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「光る君へ」松原客館でも知られる福井県・気比の松原へ。作家たちが愛した越前の名勝地をたずねる

CREA WEB / 2024年7月27日 11時0分

#305 Kehi no Matsubara
気比の松原(福井県)


1万本もの松に彩られた白砂青松の気比の松原。

 前回に引き続き、今年3月に北陸新幹線が延伸されて俄然行きやすくなった福井県・敦賀を拠点とするビーチをご紹介します。

 気比(けひ)の松原は日本海に面した敦賀湾の最奥部、長さ1キロのビーチに奥行き400メートルにわたって松林が広がっています。三保の松原(静岡県)、虹の松原(佐賀県)とともに“日本三大松原”のひとつとされる、由緒正しいビーチです。

大河ドラマ「光る君へ」でも注目!


気比の松原の広さは32ヘクタール。明治中期は76ヘクタールあったものの、学校建設や道路敷設などにより、今の広さに。

 もともとは氣比神宮の神苑だった、気比の松原。万葉集や日本書紀に詠まれ、江戸時代末期には歌川広重の「六十余州名所図会」の「越前 敦賀気比ノ松原」に描かれたことも。敷地内には、明治天皇が立ち寄られたことを漢詩に詠んだ勝海舟の詩碑や、高濱虚子の句碑もあります。

 さらに『源氏物語』を記した紫式部もこの地に住んでいたとか。現在放送中の大河ドラマ「光る君へ」(NHK)でも、気比の松原付近にあったとされる「松原客館」や越前の人々との交流が描かれています。

 国を代表する作品や歴史に名を刻む著名人が思わず筆を取る名勝、気比の松原。どんな絶景が待っているのでしょう。

この地が「一夜にしてできた」という伝説も

 県道から約1万本ものアカマツとクロマツの林を抜けて、海へ向かいます。砂地すれすれまで枝を伸ばした松の古木の脇を抜けて砂浜へ。


平均樹齢は200年。クロマツよりもアカマツの方が多く分布しているのは、珍しいことだとか。

松林を抜けると、この眺め。

 松林のちょっとした暗がりから、一気に光あふれる海の開放的な眺めが広がります。緩やかに弧を描く浜辺の左手には三内山など小高い山が重なり、右手は港のコンテナ。砂はキビ色で波打ち際は小石系。透明度も高そうです。


ビーチに出て、左を向くと三内山など山並みが。

小石の浜で、透明度は高そう。

 驚くほどの絶景というよりも、空と海を眺めて憩うみんなのビーチという感じでしょうか。夏は海水浴場として開放され、花火大会や灯篭流しなども行われるそう。その一方で、冬は雪化粧の松林と荒れた日本海の、厳しくも雄大な自然。季節により、景色も変わります。

 そんな気比の松原は、“一夜松原”とも呼ばれています。これは、伝説に基づくもの。

 聖武天皇の頃、この地に異賊が来襲してきました。すると、浜辺一帯が突然震動し、一夜にして松林が出現。その松の梢に氣比神宮の使い鳥であるシラサギたちが無数に舞い降り、その光景はまるで風にはためく旗指物のよう。それを見た敵勢は数万の軍勢と勘違いし、逃げ去っていきましたとさ、という話。


越前国の一之宮、氣比神宮。日本三大木造鳥居が迎えます。

 地元では「けいさん」と親しみを込めて呼ばれる氣比神宮。地元に迫る危機に一肌脱いだに違いないと、信じたくなる伝説です。

商いの町・敦賀でうまれた名産品とは?


