【静岡県の絶景スポット】明治時代に造られた掛塚灯台が放火や津波の被害にも屈しなかったワケ
CREA WEB / 2024年8月2日 11時0分
海から来る「戦」と「宝」
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現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。
建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。
そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2023年に『木挽町のあだ討ち』で第169回直木三十五賞を受賞した永井紗耶子さんが静岡県の掛塚灯台を訪れました。
風の中に立つ灯台
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掛塚灯台に辿り着いた時、その余りの風の強さと冷たさに、冬の海の厳しさを感じた。
風が強く吹きつけるのは周りに何もないからでもある。海岸線に面し、砂州が近いところにポツンと立っている白い灯台。そこに向かって真っすぐに歩いて行く。その風景は、どこか地の果てまで来たかのような寂しさと、ショートフィルムのようなセピア色の風景にも思える。
しかし、そこに立っている当人たちは、寂莫とした心地などとは無縁である。
髪の毛は逆髪の如く靡き、首に巻いていたマフラーは吹き飛ばされそうな勢いである。そして、風は肌に突き刺すように冷たく、
「寒いね」
と言った先から、口の中まで風が吹きつける。
「風が冷たくて歯が痛いです」
編集者の内藤淳さんの言う通り、歯まで沁みる。
「風が歯に沁みるって、歯医者でしか感じないですよね」
などと言って、ガタガタと歯の根が合わない寒さに大笑いしていた。
いよいよ灯台に近づいた。
さあ、灯台の中に入れば、少しは風を凌ぐことができるはずだ。
そう思った私たちの前に現れた掛塚灯台。目の前にあったのは、はしごである。
「これ……このはしごを登るのですか」
そう。外付けのはしごを登ったところにドアがあるのだ。
「ヘルメットをどうぞ」
海上保安庁の近藤大輔さんに手渡されたヘルメットをしっかりと被る。ショルダーバッグのストラップを斜めに掛けた。
「風が少し止んだ隙に行こう」
覚悟を決めて、はしごに手を掛ける。
「下を見ないようにして下さい」
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先に上に登っている海保の深浦さんの声に導かれ、手元だけを見て登る。そうしている間に、またしても刺すように冷たい風がビューっと吹いて来る。はしごにしがみついて、ひいいい、と小さく悲鳴を上げながら、ようやっと灯台の中へと足を踏み入れた。
「これは……怖い……」
ここまで来るだけで、運動音痴の私にとってはなかなかのスリルがあった。
一旦、中へ入ると、風の音もなく静かである。温かさもあり、守られている安心感があった。
ただ、中に入ってからも灯室までははしごを登っていくことになる。細いはしごを登りながら、ようやく灯室に辿り着いた。
見渡す限りの海。そして、その近くには風力発電の風車が見える。
「なるほど……せっかくの強風ですもんね」
と、先ほどの身を刺す風が、エネルギーに変わるのだということを改めて痛感する。
灯台は今も、沖を行く船を照らしている
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ここは、遠州灘に面していると同時に、天竜川の河口でもある。豊臣秀吉の時代から、山の上で伐り出された材木を筏にして川に流し、この掛塚湊から出荷していたという。
江戸に火事があれば、この土地の木挽きと廻船問屋が大いに儲かった……という話もあったらしい。
「丁度、江戸と大坂の中間の湊として、江戸時代には栄えていたそうですよ」
大正時代以降は、交易の港としての役割を終えているが、灯台は今も、沖を行く船を照らしているのだ。
灯室にあるレンズは、LEDのフレネルレンズ。動かずに、点滅して辺りを照らしている。
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ふと灯室の天井を見上げてみる。
「あ、鉄板なんですね」
この灯台は、下部はコンクリートでできていて、上部は鉄製になっている。むき出しの鉄の天井が、何とも素朴な雰囲気を感じさせる。
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「官営の灯台が出来たのは、一八九七年なんです」
明治三十年にこの灯台が完成。しかし、二〇〇二年になって海岸の浸食や、東海地震対策のため、現在の場所に移設されたのだという。
「ただ、この掛塚灯台は、官営ができる前に、私設の灯台があったんです」
その物語こそが、この掛塚灯台の面白さと言っても過言ではない。
「あの、改心灯台ですね」
そう。まずはその私設灯台のことを知るために、私たち一行はこの灯台に来る前に、磐田市歴史文書館を訪ねていた。
「改心棒」と共に
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「掛塚灯台を見る前に、ぜひ、立ち寄って欲しい所があるんです」
この取材の日程を相談している時、編集の八馬祉子さんから提案を受けていた。
