団塊の世代・沢田研二のキャリアから学ぶ “自分を更新する生き方”とは?
CREA WEB / 2024年7月18日 7時0分
「己を貫く強い人」か「融通が利かない頑固者」か――。
歌手として一生懸命、自分の主義を貫くのにも一生懸命、仲間とつながり続けるのも一生懸命。評価が上がろうが下がろうが。
ジュリーの活動から「自分を更新する生き方」を考える『なぜ、沢田研二は許されるのか』(田中 稲著/実業之日本社)より、一部を抜粋し掲載します。(前後編の前篇)
「空気」は読まない
全盛期の試行錯誤はもちろんだが、沢田研二の最大のトライ&エラー期といえば、テレビから姿を消した、平成の時代ではなかっただろうか。1990年頃から、長年彼の主戦場だったテレビの歌番組との相性がずれていくことを感じ、距離を取っている。役者活動では朝の連続テレビ小説『はね駒』(NHK)などの演技で大きな評価を得ていたものの、歌手活動はあくまでライブ中心にこだわるようになった。
当時は歌謡界だけでなく、世の中も大きく仕組みが変わってきた頃だった。異常なほどに浮かれたバブル景気がはじけ、「気楽な稼業」「勝ち組」とされていた会社員に、リストラという不穏な言葉がつきまとうようになる。終身雇用や年功序列といった、1960年代後半以降の高度成長期、大量生産を支えるために敷かれた日本の大企業システムが揺さぶられた時代だったのだ。
沢田研二と同じ団塊の世代は、ちょうどこの時、40代。その淘汰される古い価値観の中心世代、タテ社会の住人として風当りが強くなっていった。ちなみに、1990年3月27日号の『AERA』(朝日新聞社)に、他の世代から見た「団塊の世代の八悪」が紹介されている。
(1)過剰 意義づけこれがないと動けない
(2)理論過多 周りにいるとうるさい
(3)押しつけ 自らの主張の行きつく先を押しつけたがる
(4)緩急不在 何事にも積極的だが、せっかちすぎる
(5)戦略不在 目先の戦術だけに強く、長期的ビジョンがない
(6)被害者意識 他世代への加害者意識はなく、もっぱら被害者意識ばかり
(7)指導力不足 過当競争の中でリーダーシップを忘れてきた
(8)無自覚 以上の点に全く気づいていない
散々な言われようである。生まれた年だけで、一括りにされてはたまったものではないが、中年層の肩身が狭くなっていたことは間違いない。
「黙っとれ! 嫌なら帰れ!」
2000年代に入ると、さらに世間の価値観も、競争の中で勝つことを目指すより、それぞれの個性を大切にしながら関係性を築くことが重要になっていく。加えてインターネットをはじめとするITが普及し、情報の受け取り方も急変していった。
そんななか、沢田研二は頑なに我が道を進むスタイルを続けていく。2002年には「ジュリーレーベル」というプライベートレーベルを設立し、楽曲の内容も、ファンや大衆におもねるものではなく、自身が伝えたいことを中心に発信。ライブでは昔のヒット曲をほぼ歌わずに新曲を歌い、一時期は古くからのファンも足が遠のいたほどだった。
しかし、2008年11月29日と12月3日に行われた還暦コンサート『人間60年ジュリー祭り』(京セラドーム大阪・東京ドーム)が起爆剤となり、再びその圧倒的実力を知らしめ、ファンが戻ってくる。第4章で詳述するが、このコンサートが彼のキャリアにとって、大きな意味があったのは間違いない。
しかし、その後も彼は“安全運転”をせず、2011年の東日本大震災を機に、コンサートのMCでは芸能人にとってイメージダウンにもつながりかねない政治的な発言や、メッセージ性の強い歌詞も増えるようになる。この頃にはTwitter(現・X)をはじめとするSNSの普及により、コンサートで彼が発する、ファンや観客に対する厳しい発言も取り沙汰された。テレビ出演をしていないので、沢田研二がどんなパフォーマンスをしているかは一般ではほとんど知る機会がない。
しかし過激な発言は、SNSで拡散され、ネット記事などで伝わってくる。そのため、昔のスターで扱いづらい人、というイメージだけが先行していった。ネットを通じ、情報の一部分が切り取られ、検証もなく流れてくる時代と沢田研二は決して相性が良いとはいえなかった。
たとえば、2015年1月20日に開催された『2015 沢田研二 正月LIVE』(東京国際フォーラム)では、こんな出来事があった。約2時間近く歌い続けた後、彼はラストのMCで、最近の世界情勢について語った。すると客席から
「歌ってー!」
という声が上がり、これに対して彼は
「黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!」
と一喝。これもネットで拡散され、それがテレビで取り上げられ話題になった。
「続けることしか信じられない」という歌詞
しかし、2017年には「忖度」が流行語となり、2020年頃から「同調圧力」という言葉が広く認知されるようになり、風向きが変わり出す。空気を読みすぎることへの違和感が注目されるようになっていくのだ。
彼のきつい言い方に「一言多い、厳しすぎる」という指摘はまだまだあるものの、自分のやりたいようにやるライブ構成や、意思を曲げない生き方は、「同調圧力に屈しない強さ」として評価されることも増えてきた。そんなふうに、彼自身は変わっていないが、時代が変わり、向かい風が追い風になってきた部分もある。ただ、それは沢田研二が、自身への無理解な言葉に腹を立てながらも、腐らず燃え尽きず努力を重ね、ライブと楽曲制作を続けていったからこそ巡ってきたものだろう。
しかも、平成の中盤からは、YouTubeなどの発信ツールが増え、テレビ離れが加速。ライブをメインに切り替えるアーティストも増えていく。1990年代に一世を風靡した安室奈美恵も2007年頃からテレビ出演を減らし、ライブ活動中心に移行している。そんな時代の流れから考えると、90年代に「自分にお金を払ってくれる人にだけパフォーマンスをする」というスタイルに変えたジュリーは、ある意味、時代の先を読んでいたともいえる。
2000年9月リリースした『A・C・B』の中には、「続けることしか信じられない」という歌詞がある。沢田研二の作詞だが、自信を失わず、周りの評価に揺さぶられず続けることは、大変な意志の強さと努力が必要だが、目標をかなえるには、一番確実な方法なのだ。
文=田中 稲
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