気比の松原から徒歩圏にある、武田耕雲斎等の墓。幕末に繰り広げられた彼ら天狗党の志と悲劇、感慨深いです。

 また、敦賀は江戸時代中期から明治期にかけて、北前船の中継点として隆盛を極めた地です。北前船とは、蝦夷・松前藩(北海道)と大阪・京都を結ぶ商船群。品物を運ぶのみならず、途上の港町で安く品を買い、別の港で高く売って利益を得る、いわば“動く総合商社”でした。


1905年に建造された「敦賀赤レンガ倉庫」。港町敦賀のシンボルです。

 敦賀は日本のほぼ中央、琵琶湖の北に位置していたため、日本海側で水揚げした商品を、琵琶湖を抜けて大阪・京都へ運ぶ中継地にありました。そして松前藩から届く商品のひとつに昆布があり、敦賀では早くから昆布の加工業が確立。おぼろ昆布は敦賀の主産業のひとつとなり、1970年代には生産量日本一になりました。

 気比の松原のほど近くにある昆布加工店「高正昆布」の高橋衛(たかはし まもる)さんは、そんなおぼろ昆布を作って58年。各分野で優れた技能をもつ職人さんに贈られる「現代の名工」にも昨年、選ばれました。そして幸運にも、その高橋さんにお話を聞く機会が!

 工房内にはシュッシュッと小気味のいい、昆布を削る音が響いていました。その音の源は一段高くなった作業場で片膝を立てて昆布を押さえ、もう一方の足でリズムを取りながら昆布を削っている高橋さん。


専用の包丁は刃先を少し曲げる(アキタをかける)ことが一番難しいと高橋さん。アキタのかけ具合で、おぼろの出方も変わってくるそう。

「腕だけではできん。足から腰までカラダ全体を使っているわけです。この態勢でカラダが動くようになるまでに3~4年、一日中仕事ができるようにカラダが落ち着くのに2~3年。商品が均一になるよう、悪いクセが付かんよう指導するわけです」

 高橋さんが丁稚奉公をしていた時は技術を習得するまでに10年かかったとか。

 北海道から届いた昆布を酢に2分ほど漬けて柔らかくした後、1~2晩寝かせて包丁のかかりをよくし、両端を切り揃える「耳裁ち」までが下準備。それから「削り」に取り掛かります。

 削りでは1枚の昆布から、外側の風味の強い「さらえ」、表面から中ほどの「むきこみ」、芯に近く繊細な味わいの「太白(たいはく、たひゃく)おぼろ」と、異なる品質のおぼろ昆布が作られます。最高級品である太白おぼろは向こうが透けるほど薄く、厚さなんと0.01ミリ。高い技術が求められます。


昆布の中ほどのむきこみ。さらに芯に近づくと、透けるような薄さの太白おぼろに。

 おぼろ昆布の後は、芯をサバ寿司用のサイズに切り落とす「バッテラ昆布」を作り、これらの工程で出る切れはしをブロック状にして、機械で糸状に断裁したのが「とろろ」。一枚の昆布から、様々な加工品が生まれるわけです。

歴史を感じながらいただく絶品のおぼろ


芯は規定のサイズに切りそろえて、バッテラ昆布に。

「私がやりだした頃は職人が700~800人はおったんですよ。それが今、敦賀で80人前後かな。若い時は1時間1キログラムのペースで、もう10時間、12時間作業したけど、半分くらいしかできん」と、高橋さん。


高橋衛さん。背後にはお父さんやおじさん、先輩職人の写ったモノクロームの写真が。

 そんな名工高橋さんの貴重な太白おぼろは、「奥井海生堂」にて購入することができます。


髙橋さんの太白おぼろが購入できる奥井海正堂。ネット販売も行っています。

 古くから人々に愛されてきた気比の松原で、北前船の歴史を感じながらいただく絶品の太白おぼろ。この土地に根付いてきた味わい、心にしみます。


高橋さんの写真入りの太白おぼろ昆布(540円)。

気比の松原

●アクセス JR敦賀駅からコミュニティバス「松原線」で約12~18分
●おすすめステイ先 コートヤード・バイ・マリオット福井
https://www.marriott.com/ja/hotels/kmqcy-courtyard-fukui/overview/

取材協力
敦賀観光協会 https://tsuruga-kanko.jp/


古関千恵子(こせき ちえこ)

リゾートやダイビング、エコなど海にまつわる出来事にフォーカスしたビーチライター。“仕事でビーチへ、締め切り明けもビーチへ”をループすること30年あまり。
●オフィシャルサイト https://www.chieko-koseki.com/

文・撮影=古関千恵子

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