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「家がない時もあったし、美輪さんは 私を見て泣く」実は超マイナス思考の LiLiCoが生き抜くために持つマインド

CREA WEB / 2024年8月1日 11時0分


LiLiCoさん。

 CREA WEBで人気の占い「オンナの算命学」を手がける東京ケイ子。古代中国で生まれた、運命を算出する学問の「算命学」で、気になるあの人を占う連載がプチリニューアル。ゲストの人生において、“何をしてもうまくいかない冬の時期”にフォーカスし、苦難をどんな風に乗り越えたのかを聞く。そこには、この世の中を生き抜くたくさんのヒントがあると信じて。

 連載のテーマを「人生の冬の時期の乗り越え方」にシフトして、東京ケイ子がいの一番に会ってみたかったのが今回のゲスト、LiLiCoさんだ。波乱万丈の人生をパワフルに切り開いてきたLiLiCoさんのこれまでとこれからを2回に分けて紹介。


逆境に立ち向かう愛の戦士


LiLiCoさんの算命学的人生のテーマは「逆境に立ち向かう愛の戦士」。

ケイ子 今日はよろしくお願いします。簡単に算命学の説明をしてから始めますね。算命学は、古代中国王朝時代に発祥し、発展しました。まずは生年月日で宿命と人生のバイオリズムを導き出します。

 宿命は生まれてから死ぬまで変わらないものとし、バイオリズムは自分の人生において、エネルギー値が高い時には攻め、低い時には守るという考えです。昔の中国の王はそうやって軍略のために算命学を使っていました。

 ちなみに、運命は、変えていくものと考えます。つまり、宿命×環境=運命なんです。

LiLiCo 宿命に掛け算するのは努力なのかと思っていました。環境なんですね。

ケイ子 努力に近いですよ。まずは己の宿命を知ることを第一優先にして、どういう生き方を掛け算していくかによって運命が決まりますから。

 今回のテーマが「人生の冬の時期にフォーカスすること」ですが、バイオリズム的に試練や乗り越えなければならない壁が現れる時期をどう乗り越えていったのかをお聞きし、読者のみなさんのエンパワメントに繋げたいと思っています。それで、どうしてもお会いしたいのがLiLiCoさんでした。


東京ケイ子がLiLiCoさんの宿命を紐解き、そのイメージを中村桃子さん描いた。©中村桃子

LiLiCo そうなのね(笑)。美輪明宏さんは私を見ていつも泣くんですよ。あなたを見ると涙が出るって。

ケイ子 わあ、そうですか。LiLiCoさんの人生のテーマ、宿命は“逆境に立ち向かう愛の戦士”だからでしょうか。

LiLiCo すごーく分かります。いい言葉!! そういう曲を出したいなあ。

ケイ子 LiLiCoさんは家系のはみ出しものという宿命を持っていて、家族から離れるところに人生のスタートラインが来ます。だから、生まれてから死ぬまでの課題として、その孤独に対して強い心を鍛えるんです。

LiLiCo なんていう星の元に生まれたんだろう(笑)。

ケイ子 ただし逆境に強くもあります。10年に一度、ドラマチックな展開が訪れますが、この10年単位ということに心当たりはありますか? 

LiLiCo 自分がよく言う言葉です。1年くらいじゃなにも頑張ってないのに等しくて、まずは10年。そして20年。さらには30年頑張ったらもっといいことがあるから。

ケイ子 素晴らしい考えですね。だからでしょうか、生涯を通じて休息というものがとても少ないんですよ。


「休むと体調崩しちゃったの」

LiLiCo はい、私、休みがゼロなんです。いつも元旦だけ休みにしてたんですが、必ず大晦日に胃腸炎になって、カウントダウンが病院なの。だからもう休むのやめようと思って(笑)。10歳の頃から休みがたくさんある仕事に就きたくないというのが私の口癖でした。

ケイ子 なるほど。明るさの中に闘争心があるとも出ていますが、これについてはどうでしょう?

