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大黒柱だった子役時代、パパラッチとの熾烈なバトル、6年間の活動休止…クリスティーナ・アギレラ(43)の今

CREA WEB / 2024年8月18日 11時0分


クリスティーナ・アギレラ ©AFLO

「黄金の歌声を持つ真の歌手」。2000年代、辛口の批評家からも実力派として認められていたのがクリスティーナ・アギレラだ。このたび8月のサマーソニックでの来日公演が決定した現在43歳の彼女が成し遂げた記録は、7500万枚の売上、5つのグラミー賞と、まさにスーパースター級。しかし、一世を風靡したあと、長い休止状態に入ったという特異な経歴も持っている。いったい、なにがあったのか?

両親が不仲な家庭出身、子役として一家の大黒柱に

 1980年、アメリカに生まれたクリスティーナは、幼少期を日本の相模原で過ごした。異国である日本で孤立していた一家の家庭環境は悪く、軍人だった父親が母親に暴力をふるっていた。両親の口論がはじまると、クリスティーナは希望をたくすかのように窓の外にむかって歌っていたという。

 アメリカに帰国してついに両親が離婚すると、祖母に音楽の才能を見出されて子役となり、小学1年生にして一家の大黒柱となった。わずか12歳でディズニー番組『ミッキーマウス・クラブ』のオーディションに合格し、のちに同じポップスターとなるブリトニー・スピアーズやジャスティン・ティンバーレイク、現在俳優であるライアン・ゴズリングらと共にお茶の間のキッズスターとなった。

 日本のシンガーソングライター・中西圭三とのコラボレーションシングル「All I Wanna Do」やアニメーション映画『ムーラン』の主題歌に抜擢された下積み時代を経て、1999年にソロ歌手としてデビューすると、圧倒的な歌声をもつ実力派ティーンアイドルとして成功する。華々しいキャリアのスタートだったが、本人は当時を「レーベルの言いなり状態であった」と振り返る。

賛否両論だった、セクシー路線への転換

 クリスティーナがその真価を発揮したのは、20代になって発表したアルバム『Stripped』。当時、ポップ界の流行といえば、親が安心して子どもに聴かせられる清純なアイドル像。そんななか、クリスティーナは「自由になって汚くなりたい」と宣言する楽曲「Dirrty」などでセクシーな変身を遂げて主体性を表明し、保守的な大人たちを激怒させたのだ。


アルバム『Stripped』(クリスティーナ・アギレラ)

 実際は、当時のクリスティーナは性的な経験は少なかったというが、本当の自分の開示、そして歌手としての原体験にこだわったがゆえのイメージチェンジだった。暴力をふるう父親と共依存状態になってしまっていた母親を救いたくて歌っていた少女時代をルーツにもつ彼女は、声をあげられずに苦しむ誰かを歌で助けたいという気持ちに突き動かされていたのだ。

 だからこそ、クリスティーナは保守層の反発を前にしても止まらなかった。バラード「Beautiful」のミュージックビデオでは、トランスジェンダーや同性愛者、醜形恐怖症の人々の美しさを讃えた。ヒップホップ調の「Can’t Hold Us Down」では、女性が男性と同じことをすると批判されるという女性差別をテーマに、世の女性たちを鼓舞してみせた。これらの曲は、フェミニストという言葉への言及すら避けられがちだった当時の音楽界の未来を切り拓くかのような政治的表明だった。

パパラッチとの闘い、泥酔騒動で大バッシングへ

 クリスティーナのパワフルな闘志は、ゴシップ誌も騒がせることになっていく。「Can’t Hold Us Down」は、彼女への侮辱をつづけていたラッパーのエミネムへの反撃とも解釈された。加えて、元同僚のブリトニーとのライバル関係、「ロック姉御」路線で売っていた歌手ピンクとの不和疑惑など、同性間の争いも取り沙汰された。

 30代を前に音楽プロデューサーと結婚して息子が生まれると、メディアとの戦いも激化。ゴシップ誌全盛期の2000年代、多くの女性スターがパパラッチの標的となり潰されていくなか、クリスティーナはウェブサイトに反論を書き連ねて抗った。一方で、インタビュー取材中に咳をしたスタッフに対して暴言を吐くなど、取材時の態度の悪さも大いに取り沙汰された。

 2010年代に入ってセールスにかげりが出はじめると、転落がはじまる。ポップスの新星としてあらわれたレディー・ガガとの確執、国歌斉唱での歌詞の間違い、体形変化、泥酔騒動などがかさなり、盛大にバッシングされたのだ。そのさなか、離婚の発表に至る。離婚を発表することでイメージがさらに悪化すると当人もわかっていたが、息子を過去の自分と同じようなつらい家庭環境に置きたくなかったのだという。「人の言うことを気にしながら自分を制限して生きるつもりはない。そんな生き方、これまで歌ってきたことのすべてに反する。私は自分の人生を生きる」。

 音楽業界で孤立したクリスティーナは、派手な舞台から遠ざかった。2012年以降、アルバムを出さなくなったのだ。「あれほどの才能があったらもっと高みにいけた」という声が今でも未だにあるほど惜しまれた活動休止だった。そのかわり、激動の人生を歩むことが多い子役出身のポップスターとしては得難いものを手に入れた。プライベートの幸福、家庭の安定だ。新たなパートナーと家庭を築いた彼女は、二児の母として子どもたちとの時間を犠牲にしなくて済むタレント活動に注力していったのだ。

 40代になったクリスティーナは、節度をもった大人として成熟した。キャリアの全盛期に幸せを感じられなかったことで、売上への執着はなくなったという。近年もあいかわらず元ライバルのエミネムやピンクから口撃を受けているが、同じ中年として「大人になろうよ」と呼びかけるなど平和志向をたもっている。

「子どものころから大黒柱として働いてきたことは誇り」

 近年のインタビューでは、子どものころから大黒柱として働いてきたことは誇りであり、現状に不満はないと語っている。現在は親への経済的な援助を続けながら、DV被害者やLGBTQ+支援、動物愛護などの活動をしている。

 音楽面では、約6年の休止を経て、自分の好みに沿うアルバム制作や大規模すぎないツアーを通して復活を遂げた。2022年には名曲「Beautiful」の現代版リメイクを制作し、SNSによってルッキズムに陥ってしまう子どもたちの問題に光をあてている。


クリスティーナ・アギレラ ©AFLO

「結局、私はソウルシンガーなの」。キャリアを回想したクリスティーナは語る。「ポップスターという言葉や、私がしてきたさまざまなことをとりのぞいたときに残るのは、魂の底から歌うこと。それこそが私の核でありルーツ」。

 もちろん、クリスティーナ・アギレラの黄金の歌声は健在だ。近年にはアメリカで常駐公演を行い、圧倒的なパフォーマンスを見せてファンに嬉しい驚きをあたえた。17年ぶりとなる日本のステージも、ソウルフルに揺らすことだろう。

文=辰巳JUNK

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