この掛塚灯台を語るには、その灯台が建つ以前にあったという私設の灯台について、知っておいた方がいいというのだ。
そこで磐田市歴史文書館に赴いた私たちは、職員の佐藤清隆さんから、お話を聞くことになった。
最初に足を踏み入れたのは、歴史文書館のそばにある竜洋郷土資料館。
「この辺りは、天竜川の上流で伐採した材木を売ることで栄えてきました。木挽きと縁が深い町なんです」
と、私の著書『木挽町のあだ討ち』にかけて説明して下さった。
江戸の昔、掛塚は「遠州の小江戸」と呼ばれ、山と海の恵みを受けて来た土地でもある。そうして栄えた掛塚湊には、幕末に至るまで灯台と呼べるようなものはなかった。
「掛塚に灯台を建てることを決めたのは、荒井信敬という人物でした」
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この荒井信敬は、幕末、幕臣であったという。明治維新の後、現在の静岡県袋井市に移り住み、茶園の開墾に従事していた。
しかしある時、信敬は、この天竜川の河口付近で難破する船が多いことを知った。山の方で大雨が降ると川の水は増え、それが河口で激しい流れとなる。その上、川から流れ出た砂が沈殿しており、潮の流れに舵を取られて座礁する船が多かったのだ。
「船を守るためには、灯台が必要だ」
そう思い立った信敬は、自ら私財を投じて灯台を建てることを決意した。
「そうして建てられたのが、最初の掛塚灯台です」
一八八〇年に造られたそれは、現在のものとは違い、木造で高さはおよそ七メートル。ランプなどは設置できるはずもなく、木綿を芯にして菜種油を灯すといったものであった。
「自ら、この灯台に泊まり込み、火を守ったのだそうですよ」
その燃料費も自腹を切っていた。
「その時に、彼が愛用していたのがこの『改心棒』と名付けられた盃です」
写真で見せられたのは、底が丸くなっている盃である。
「荒井信敬は、大変、酒が好きだったそうです。それを一杯だけで我慢して、灯台の燃料の為のお金をねん出したそうです」
一杯を飲み干したら、盃を寝かせて、二杯目を注がない。そうして浮かせた酒代を、灯台の維持費にして、船の航海の安全を守ったらしい。そのため、当時からこの灯台は「改心灯台」と呼ばれていた。
「そこまでしたのは何故なんでしょうねえ」
荒井信敬が身命を賭した「掛塚灯台」
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一説によると、幕末の動乱期、幕臣であった荒井信敬は、榎本武揚が率いる美加保丸に乗り込み、一路、北海道を目指したという。しかし、その航海の途上、銚子沖で船は沈没。信敬は辛くも助かったのだが、大勢が亡くなった。また、新政府軍によって囚われて殺された者もいた。
同志たちを失いながら生き残った彼は、だからこそ、遠州灘での船の遭難が他人事ではなかったのだろう。
「私財をなげうってまで灯台を建てたのなら、さぞや周囲の方々に感謝されたのでは」
そう言うと、佐藤さんは首を傾げた。
「それが、反対も多かったそうです」
船の難破は、この海域ではよくあることであった。そのため、難破船から流れ着いたものは、彼らにとって日常的に手に入る物資でもあった。灯台が出来ることによって、船が安全に航行するようになるということは、難破船がないということ。それを損失と考えた人たちもいたのだという。
「何度か放火されたこともあったとか」
木造であるために、すぐさま燃えてしまう。
それでも信敬は諦めず、再び建て直す。
「すると今度は、津波に飲まれたとか」
「それは大変な……」
「しかも、当人も一緒に流されているんです」
何せ、泊まり込みで火の番をしている。灯台のみならず、本人もまた海に放り出された。しかしここでも信敬は戻って来る。
「凄いですね……」
何とも強運というか、灯台を守る運命を背負っているというべきか……。
かくして荒井信敬が正に身命を賭した「掛塚灯台」は、完成から四年後、掛塚湊を管理する豊長社によって維持管理が引き継がれることになった。やがて、私設灯台の廃止が決まったが、この掛塚灯台は、官営となる。
「改心灯台が出来てから十七年、やっと官営の灯台が出来たんです」
それが、下はコンクリート製、上は鉄製による、現在の灯台である。
高さは十六メートル。
荒井信敬が建てた改心灯台の倍以上ある立派なものだ。
「こちらが、その二つが写っている写真です」
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展示されているのは、荒井信敬が建てた木造の灯台と、官営の灯台が並んでいる写真である。
新しく建った白亜の灯台を一目見ようと、訪れる人々がいて、その最新技術を称えるかのように、国旗が翻り、祝賀ムードに溢れているのが分かる。上のテラス部分には、恐らく役人と思われる人々が立ち、見物に来た者と、隣の改心灯台を見下ろしている。
その二つの対比を見ていると、荒井信敬の渾身の改心灯台が、何とも可愛く健気に見えて来るものだ。
「反対されても、燃やされても、それでも守って来たんですよね」
荒井信敬の志が認められた証しでもあるけれど、同時に、ほんの少しの寂しさも感じられた。
志を引き継いで……
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かくして、歴史文書館で、しっかりと「改心灯台」の話を聞いてから辿りついた現在の掛塚灯台。
天竜川の河口近くのその灯台は、正に荒井信敬の強い志によって建てられたものだということを痛感する。
