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「Foorin」解散から3年 18歳になった楢原嵩琉が語る 「あの頃」と「これから」

CREA WEB / 2024年7月26日 11時0分


楢原嵩琉さん。

 米津玄師プロデュース曲「パプリカ」のロングヒットで国民的アーティストとなった「Foorin」。

 解散から3年、18歳になった「たける」こと楢原嵩琉が「あの頃」の思い出や新作映画『カミノフデ~怪獣たちのいる島~』について語ってくれました。


●楽しみながら活動しようと決めた「Foorin」


楢原嵩琉さん。

――幼い頃からダンスを学ばれていた楢原さんですが、当時の夢は?

 兄がやっていたこともあって、4~5歳のくらいからダンススクールに通い始めたんです。そして、小学生になったタイミングでバレエを習い始めたのですが、明確に「将来ダンサーになりたい」と思ったことは一度もありません。幼稚園に入った頃はカエルになりたいと言っていたようですし(笑)、その後は宇宙飛行士に憧れていました。

――芸能界入りのきっかけ、そして、米津玄師さんプロデュースによる音楽ユニット「Foorin」メンバーになるきっかけは?

 ダンススクールがきっかけで、ミュージカルやストレートプレイにも出演することになり、気付いた頃には事務所に所属し、TVなどで映像のお芝居をするようになっていました。

 そんなときに、「Foorin」のメンバー・オーディションの話を知って、受けることにしました。一度、面接があって、そのときやっていた野球の話をして、次に呼ばれたときには「あなたに決まりました」と伝えられて、驚いたことを覚えています。未だに、なぜ僕が選ばれたのかは分かりません……。


楢原嵩琉さん。

――18年にリリースされた「パプリカ」がヒットし、老若男女に愛される存在として社会現象にもとなります。

 小6でメンバーに選ばれたときは、「NHKさんで作られた応援ソングを歌ってもらいます」ぐらいしか伝えられなくて、メンバーが何人なのか分からなければ、どれぐらい活動するのかも知らなかったんです。だから、今までと同じお仕事のひとつと捉えていましたし、その後に社会現象になっていくなんて、想像もつきませんでした。

 ただ、気持ちのどこかで、元気な子どもらしさみたいなものが求められていると思っていて、メンバー最年長ということは置いといて、とにかく楽しみながら活動しようと決めていました。

●大きな転機となった鈴木福との共演


楢原嵩琉さん。

――19年には「第61回日本レコード大賞」を受賞するほか、その年の「NHK紅白歌合戦」にも出場されました。

 実質3年間の活動で、自分自身の生活は明確に変わらなくても、自分を取り巻く環境みたいなものが大きく変わっていった感覚はありました。街を歩いていると、自分の歌が流れてくることもありますし、小学生から中学生になるタイミングだったので、とにかく目まぐるしかったです。

 それまで、舞台をやっていても、お客さんと密に接することはなかったので、とても不思議な感覚でした。当時出ていたTV番組に関しては、今になってその凄さに気付かされている感じです。


楢原嵩琉さん。

――20年以降は、コロナ禍になったことで活動の制約もあったかと思われます。

 コロナ禍になった後、21年9月のグループ解散まで、ファンの方としっかり交流できるイベントができなかったことは悔しかったですね。僕たちがみなさんを元気にしなければいけないのに、いただいたファンレターに元気づけられたこともありました。今もファンレターをいただけることは嬉しいですし、何年経っても残る音楽の力って、凄いなぁと思っています。


楢原嵩琉さん。

――「Foorin」の活動と同時に、「ドラえもん」のスネ夫役を演じられた「ソフトバンク 5G」のCMなど、俳優としての活動も増えていきます。

「Foorin」としての3年間で精神的に変化というか、成長していったと思うんです。「今後も、このお仕事をやっていくんだ」という気持ちになりました。その「ソフトバンク」のCMでは、のび太役の鈴木福くんと共演したんですが、僕の2歳年上とは思えないほど、とても落ち着いていて、しっかりされていたんです。そのときに、「もっと、ちゃんとしなきゃといけない」ということに気付かされました。これも大きな転機でした。

●新作映画では、テンションの高い特撮マニアに挑戦


楢原嵩琉さん。

――そんな楢原さんの最新出演作『カミノフデ~怪獣たちのいる島~』では、鈴木梨央さん演じるヒロイン・朱莉と冒険の旅に出る同級生・卓也を演じられています。

 コロナ禍ということもあり、シーンの一部を演じた映像資料を送るというオーディションでした。そのため、村瀬継蔵総監督たちに初めてお会いしたのは、衣装合わせのときでした。

 特撮映画なので、目の前にいない怪獣などを想像しながらのグリーンバック前でのお芝居が多くて、とても難しかったですね。また、卓也は特撮マニアの役柄なので、自分自身が持っている「仮面ライダー」や「ウルトラマン」に登場する怪獣や怪人に対する想いに寄せながら演じていきました。


©2024 映画「カミノフデ」製作委員会

――『ゴジラ』『大怪獣ガメラ』シリーズなどで怪獣造形の礎を築いた、怪獣造形界のレジェンドである村瀬継蔵総監督の印象は?

 僕が言うのも、おこがましいのですが、村瀬さんがいるだけで現場が引き締まるというか、とにかく存在感が凄い。周りのスタッフさんからのリスペクトも感じますし、毎シーン毎シーン「よく頑張ったね」って、孫に語り掛けるように優しく言ってくださるんです。すべてにおいて肯定的な方なので、とても安心感がありました。


©2024 映画「カミノフデ」製作委員会

――どのようなことを学んだ現場だったといえますか?

 ちょっとオーバーなくらい、あえてテンションを上げて卓也を演じたんです。そういう意味では、ミュージカルのときとは違う吹っ切れたお芝居をすることが勉強になりました。現場では一人で、ぴょんぴょんジャンプとかして、テンションを上げていたので、傍から見たら変な奴に見えたんじゃないか、と思いますが(笑)。

●ひとつの表現にとらわれないアーティストに


楢原嵩琉さん。

――「Foorin」のたけるとは異なる、どんな新しい楢原さんが見られる作品ですか?

「Foorin」のときは年長者だったので、どこか落ち着いているイメージが多かったと思うんです。この作品では、特撮マニアとして、ベラベラ喋ってはしゃいでいる自分が映っているので、ちょっと驚くというか、あまり見たことない姿が見られると思っています。

――今後の希望・展望について教えてください。

 今はひとつひとつのお仕事をやっていくだけで、役者もダンスもやっていくと思います。そんな切り離されたものでもないと思っていますし、お芝居という表現にとらわれず、いろんな表現されている方がいらっしゃると思うんです。例えば、歌とお芝居だったら星野源さん。ダンスとお芝居なら森山未來さん。そういうアーティストの方に対する憧れに強いです。


楢原嵩琉さん。


楢原嵩琉(ならはら・たける)

2006年4月8日生まれ、東京都出身。18年、<NHK>2020応援ソングプロジェクト「Foorin」に参加。米津玄師プロデュース曲「パプリカ」は「第70回NHK紅白歌合戦」出場や、同年「第61回日本レコード大賞」を受賞した後、21年に解散。俳優としてもCM「ソフトバンク5Gってドラえもん?シリーズ」シリーズのほか、映画『Floating father』(17年)、『チェリーボーイズ』(18年)、『恋する寄生虫』(21年)などに出演。

文=くれい響
撮影=平松市聖

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