LiLiCo 私、超マイナス思考なんですよ、実は。全然、明るくないのよ。いつも最悪のことを考えてるから、ハードルも低めです。今朝も目が覚めてラッキー、さあ、1日いい日にしようって思っているだけ。だから明るく見えるの。テレビをつけて暗い人を見たいとは誰も思わないだろうから、もちろん明るく頑張りますけれど。

ケイ子 幸せの基準をとても低く置いていらっしゃるんですね。

LiLiCo そうそう! だってジョニー・デップと結婚したいなんて思わないもん。無理だよ〜(笑)。手の届かない高望みをすると不幸になると思っちゃう。みんなに、旦那さんに会って幸せそうですねと言われるのね。もちろん、幸せですよ。でもその前も幸せだったし、1人でも生きていける。

 幸せは飛んでくるものじゃなくて、自分の中にあるもの。それを引き出すのは上手いほうかなと思っています。

 闘争心や誰かと競う気持ちはまったくなくて、常に自分との戦いなのかも。元気なうちにやりたいことは全部やったほうがいいと思うし、成し遂げたことを残したいとも思う。それが私の闘争心ですね。

家が無い時もあった


「ある日突然事務所がなくなったのは衝撃でした」

ケイ子 そんなLiLiCoさんの人生のバイオリズムや冬の時代について詳しく見ていきますね。まず天中殺。これは10年に一度、誰しもに2年訪れるんですが、LiLiCoさんは特殊な3年間なんです。通常、アンコントロールなことが起こるから、あまり動いてはいけないタイミング。

 フォーカスするなら30歳。2000年でした。何かありましたか? 仕事が一旦止まるという星が来ていますが。

LiLiCo ふふふ。はい、2000年3月2日。事務所に行ったら夜逃げ状態で、事務所自体がなくなっていましたね。CDリリースの予定ももちろん白紙。さらに、同じ時期に婚約破棄をしました。

ケイ子 そう、LiLiCoさんは仕事とプライベートが一気にがらりと動く星ですからね。その時はどういう風に過ごしていたのですか?


「当時助けてくれた人には本当に感謝しています」

LiLiCo 布団の上でぼーっと座ってたかなあ。そんな私を友達が引っ張り出してくれたり、ご飯を奢ってくれたり。ただ、その10年前の20歳の冬の時代は家が無かった。それに比べたら住む場所があったからましです。大変だったけど、2001年には「王様のブランチ」の仕事も始まったから。

ケイ子 次は42、43歳あたりが大変な時期。ただ、人生を明るく楽しく楽しむ!というのがテーマでもありました。

LiLiCo バラエティにどんどん出始めたころですね。東日本大震災の後で、みんな黒やグレーの服を着て控えめな発言をしていた中、アプリコット色のミニスカートとピンヒールでテレビに出たんです。

 そうしたら、視聴者の方から「元気をもらった」って500通もファックスが届いたんです。それに私が勇気をもらい、それからは元気をばら撒こうと思ってバラエティも積極的に出るように。

ケイ子 2014年、44歳の時は仕事では追い風が吹くけど自分自身は壊れるというタイミングでした。それは多忙を極める仕事漬けの毎日で、家に帰ったらベッドに倒れ込むような状況だったかもしれません。

LiLiCo うん、もうね、忙しすぎて記憶がないくらいです。

ケイ子 どうやって自分を鼓舞していたのですか?


「とりあえず朝起きたらラッキーだと思って過ごしています」

LiLiCo ここに来たかったでしょ! 夢が叶ったんでしょ! と自分に言い聞かせることで乗り越えましたね。プライベートで壊れるといえば、こんな状態だから部屋は荒れ放題だったなぁ(笑)。

 後はね、私って止まらないんです。止まらないと大体、バリバリ働く女性は50歳で1回病気になるか、怪我をするんですよ。私は50歳で膝を割ったんだけど、それでも止まらなかったの。

ケイ子 すごい! LiLiCoさんにとって、第二の人生がスタートするのが50歳ですよ。後半でまた詳しく話しますね!

LiLiCo(りりこ)

1970年11月16日、スウェーデンのストックホルム生まれ。18歳で来日し、1989年に芸能界デビュー。2001年から『王様のブランチ』で映画コメンテーターとしてレギュラー出演。歌手や俳優、ナレーターなど「16個も肩書きがある」という通り、幅広く活動中。

文=渡部かおり
撮影=平松市聖
イラスト=中村桃子

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