「この海で、自分と同じように船の難破によって運命が狂わされる人がいないように、祈っていたんですね」
しみじみと感じつつ、帰途につこうとした私は、そこで再び、
「あのはしごを降りるんでしたね……」
ということを思い出す。
再び、ヘルメットのベルトをぎゅっと締め直し、そこから恐る恐る、外側のはしごを下って行く。軍手をしてもなお手がかじかみながら、ともかく無事に地面に足が着いた時、ようやく、ほうっと吐息をついた。
地面について改めて見上げると、その佇まいは何とも静かで落ち着いている。実物こそ見ることが出来なかったが、木造の「改心灯台」の精神を、この白亜の灯台も引き継いでいるのかもしれない。そんな風に思った。
天狗が繋ぐ山と海
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掛塚灯台を後にした取材班一行は、車を走らせた。
「せっかくなら、浜名湖まで行きましょうか」
何が「せっかく」なのかは分からないが、何となくここまで来たら、浜名湖を見たくなった。
大きな湖を眺めつつ、館山寺への階段を昇る。
本堂に辿り着き、お参りをすると、そこにドンと鎮座する天狗の巨大な面がある。
「お、ここにも天狗」
今回の旅では、灯台と共によく出くわして来たのが天狗である。
山の恵みと志の灯台
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竜洋郷土資料館で見た、「掛塚祭」の紹介によれば、灯台からほど近い貴船神社の大きな祭で、壮麗な神輿や屋台が出るらしい。その先頭を行くのが、竹馬という神事。江戸時代から、選ばれた若者が猿田彦という神に扮し、天狗の面をつけて、神輿の通る辻でバレンと呼ばれる竹のささらを打ち付けて穢れを払う。祭りのお囃子は県の指定文化財であるという。
「あと、あそこにも天狗がいましたよね。可睡斎」
掛塚灯台に行く前日、袋井市にある古刹、可睡斎に出向いた。応永八年(1401)に開山したこの寺は、その後、十一世となる仙麟等膳和尚の時代には、徳川家康が過ごしたことでも知られる。名前の由来となったのは、居眠りをした和尚に対して、家康が「和尚、睡る可し」と言ったことであったとか。
その境内にも秋葉総本殿と呼ばれる本殿があり、階段の両脇には天狗が睨みをきかせているほか、あちこちに天狗の面があった。
「秋葉山との繋がりなんでしょうねえ」
秋葉山は天竜区の赤石山脈の端にある山である。古くから山岳信仰の地でもあり、山伏たちが行き交った場所でもあった。
火伏の霊験で知られる秋葉大権現は、江戸時代にも広く信仰を集め、遠州秋葉参りが流行したらしい。更には、日本各地に秋葉権現が祀られ、秋葉神社が広がっていったのだとか。
「灯台の近くにも、秋葉常夜灯がありましたよね」
灯台の近くにあった石造りの常夜灯は、海から山へと続く街道沿いに設置されているという。
「あと確か、御前崎の灯台の近くにも、秋葉の名前の公園がありましたよ。灯明堂が出来る前には、その参道の灯りを、船の目印にしていたって、お話がありましたよね」
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館山寺の山を登り、高台から雄大な浜名湖の景色を改めて眺める。
「山岳信仰の天狗と、海の近くの掛塚の辺りの天狗、そしてこの浜名湖の天狗……なんというか、山と海って、繋がっているんですね」
山で伐られた木を、筏に組んで天竜川に流していた木挽きの人々がいた。そして、それを売るために、江戸へと運ぶ廻船問屋の人々がいた。それによって湊は活気に溢れ、船が行き交うからこその事故もあった。
近代の灯台を巡る旅をしていたのだが、思いがけず、大昔から山岳信仰の象徴となっていた天狗と行き会った。
「海や港が、そこだけで成り立っているわけではないんですね」
遠く離れているかに見える山と海。
しかし、海沿いの町の発展と、山の営みは繋がっている。そのことが天狗を介して見えて来た。
「海と山を、天狗が繋いでいるみたい」
灯台の灯りが照らす海を、遠く秋葉山から眺める天狗の姿があるような気がした。
掛塚灯台(静岡県磐田市)
所在地 静岡県磐田市駒場
アクセス 東名高速浜松ICより車で約20分
灯台の高さ 16.1
灯りの高さ※ 25
初点灯 明治30年
※灯りの高さとは、平均海面から灯りまでの高さ。
海と灯台プロジェクト
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「灯台」を中心に地域の海の記憶を掘り起こし、地域と地域、日本と世界をつなぎ、これまでにはない異分野・異業種との連携も含めて、新しい海洋体験を創造していく事業で、「日本財団 海と日本プロジェクト」の一環として実施しています。
https://toudai.uminohi.jp/
◎海をより安全に楽しむために!
日本財団が企画・統括する「海のそなえプロジェクト」では、海や川で過ごすことが増える夏の行楽シーズン到来に先駆け、「海のそなえシンポジウム」を開催。これまでの水難事故対策を見直し、正しく、有益な対策を施すために、異業種・異分野を含む有識者らが議論を行いました。同プロジェクトの公式HPでは、海を安全に楽しむための情報を発信しています。
文=永井紗耶子
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2024年7・8月号
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