1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

小論文で合格、一族史上はじめての 大学生に…注目の文筆家が直面した 外国人の父とのせつなすぎる“断絶”

CREA WEB / 2024年8月8日 17時0分

 2023年の父の日にX(旧Twitter)に投稿された「パパと私」というエッセイが大きな反響を巻き起こし、日本最大の創作コンテスト「創作大賞2023」でメディアワークス文庫賞を受賞。新たな書き手として注目を集める伊藤亜和さんの初のエッセイ集『存在の耐えられない愛おしさ』から一部を抜粋し掲載します。


一族史上、はじめての大学生に


伊藤亜和さん。

 自分が大学に行くなんて、想像もしていなかった。母子家庭で貧乏だし、一族中を探しても、大学に行った人間なんて誰のひとりもいなかったのだから。母はいくつか集めてきた受験生向けのパンフレットの中から、ひとつの冊子を指さして「ここはフランス語の学科があるし、小論文の試験があるから勉強ができなくても受かるかもしれない。受験料は一回分しか出せないから、落ちたら働いて」と言った。

 名前はなんとなく知っている大学だったけど、こんな私でもなんとなく知っているような有名大学は、きっとそう簡単に受かるものでもないだろう、とも思った。対策もせずダラダラと過ごして、いつの間にか試験当日になり、観光気分で受験した。小論文のテーマは1行と少し、「なぜ日本人は無宗教だと自称するにもかかわらず宗教行事をするのか」というようなものだった。

 短い問題文の下には大きな空白が広がる。今からここを埋めなければならない。少しわくわくした。正解はきっとないのだから、思いついたことをどんどん書こうと思った。小論文としてそれが優れていたかどうかはわからないが、合格できたということは全く見当違いと言うことでもなかったのだろう。かくして私は、一族の歴史上、はじめての大学生となった。

フランス語を学べば、父と“本当の親子”になれるのでは

 私の合格した、文学部のフランス語圏文化学科というところは、最初にみっちりとフランス語を学んだあと、フランス語圏に関するさまざまなことについて学ぶことができる。フランス語圏ということは、フランス以外にもカナダやアフリカ、父が生まれ育ったセネガルも対象になるということだ。私は父がどんな人間なのか知りたかった。父の心や思想を作った言葉を学べば、今からでも本当の意味で理解し合う親子になれるのではないかと思っていた。

 面接ではいろいろと難しいことを言ったけれど、私がフランス語を勉強する理由なんて、本当はそれしかなかったのだ。最初の授業で習った簡単な挨拶を父に披露すると、父は嬉しそうに続けて早口のフランス語で私に何かを言った。まだ丸暗記で話していただけだったから、あの日父がなんと言ったかはわからずじまいだ。父は難なくフランス語を話すことができるのに、私が得意になってLINEのひとこと欄に書いた「Je le suis parce que je pense(我思うゆえに我在り)」の意味は知らなかった。


伊藤亜和さん。

 父はまともに学校に行ったことがなかったから、デカルトのことなんて知らなかったのだろう。父に「変なフランス語。どういう意味?」と聞かれて、うまく説明できなかった私は気まずそうに笑って「わかんない」と答えた。父は私に「たくさん勉強して。亜和は偉くなる」と言った。大学に入学して1ヶ月ほど経って、私と父は喧嘩をした。それから今日まで、いちども会っていない。もうすぐ10年経つ。

 結局、フランス語はロクに身につかないままお情けで卒業を許され、私は社会に放り出された。就活は受かるはずもない高倍率の出版社や、映画の配給会社を数社受けただけで早々にリタイアしてしまったので、これから何をするかはなにも決まってはいなかった。

フリーターとして過ごす中、訪れた「転機」

 ガールズバーで働きながら、SNSに時々きまぐれに文章を投稿して、あとはほとんどなにもせず、1年ほど成金がお遊びで作った会社で「会社員ごっこ」をして、なんの役にも立たない職歴をつけたあげく、またフリーターに戻った。26歳になっていた。モデルでも物書きともいえない、胸を張って名乗るもののない、用途不明の私がいた。恋人だった夏目くんは、私に「甘ったれるな」と言いながら「書き続けて」とも言った。

 そんなとき、たまたまSNSでつながっていた人の紹介で、世界の呪物を集めた展示会のパンフレットに寄稿することになった。卒論でアフリカ美術を扱っていた私には多少知識のある分野だったので、私なんかで良いのだろうかと思いつつ引き受けた。


伊藤亜和さん。

 紹介してくれたSさんは、私のファンだとDMを送ってきてくれた人だった。フランスの詐欺師みたいなカイゼルひげを生やしていて、怪しい見た目に反して親しみやすい関西弁で話す、なんとも不思議な人だった。その人は何度も繰り返し、私に言い聞かせるように「亜和ちゃんの文章はすごい。絶対に売れる。大丈夫」と言っていた。

 自分ではとてもそんなふうに思えなかったけど、Sさんのその言葉と、大学生の頃から見守ってくれていた森先生に尻を叩かれ書き続け、今日も奇跡は起きないとため息がこぼれかけたある日、ちぐはぐだった歯車は突然すべてが嚙み合ったように前に進み始めたのだった。

 Sさんは夜の渋谷の横断歩道でふと私のほうを振り返り、得意げな笑顔を浮かべて静かに「な、言うたやろ?」と言った。私の努力で報われたことなどなにもない。だからせめて、この1冊目は愛してくれた貴方たちに捧げます。私を信じてくれてありがとう。互いの愛おしさに耐えられなかった私たちへ、言いそびれてしまったことが全て届きますように。

伊藤亜和(いとう・あわ)

文筆家。1996年横浜市生まれ。学習院大学文学部卒業。noteに掲載した「パパと私」が注目を集める。本作(『存在の耐えられない愛おしさ』)は初のエッセイ集。

文=伊藤亜和
撮影=榎本麻美

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください