものがたくさん出てくるんです、ザワークラウトってなんだろうとか、ワクワクしながら読んでいて。料理を本格的に始めたのは実家を出た20代の終わりですが、高校生ぐらいから遊び半分でやっていました。私は東京の町田市育ちですが、富澤商店(※製菓・製パン関連商品の専門店、全国に店舗を展開する)って町田が発祥なんですよ。中華まんの粉が売られていて、「作ってみたい!」と思いすぐ買いました。家で作れると思わないようなものが作れると、うれしくて。
――長じて、ライターとして「食」をメインテーマのひとつに選ばれる。最初から食に関することを書きたい、と思っていたのですか。
澁川 いえ、ライターになって10年以上いろんなジャンルの原稿を書いてきました。そもそも、食文化に強く興味を持ったのは大学時代なんです。タイに旅行して、お茶を向こうでも「チャー」と呼ぶと知り、日本とのつながりに興奮して。文化人類学を専攻して、石毛直道氏の著書をはじめとした食文化論を読みあさりました。
――それが、今に活きている。これから書いていきたいものはありますか。
澁川 味はその人のルーツを示すものでもある、と本書の感想から気づかされました。「自分の家はこういう味だった」とか、自身の経験と結びつけて語る人が予想以上に多くて。味つけの好みは関西風、関東風など出身地によっても異なりますが、「地元の味」に対する思い入れも聞こえてくる。いろんな人にインタビューして「味の履歴書」みたいなものを書いてみたい。
またブラジルやハワイ、ぺルーに渡った人々の「移民の食」にも興味を持っています。ペルーは特に沖縄からの移民の割合が多い地域なんですが、あちらで「そば」といえば、一般にソーキそばを指すほど。食文化は、ともすると固定化された伝統があるように思われがちですが、じつはダイナミックに変化しているものなんですよね。外からの影響を受け、さらにそれがパーソナライズ、もしくはローカライズされて定着していく。ひとりの人間を通して、あるいは社会全体を通して、ダイナミックな食の変容を描いていけたらと思います。
◇◇◇
「味なニッポン戦後史」を読んで思ったことは、「食の多様性」に他ならない。島国の中に多様すぎる食文化が混在し、あらゆる味覚的嗜好に対応できる選択肢や環境があり、選ぶ自由がある。これは文化的成熟だと私は思う。
ただ食に対して思い入れが強すぎると、個人的な嗜好の対極的なものを非難したり、下に見たりしてしまうような、悲しいことも起こりうる。
澁川祐子さんは本書の最後を「願わくは、食について屈託なく語り合える世の中であるように」と締めくくられていた。いろんな味覚と嗜好があって、そこにいい悪いもない。日本の食の豊かさとは、そんな鷹揚さを体現していくことでもあると教えられた一冊だった。
澁川祐子(しぶかわ・ゆうこ)
ライター。1974年、神奈川県生まれ。食と工芸を中心に執筆する。丹念な取材と確かな洞察力、洗練された表現によって生み出される文章が多くの支持を集めている。著書には他に『オムライスの秘密 メロンパンの謎 人気メニュー誕生ものがたり』(新潮文庫)がある。
白央篤司(はくおう・あつし)
フードライター、コラムニスト。暮らしと食、ローカルフードをテーマに執筆。本サイトでは「罪悪感撲滅自炊入門」を数年にわたって連載中。近著に『台所をひらく』(大和書房)、『名前のない鍋、きょうの鍋』(光文社)などがある。
『味なニッポン戦後史』
定価 968円(税込)
発売日 2024年4月5日
集英社インターナショナル新書
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文=白央篤司
写真=平松市聖
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